14
山茶花亭の前でロファーが馬を降りる時、
「必ずロファーが書いたメモをオーギュに見せるように」
とジゼルが言った。『魔導士の住処に行き、二人は建物の中で待つ』と書くようにとも言った。
「待つ、は可笑しい。待て、だ」
とロファーが言ったが
「いや、私の指示に従ってほしい。ロハンデルトがそう書いたものを読めば、必ず二人は私の住処に向かう」
とジゼルに言われれば、ロファーとしても逆らえず、何か術を掛けたのかもしれないと言われたとおりのメモを書いてフロントに渡し、すぐにオーギュに渡すよう頼んだ。
「あの二人の命がかかっている。魔導士様の指示だ」
と魔導士の助手のロファーが言えば、普通なら誰が客かを教える事さえしないフロントも、大慌てて客室に向かった。
それから長老の屋敷の前で、馬から降りもせずに
「犯人は西の街に向かった、あとを追う」
とジゼルの指示で、ロファーが大声を上げる。これで門前に
馬上、頭に直接ジゼルの指示が響く。そんなことに慣れていないロファーが、できれば口で言ってほしい、とつい思ってしまったら、
「馬鹿か! 舌を噛み切りたいか」
と罵声が響き、そりゃそうなんだけど、とロファーを泣きたい気分にさせた。
「ごめん、こっちも馬から落ちないよう、必死なんだ」
ジゼルの言い訳に、
「ヤツは瞬間移動したのか? こちらはそうはいかないのか?」
とロファーが思うと、
「行った事のないところには無理。行ったことがあり、自分用の出入り口を確保してあればできる」
と答えがある。
「やっぱり魔導術でも何でもできるわけじゃないんだね」
とやけに納得してしまった。
西の隣街の入り口に深くフードを被った誰かを見つけ、ジゼルが馬を止めるよう言った。ロファーとしては顔が見えない相手を警戒し、近寄りたくなかったが、
「ロファーはそのままで」
とジゼルだけ馬から降りようとする。ロファーが制止する前に、
「知り合いの魔導士だ、心配ない」
とジゼルが言った。
フードを被った人物は
「ジゼェーラ様、お久しゅうございます」
と膝を折って挨拶している。どうやら女性の声だが、どこかで聞いた事があるようだとロファーは思った。が、魔導士の知り合いはジゼルだけだ。他人の空似だろう。
「久しいな、モネシアネル。状況はどうなっている?」
ジゼルがフードの魔導士に尋ねている。
「犯行はホムテクト一人によるものに間違いないようです」
ほかの魔導士が術を使った形跡は、殺められたこの街の魔導士のものしかなかった。ホムテクトが街に戻った気配はあったものの、どこに潜んだのか見つけ出せずにいる。
火は四人の魔導士が食い止め、さらなる延焼はないものの、それがやっとで消すには及んでいない。
「西の魔女の様子は?」
ジゼルが問う。
「結界が強化されたものの、目立った動きはございません。監視を増やしますか?」
「結界を強化したということは、ホムテクトに嘘はない、という事だな」
「魔導士は誰であろうとも偽りを言えぬことはご存知の通り」
「真実に嘘が隠れていることもある」
どちらにしろ、とジゼルが続けた。
「西の魔女は本気で動く気はないのだろう。ホムテクト一人に騒ぎを起こさせたのは、こちらを
本気で事態を動かす気なら、ほかにも配下を使ったはず。あるいはホムテクトが独り善がりで起こした騒ぎ。西の魔女は今まで通りで、とジゼルは言った。下手に突いて寝ている子を起こすことはない。
「まず火を消そう。それでホムテクトは姿を現すだろうし、それでも出てこなければあぶり出す」
街人たちはどうしている? ジゼルの問いに
「すべて集められ、南の広場に。ロックジムが守っております」
火が出ているのは街の西側に多いが、東には適当な広場がなかった。
「ではモネシアネル、あなたは先に北の出口に向かいホムテクトが北から逃げるのを防ぐように。私は火事場に向かい消火に当たる。それと同時に今、消火に当たっている四人を北に向かわせる」
承知、とフードの魔導士は声とともに姿が消えた。
街に入るとすぐに火事場は知れた。煙を立てておらず、きな臭い匂いもない。が、オレンジ色の炎が空高く立ち上り、周囲を同じ色に染めている。
「あの火……」
ついロファーが口にする。
「あの火は濡れているのか?」
そんなロファーを見て、ジゼルが首を傾げる。
「判るのか? ホムテクトは炎に水を含ませる。だから消すのが厄介だ」
さらに近づくと、炎に向かい
「ジゼェーラ様!」
魔導士が叫ぶ。
「もうよい、引き受けよう。よく頑張った」
言いながらジゼルは同じように炎に掌を翳した。言われた魔導士はジゼルの足元に平伏した。
《消えよ》
言葉とともにジゼルの瞳が青白く光り、何かがジゼルの掌から炎に向かい迸る。オレンジの炎は揺らめき、体を
すると急に異臭が周囲に漂い始めた。あとには中心部に人が一人立っている程度の焼き焦げた跡が残り、異臭はどうやらそこから来るようだ。その際までジゼルが進み、焦げ跡に掌を翳すと、焦げ跡も異臭も消えた。
