22
いつでも いつまでも あなたが好きよ
ときめき 止めないで 見詰めていてよ
実らせて この恋を 離しはしない
微笑み 見せたまま 歓喜の涙
私には あなただけ 心のすべて
あなたには 私だけ 身体のすべて
林檎を 見つけて 真っ赤に染めて
芯まで お願い 真っ赤に染めて
赤い林檎は恋の果実
赤い林檎は恋の果実 ――
ジゼルは楽しそうにリンゴ畑の中を巡っている。リンゴはどんどん消えていく。消えたリンゴはどこに行ったのだろう?
それにしても子どもが歌うには色気の過ぎた歌だ、とロファーが呆れる。歌詞を聞いているうちに、昔、本で読んだことがあると思いだした。どこかの古い民謡だ。こんな旋律だったんだな、と思う。
リンゴが何を指すか、きっとジゼルは判っちゃいない。乙女が意中の男を誘う歌だなど、きっと毛ほども思っちゃいない。
すべての木を回り終わったのか、ジゼルがロファーの元に戻ってくる。息を弾ませ、頬を紅潮させ、手には林檎を二つ持っていた。
一つをロファーに渡し、残ったリンゴに齧りつく。芳香が広がり、ジゼルがニッコリ笑う。そしてロファーを見上げる。
「食べて」
ロファーの腕を取り、ロファーの口元にリンゴを運ぶ。仕方なくロファーがリンゴを
「美味しいでしょ?」
「うん……」
ジゼルの笑顔につられてロファーも笑む。
部屋に戻ってお茶を淹れよう、リンゴに浸したお茶は美味しいよ、とジゼルが言うので、お茶がすんだら俺は帰るよ、とロファーが告げる。
帰らないで、と言われたらどうしよう、と思っていたが
「うん、判った」
と返事があった。
リンゴを齧りながら平屋に戻る。すると鶏小屋の隣に小さな小屋が建っているのに気が付いた。きっと収穫したリンゴはあそこだ、と思ったがロファーはわざわざ聞きもしなかった。
切ったリンゴと茶葉で入れたお茶は、ほんのり甘くて良い香りがした。このお茶好きの魔導士のお陰でこの三日、お茶ばかりしているような気分がする。
「ロファーはアップルパイ、焼ける?」
食べたそうなジゼルに、今度作ってくるよ、と約束する。
「昨日予定していた仕事が全く手つかずだからね。これから帰って今日の分も合わせて終わらせなきゃならない」
明日は明日の仕事がある。明後日は明後日、とずっと続く。それでもどこかで時間が見つかるだろう。そしたらパイを焼く。焼いたら魔導士の住処まで届けるよ。だから「いつ」とは約束できない。
「代書屋って面白い?」
「ん? そんな事、考えたこともないな」
父親が仕事をするのを見て育ち、気が付いたら手伝いをし、今までずっと代書屋をしている。他の仕事をしようと思った事もないし、代書屋が嫌だと思ったこともない。
「読むのも好きだし、書くのも好きだ。俺は代書屋に向いているんだろう」
「読み書き以外に好きなものは?」
「ン、なんだろう。ジゼルは?」
「私か。私が好きなのは食べる事、ミルクティー、小鳥たちとのお喋り、暁のダンス、そしてロファー」
「俺の事も好きなものに入れてくれるんだね」
ロファーが笑うとジゼルは「もちろん」と、にっこり笑う。ミルクティーと並べられ、ロファーが複雑な気分だとは気が付かない。
「でさ、暁のダンス、って?」
「夜明けの東の空。暗い照明の中でユラユラ揺らめいて踊り子たちが登場する。鳥たちが一斉に
「ほう、それは何かの本で読んだのかい?」
「いや。この目で見た景色だ。毎朝のように」
そう言いながらジゼルが首を
「でも、おかしいな。私が住んでいたのは森に囲まれた場所で、そんな景色、見られるはずない」
「それなら、どこかで読んだ文章を、自分の体験のように感じてしまったのでは?」
ジゼルがロファーを見る。
「私をそこまで愚かだと思っていたのか?」
「そうじゃなくて……」
「もういい、仕事があるんだろう? さっさと帰ったらどうだ?」
どうやらロファーは魔導士様のご機嫌を
(そう言えば、リンゴの加工はどうするのだろう?)
