3-5 もう一人の仲間
結果的に、野乃花と紅也の二人で続けた話は盛り上がったらしい。
本番終了後に野乃花からメールが届き、あれやこれやと説明してくれた。「心配しなくても大丈夫ですよっ」と自信満々に言っていて、透利はひとまず安心する。しかし、野乃花には「観ない方が絶対面白くなるから! エゴサも禁止です!」と言われてしまった。透利は内心「エゴサって何だろう」と思いつつも、とりあえず了承した……のだが。
やっぱりどうしたって、心の中のもやもやは止まらなかった。
帰宅をすると真っ先に自室にこもり、意味もなくベッドの上でぼーっと過ごす。白で統一された見慣れた部屋は、何故か今だけ薄暗く感じた。
強いて言えば勉強机と本棚があるくらいのスッキリとした空間を眺めていると、改めて自分には何もなかったのだと感じてしまう。それが今ではどうだ。両親というきっかけではあるものの、与えられた即興シネマパークという場所は透利にとってあまりにも大きなものになった。自分を引っ張ってくれる日夏がいて、楽しそうに物語をかき回す野乃花がいて、その中に自分がいる。無我夢中だった足取りが、たった一人のトラウマ――紅也の登場で止まりそうになってしまった、なんて。
何と言うか、世の中はそうそう上手くいかないものだな、と思った。
「……っ」
夜になると、透利のガラケーが聴き慣れないメロディーを奏で始めた。
どうやら声優の斑鳩雪奈はアーティスト活動もしているらしく、日夏の強い押しによって着信音に設定してみたのだ。演技中の可愛らしい印象とは違った力強い歌声で、透利も結構気に入っている。
「って、そんな場合じゃないですよね」
一人で苦笑いを浮かべつつ、透利はようやく電話に出る。
『あっ、須堂さん? もう、出てくれないかと思いましたよ』
「…………すみません」
『元気ないみたい、ですね』
電話をしてきたのは日夏ではなく野乃花だった。
日夏ですらメールのやり取りだけなのに、まさか野乃花から電話がかかってくるとは思わず、透利は内心驚いてしまう。つい電話に出るのを躊躇ってしまったのは、野乃花に紅也の件を悟られないかが不安だったから……なのかも知れない。
『あの、須堂さん。ボク、聞いちゃったんですよ』
「……あぁ」
野乃花の言葉に、透利は諦めたように息を漏らした。悟られないか不安どころか、すでにもう事情を知ってしまっているらしい。そりゃあ、あんな風に物語から逃げてしまったのだ。スルーできる問題でもないだろう。
「日夏さんから聞いたんですか?」
『あ、いや……日夏先輩からも少しは聞きましたけど。須堂さんにメールしたあと、彩木さんから事情を聞いたんです』
「紅也から……」
久しぶりに中学の同級生の名前を口にすると、何とも言えない気持ちに包まれる。
いったい、紅也は野乃花にどこからどこまで話したのか。まったくもって想像ができない。ただ一つだけわかることと言えば、野乃花の声のトーンが驚くほどに低いということだった。
『須堂さん。続けても大丈夫なんですか?』
――やっぱり、そうなりますか。
野乃花の不安に満ちた問いかけに、透利は心の中でため息を零した。
もちろん、野乃花に対してではなく自分自身に対してのため息だ。日夏だけではなく野乃花にまで心配をかけさせて、自分は何をやっているのだろうと思う。
「すいません。これは俺の個人的な事情だっていうのに、二人を巻き込んでしまって」
『そんなのは良いんです。むしろ、謝らなきゃいけないのはボクの方で』
「……え?」
当然のように謝罪の言葉を口にすると、野乃花は予想外の反応を示した。
謝らなきゃいけないのはボクの方、とはどういうことなのだろうか。無理矢理ラブコメ展開に持っていったからとか、そういうことだろうかと思った。
『日夏先輩から聞いたんです。今回の話は先輩が夢に悩んでる状態で始めたんだって。……正直、思ったんです。ボク、先輩のそういう感情が全然理解できないなって』
野乃花から零れ落ちる言葉に、上手く反応することができない。
とりあえず頷いてみるも、これは電話なのだから通じる訳がなかった。結果的に沈黙する形になってしまう。
『やりたいと思うことをやる。楽しいと思えることを全力で楽しむ。それが普通だと思ってたボクの感覚って、やっぱり浮いてるんだなぁって思って』
野乃花にしては珍しく、震えを帯びた声だった。
「それは……違うんじゃないですか」
だからこそ、透利はきっぱりと言い放つ。