「ここで亡くなったのは二人か?」
平伏している魔導士にジゼルが問う。
「おっしゃる通りでございます。魔導士を引きこんだ男とその息子、火元はその二人」
その返事に頷くと、
「北の出入り口をモネシアネルが固めている。行って加勢をするように」
承知、とその魔導士も姿を消した。
さらに街を進むと、横に広がった炎を相手に奮闘する魔導士がいた。両手を
「ジゼェーラ様!」
ジゼルに気が付くと名を呼んだ。
「見てないで何とかして下さい!」
「ワームテロン、気を逸らすと攻撃されるよ」
ジゼルの言葉通り、広がった炎から一筋の火が飛び出して、ワームテロンと呼ばれた魔導士を襲おうとしている。慌ててワームテロンがそれを振り払う。
「あなたでも
それを見ながらジゼルは涼しい顔だ。
「魔導士一人に街人を九人、馬を三頭。もう一頭、中に馬がいるからそれを守るのでこっちは必死だ。何とかしろ」
よほど必死なのか、言葉遣いが乱れてきた。
「中に残る馬は粉屋の物だ。火元は隣に住む、魔導士を引きこんだ男の息子に怪我を負わせた若者とその家族、粉屋の家族と使用人、更にこの街の魔導士。建屋は二軒分でよく燃える。そうそう、粉屋からメイドが一人逃げ出している」
ジゼルはやはり掌を翳し、目を伏せた。掌はなにか探るような動きをしている。すると、急に瞳を開き、きゅっと掌を握り、後ろに放り出すように掌を開いた。
炎から離れてついてきていたサッフォの傍らに急に飛び出してきた馬に、サッフォは驚いた様子もない。少し興奮気味の新参の馬に鼻先を寄せ、落ち着かせようとしているようにも見える。
もちろんワームテロンと呼ばれた魔導士も驚かない。驚くのはジゼルの傍らに立つロファーばかりだ。
さっきよりもっと強い異臭に、馬に気を取られていたロファーが炎を見るとすでに消され、焼け跡にはワームテロンが立っていて、両手を翳して異臭と焦げ跡を消した。ロファーの見ていないうちにワームテロンが炎を消したのだろう。
「元気だったか?」
ワームテロンがジゼルに近寄り、親しげに話しかける。
「これと言った病もなかった。元気と言っていいのだろう」
とジゼルが答えると
「相変わらず面白いヤツだな」
とワームテロンが笑った。
「で、この男は……もしやロハンデルト様?」
「北の入り口をモネシアネルが守っている。あなたにも行ってほしい」
ワームテロンの問いに答えずジゼルが言う。
「あなたが行けばモネシアネルも安心するだろう」
承知、と声が残り、ワームテロンも姿を消した。
「うるさく詮索しないなら、付いてきてほしい位だったのに」
とジゼルの独り言をロファーは聞いた。
あの男は俺を知っていたようだったが? とロファーが問うと、
《刷新せよ》
と、ジゼルの瞳が光った。
「助手を付けるのは珍しいから訊いたのだろう」
とジゼルは答えた。
なるほど、と納得するロファーの記憶ではワームテロンの言葉が
「この男は助手か?」
に変わっていた。
次に行こうとジゼルがサッフォを呼び寄せる。するとサッフォの後ろから、助け出された馬が付いてくる。すっかり怯えていてサッフォを頼りにしているようだ。
その馬にジゼルが手を翳すと、馬面を寄せてきてヒヒンと情けない声を出してくる。
「好きにしたらいいよ。名は?」
とジゼルが言うと、今度は嬉しそうに鼻を鳴らした。
「ではシンザン、ついて来るといい」
どうやらジゼルの馬小屋にはもう一頭、馬が増えるようだ。
ジゼルがシンザンの頭から尻尾の先まで、撫でるように掌を翳す。ふわりと白い煙がシンザンの体から湧いたようにロファーには見えた。
ひらりとシンザンの背に乗ると、
「行くぞ」
とジゼルはひとりで行ってしまう。慌ててサッフォに乗ると、ロファーは後を追った。手綱はあったが鞍のないシンザンをジゼルは器用に乗りこなしている。
細い道を行くと、やがて南北を横切る大通りと交差する。そこでジゼルが馬に足踏みをさせた。
「さて、困ったな」
ジゼルが呟く。
「どうかしたのか?」
「このまま西に行くと最後の火事場だ。そして南にホムテクトの気配がある」
「どちらに行くか迷った?」
「とりあえず、馬を降りろ、ロファー」
そう言いながらジゼルが馬を降りる。訳の判らないままロファーも従う。
馬を降りたジゼルは、サッフォの耳を触ると、サッフォはシンザンを伴って、今、出てきた路地まで戻る。
「歩いていくのか?」
問うロファーを置いて、ジゼルがゆっくりと南に向かう。が、すぐに立ち止まり、ぐるりと辺りを見渡すように振り返る。
そしてロファーの前で立ち止まる。どうも周囲に注意を払っているようだ。
「何かあるのか?」
「しっ!」
小声で、問いかけたロファーを制し、今度は西の小道に視線を移す。
「そこか……なぜ気配を隠している?」
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