と、思ったが、きっと魔導術とやらで何とかするのだろうと、気にしないことにした。
それじゃあ、帰るよ、とロファーが立ち上がった時、
「これを寝室にでも飾って置け」
とジゼルが、テーブルの花瓶から、一輪の花を抜くと茎の部分を布で包んでロファーに渡した。
「ニゲルという花だ。私に何かあればこの花に変化がある。その時は念のため私の様子を見に来て欲しい」
毎朝水を替えれば長持ちする、とジゼルは言い足した。
「魔導術を掛けたんだ?」
その問いには答えず、
「間違っても食うなよ。有毒だ、死ぬぞ」
とジゼルがニヤリと笑った。
ぎょっとするロファーに
「食べなきゃ問題ない。だが、人によっては触っただけで爛れる。活けるときには気を付けるように」
と、ジゼルは涼しい顔だ。
サッフォが送ると言っている、と、半ば無理やりリンゴを持たされ馬に乗せられる。
「パイ、楽しみにしているよ」
魔導士の住処の看板で振り返ると、ジゼルはまだ見送っていた。
店に帰ると、どこからか聞きつけて、次から次に客が来る。ほとんどが雑談目的だ。魔導士様の話を聞きたがり、ロファーが忙しいから、と追い返すまで居座る。
実際、やりたいことがたくさんで、大した用事でないのなら、来ないで欲しいと言いたいところだが、性分として言えない。ある程度は話し相手をし、そろそろいいだろうと言う頃合いでお帰り願う。やっと仕事ができる、と取り掛かると、また客が来る。落ち着いて仕事などできない。
閉店時間にレオンが鍵を返しにやってきて、グレインに行こう、と誘われたとき、とうとうロファーは今日も仕事は無理だ、と諦めた。
「それじゃ、オーギュが言ってたことはほとんどあってるってことだ?」
横からカウンターに身を乗り出してジャーズがロファーに尋ねる。そうだよ、とロファーが答えると、店中から、「そうなんだ」と感心したような声が聞こえてくる。
ロファーがグレインにいる、と、いつもの事だが、誰かが言いふらしたようで、隣街の事件の詳細を知りたがる街人でグレインの店は今夜も大盛況だ。
口が堅く、余計なことを話したがらないロファーに、オーギュはこう言っていたけど実際どうなんだい、と大抵は確認を求めて、そうだ、とロファーが言えば納得し、満足していた。
西の街に行ってきたとオーギュは言っていたが、詳しい話もあちらで聞いてきたのだろう。街の噂はそれなりに詳細で正確だった。ただ、欠けていることがある。魔導士同士はどう戦うのか、だ。
みなロファーからその辺りを聞きたがったが、ロファーはあいまいな返事しかしなかった。見たままを話せば、きっとみんな怖がるだろう。だいたい、あの子どもの魔導士はこうだった、と話しても、信じて貰えないとロファーは思った。
一通り、他の客たちがロファーを構うのが落ち着くと、グレインが
「それで、魔導士様の助手を続ける覚悟はできたのかい?」
と笑う。そこにレオンが
「昨日は泊りがけだったみたいだね」
と追い打ちを掛ける。
「何度も店に行ったのに、ロファーは帰って来ない。朝もいったが帰っていない。魔導士様と一夜を過ごした感想が聞きたいね」
待ちぼうけのレオンは半ば皮肉交じりだが、グレインに「黙ってろ」と一喝されて縮こまり、ロファーを失笑させた。
「本当に、まだ子どもなんだよね、あの魔導士様は」
と、ロファーが笑う。
「リンゴを収穫するのに歌いながらリンゴ畑を飛び跳ねていた」
助手とは名ばかり、子どものお守りだ。で、なんだか知らないが懐かれた。暫く面倒見るしかなさそうだ。そう言うロファーに、ふぅん、とグレインが笑顔を見せる。
「捨てられていた子猫に懐かれて、飼うしかないと決意したような顔だな」
「あぁ、ちょうどそんな感じだ」
ロファーも笑う。
「が、子猫より魔導士様は手ごわそうだ」
「へぇ、どんな風に?」
と訊くのはレオン、
「んー、あの子はどこか変わっている、って感じかな?」
とロファーが答えれば
「どんな風に?」
と、これはグレインとレオン、声を揃える。
「言葉じゃ言い表せない不可思議さ、なんか
へぇ、と、またも二人の声が揃う。
「さて、俺はそろそろ帰るよ。仕事が溜まっているから、少しやっておく」
立ちあがるロファーに、
「おう、根を詰めすぎるなよ」
とグレインが勘定を始める。
言われた金額を支払い、奥の台所にいるミヤコに声をかけ、ちゃんと食べたかとの問いに食べたよ、と答える。じゃあね、とグレインとレオンに笑顔を向けてから、絡んでくるテーブル席の客を軽く
残されたグレインとレオンが『魔導士に
宵闇は冷たく寒く、見上げると空には星が
(今夜も月は見えないな。この時間ではもう沈んだのだろうな)
家に帰ると、すぐに二階に上がり、寝室のストーブに火を入れる。今夜はここで仕事をしよう、一階の店に戻って商売道具を寝室に運び、机に並べる。
