第41話 サラの行方
ヒイロの唇からは暗赤色の血がポタポタと零れ落ちている。
「きゃ……っ」
そして次の瞬間、サラはヒイロに掴まれていた顎を乱暴に離された。
その衝撃でサラは椅子から転げ落ちる。
「サラぁ……、何で泣かねえの? お前が俺を睨みつける顔なんか見たくねぇんだわ。その綺麗な顔で泣いてくれたら、スッゲェ良いと思うのによぉ……」
暴力を振るわれたショックで床に横たわったままのサラに近づくと、ヒイロはサラの左手からユーゴが渡した指輪を引き抜いた。
「や……っ! やめて! 返して……っ!」
「おお、めっちゃいい顔。もう泣きそうじゃん」
手を伸ばして、悲痛な声をあげるサラを見つめるヒイロは、うっとりと魅惑されたように笑う。
「ああ、その顔すっげぇゾクゾクすんなぁ。ああ……っ、もう涙が流れてるぞぉ?」
サラはその美しい色合いの瞳から、ポロポロと涙を零していた。
痛みでは泣かなかったサラも、ユーゴのくれた指輪を奪われたことに悲しみを堪えきれなくなった。
「かえして……っ、返してよぉ……」
泣きながら震える手を伸ばすサラに、ヒイロは容赦なく尖った言葉をぶつけた。
「さあ、今からまた仲間と一仕事してくるからさ。サラの泣いてる顔、めっちゃ可愛いから俺仕事頑張れそうだわ。
「やだ……。返して……」
なんとか返してもらおうと、縋りつこうとするサラに、ヒイロは愛おしそうな顔を向ける。
それは本当に愛する者へ向ける眼差しのようで。
「サラ、待ってて。さっさと終わらせて来るから」
そう言って、サラが傷つけた唇をペロリとひと舐めしたヒイロは、サラの頬に手を伸ばした。
ビクッと身体を震わせたサラに、ヒイロは満足げな表情を向けた。
そして男は、サラの形の良い額に口付ける。
己の唇から出血した血で、サラの額に所有印を付けるように。
サラはこの優しげな表情で自分を見る、ヒイロという人間を恐ろしいと思った。
自分が泣いたり、怖がったりすることを喜ぶこの男が、得体の知れないものに思えたのだ。
ヒイロが出て行ったあと、サラはもたもたと身体を起こして立ち上がる。
突然のことに驚いたこともあって、足腰が震えていた。
「い……ったぁ……」
床でぶつけた腕と腰を触ると、僅かに腫れて熱を持っているようだ。
部屋の中を見渡すと、そこはふんだんに木が使われた丸太小屋のようで、扉は一つだけだと思ったがよく見ればもう一つあった。
ゆっくりと鍵のかかっていないその扉を開けると、そこは用を足せる手洗いになっていた。
ヒイロが出て行った扉を恐る恐る開けようとしてみたが、こちらは鍵が掛かっていて出ることは出来ない。
部屋には質素な寝台と、木で作られた庶民的な机と椅子が二脚。
他にはチェストも本棚も何もない。
格子の嵌められた窓からは、鬱蒼と生い茂る森が見えた。
サラが外を覗き込むと、驚くような景色が見えた。
ここは深い森の中の開けた場所にある、湖に浮かんだ島のようなところに建てられた小屋だったのだ。
「あ……っ、ヒイロ……」
先程出て行ったヒイロが、向こう岸に小舟でたどり着いたのが見えた。
ああやって小舟を使うことでしか、この場所には来られないようだ。
ヒイロは黒づくめの衣装に着替えており、岸にある杭に舟を繋いだら、そのまま森の奥へと消えて行った。
「こんなところ……。どうやって抜け出そう……」
ヒイロは怖いから、逃げ出さなければならない。
だけど、ユーゴがくれた指輪はヒイロが持っているのだ。
「ユーゴ、……どうしたらいい?」
悲痛な表情で、サラは会えぬ夫を思ってポロポロと涙を流した。
サラの流す涙を喜ぶヒイロが帰って来た時に、泣かない為であろうか。
一方のユーゴは、執務室で気が狂いそうな程に怒りを抑えることに徹していた。
部下達から届けられる賊の頭領ヒイロの情報は、ユーゴの心配を大きくするばかりであったからだ。
「団長、ヒイロは何故一人で来たんでしょうね? はじめからサラさんを狙っていたとしても、子分たちを連れて来なかったということは、単独行動なんですかね」
ポールの疑問を問う言葉にも、苛々とした気持ちで答えるユーゴは、もはや怒りを隠そうとするのをやめたようだ。
「元々は金になるものしか盗んで来なかった盗賊だ。義賊だ何だと言われて、金目のものだけを狙って貴族や金持ちを襲っていたのだから。それが、何故サラを……」
タンジーのヒイロと、自分の妻であるサラの接点は考えてもユーゴには思い当たることはなかった。
「やはり、奴らを取り締まる騎士団の長である俺を恨んでいるのか……。それならば直接俺に来れば良いものを!」
ドンッと拳を落とされた団長執務室の机は、頑丈な木材で作られていたにも関わらず、メシメシと音を立ててヒビが入った。
「だ、団長! 落ち着いて! もうすぐ各地に散らばせてある騎士達からの報告がありますから!」
焦ったポールがそう言った途端、執務室の扉がノックされた。
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