携帯電話の奥から、うっすらと野乃花の息を呑む音が聞こえたような気がした。そんなにも意外な発言をしただろうかと、透利は逆に笑ってしまう。自分がどれだけ凄い性格をしているのか、野乃花は理解できていないのだ。日夏とはまた別の意味で眩しくて、まっすぐで、自分らしさを貫いている。
どうやら透利は、そんな素敵な人と物語を紡いでいるらしい。
『なっ、何で笑ってるんですか!』
思わず笑い声を漏らしてしまうと、今まで黙っていた野乃花がすぐに反論し出した。その反応がまた面白くて、透利はますます笑みが止められなくなる。
『だからやめてくださいってば! ボクは二人の事情も知らずに、一人で勝手に盛り上がっていただけなんです。だからっ! ……もし合わないなら、打ち切りでも』
徐々に小さくなっていく野乃花の声。
ゆらゆらと不安定に揺れるその声は、ただ明るいだけじゃない一人の優しい女の子だった。
真柳日夏と木瀬野乃花。
即興シネマパークから逃げていたら絶対に出会うことのなかった二人の女性。
あまりにも優しくて、強くて、一生懸命で、だけど等身大の高校生らしい部分もたくさんあって。普通だったら眩しく感じる二人の感情は、気付いた時には少しずつ、透利の心に溶けていく。
楽しいという気持ちが、確かに自分にもあるのだ。
まだエンディングまで辿り着いてもいないのに、日夏と野乃花とともに物語を歩んでいると心がわくわくして止まらない。今はまだ二人に引っ張ってもらっている状態だが、いつかは率先して物語を創ってみたい。
そう思える自分が今、ここにいるから。
「木瀬さん、すいません。俺は続けてみたいんです」
はっきりと、野乃花に伝えることができていた。
また、野乃花の驚いたような息遣いが聞こえてくる。自分はそんなにも情けない人だと思われていたのだろうか。若干ショックを受けつつも、透利は言葉を続ける。
「確かに、怖くないかと言われたら……怖いです。でも、俺はミズキですから。紅也も紅也ではない別の誰かで、日夏さんはひまわりで、木瀬さんはキノカです。……彼らの物語を中途半端なものにはしたくありません」
内心、透利はまた綺麗ごとを言ってしまった、と苦笑する。多分きっと、野乃花にも「本番中に言えたら格好良いセリフですよねっ」みたいなことを言われてしまうのだろうと思った。
(いや、そうじゃないか……)
透利はひっそりと顔をしかめる。
言われてしまう、ではなく言って欲しいのだ。ずっと真面目に考えていると、頭の中に残り続けている不安なことまで浮き彫りになってしまう。だから、そろそろ覚悟を決めたいと思っていた。
『須堂さん。何ですか、それ』
「……え?」
『すっごい格好良いセリフじゃないですか! 本番もその調子でお願いしますよっ』
「…………っ!」
今度は、透利が息を呑む番だった。
さっきからずっと沈黙を貫いていたし、「もし合わないなら、打ち切りでも」という思考で頭がいっぱいになっているのだろう、と。そう、勘違いをしていた。
『……嬉しいんですよ。ボク、いっつも好き放題やっちゃうから。煙たがれることも多かったんです。だから、やっぱりボクも続けたいっていう気持ちが強くなっちゃいました』
えへへ、すいません。と、野乃花は小さく呟く。
何故だろう。急に視界が悪くなったような気がした。鼻の奥がつんとして、透利はようやく「あぁ、嬉しいんだ」と理解する。
必死に上を向いて、透利は溢れ出そうになる感情を抑えようとする。でも、声を震えだけは止められなかったようだ。
「俺、頑張りますから」
『そーですよ、やるなら相当頑張らなきゃですからね。ミズキとひまわりがいないうちに、凄い展開にしちゃいましたから!』
「たはは……それは本当に、頑張らないとですね」
『そーなんですっ』
野乃花の元気な返事を聞いていると、だんだと胸の真ん中が温かくなってくる。
もう、前に進む以外の選択肢は存在しないのだと。はっきりと断言できる自分の姿がそこにはあった。
「木瀬さん、電話ありがとうございました」
『いえいえそんなっ! ボクも須堂さんと話せてスッキリしましたから。来週もよろしくお願いしますっ』
弾むような野乃花の声に、透利は噓偽りない明るいトーンで返事をし、やがて通話を切る。
透利のガラケーに表示されている通話時間は約十分。
家族と連絡を取り合うくらいしか携帯電話を使わない透利にとって、誰かと長々と電話をするのは初めてのことだった。
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