テーブルにはジゼルに貰ったニゲルが瓶に活けられていて、なんだか不似合いだなと苦笑いする。部屋に花を飾るなんて、両親を亡くしてからは初めてかもしれない。
ふと思いついて、クローゼットを開けると、大きな木箱を取り出す。中には子どものころ、好きだったものが雑多に入れられているはずだ。
両親が殺されたあの事件には、いつの間に、どうやって、何のために、そして犯人はどこに、と不思議なことがいくつもあった。
その中の一つに、なぜか犯人は二階に潜入した形跡がなかったと言うのもある。
一階は両親が流した血でついた犯人の足跡がいたるところに残り、あちらこちらと何度も行き来しているのが判った。
けれど、なぜか二階へ通じる階段付近に足跡がなく、まるで階段を避けているかのようだった。おかげでロファーの部屋と奥の納戸は一切被害を受けていない。
だからこの木箱も難を逃れたわけだが、犯人たちが子どもの玩具を狙うわけもなく、わざわざ中を確認しなかった。いつぶりに開けるのか、ロファーにさえも思い出せない。
重い蓋を開けるとカビ臭い風が吹いた。覗いてみると、絵本が五冊ほど、美しい甲虫が入れられた紙箱も見える。
派手な装飾の占いカードは、綺麗でしょ、とモニーがくれたものだ。ごちゃごちゃと、今ではなんでここに入れたのか判らない物のほうが多い。
ロファーは一通り眺めてから一冊の絵本を取り出すと、開いて読み始めた。銀色の大きな魚、黄色い沼に一人だけれど、これっぽっちも寂しくない ――
そこに描かれているのは、ジゼルから聞いた話と瓜二つ、けれど、魚の色と沼の色、そして魚が恋した相手が違っていた。
ロファーの絵本は銀色の魚で、沼は黄色、恋をした相手は太陽だった。そして銀色の魚は毎日空を見上げるとある。
空を隠したのは木立ではなく、雲になっていて、そうだ、子どものころ、毎日曇りじゃ嫌だな、と思ったんだ、と思いだす。
ジゼルが話していた物語と作者が同じなのかと、ページを繰って見てみるが、どこにも作者の表記がない。革の美しい装丁だが、そこにはタイトルさえもない。
不思議だな、とロファーは思う。もともと不思議だったこの本。すっかり忘れていたこの本を、よりによって魔導士が思い出させた。最後のページをロファーは開く。
太陽の光あふれる物語、それが突然、前後のつながりもなく星空の広がる見開きになっていて、しかも文字が一つもない。前のページで物語は完結しているのだから、ひょっとしたら作者には読者である幼子たちに夜空を見せて、眠りに誘う意図でもあったのかもしれない。
子どもの頃、ここに書いてある文字は何と読むの? と父親に尋ねた覚えがロファーにはある。描かれているのは絵だけだよ、父親は困っていた。
けれど子供の頃のロファーには、ここに見慣れない文字が見えていた。それが今では父親の言う通り、文字など見当たらない。
確かこの辺りに見えていたのに、と、記憶に頼ってその辺りを撫でてみる。
「! これは……」
突然、脳裏に言葉が浮かんでくる。だけど、ページに文字はない、目に文字が映っているわけではない。
神秘王は月の幻影
二人は別々 二人は一つ
揃って空から照らしている
揃って世界を照らしている ――
思わずぱたりと本を閉じる。心臓がバクバク音を立てている。見えるはずのないものを見た、見てはいけないものを見た、そう思えてならない。
昨日はロクに寝ていない。疲れすぎだと目を閉じる。だからこんな幻覚を起こしたのだ。仕事は諦めて寝てしまおう。
木箱に本を戻しふたを閉め、クローゼットに押し込む。そして明かりを消しもせず、ベッドに潜り込み布団を頭まで引っ被る。
怖かった。しかし、この怖さは今までも何度か味わっている。
知っているはずもないことを知っていた時、なぜ自分はこんな事を知っているんだろうと、ぞっとすることが何度もあった。
自分でも気が付かないうちに何かしているんじゃないだろうか、そんな不安に苛まれた。
頭の中で誰かの声が聞こえることも何度かあった。声自体に恐怖することはなく、むしろ懐かしさを感じたが、声が聞こえること自体が可笑しなことだと、やはり自分はどうかしているんだ、と思った。
リルの誘いに応じられなかったあの時は、その声に加えてあの痛み、やはり自分はまともじゃない、そう思わずにはいられなかった。
だけど、だからと言って日常が待ってくれることはなく、思い過ごしだと言い聞かせ、自分を騙し、そしていつの間にか忘れていく。
(そうさ、今夜の事も忘れてしまおう。覚えていたって何の得にもなりゃしない)
寝具の中、温まって来れば睡魔が訪れる。うとうとしながらふと思った。
自分は普通じゃないと、思っている人間は案外多いかもしれない。ジゼルがそうだし、俺もそうだ。だけどみんな、自分は普通だよって顔で生きている。
不安を隠して生きている。
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