第10話 ルネとプリシラ
「あら、懲りずに今日も来たの? 昨日は全て私が売ってあげたわよ。さ、今日もそれを寄越しなさい」
王城の入り口横の建物の影に隠れるようにして、プリシラはルネに詰め寄った。
だが、今日のルネは怯む事なく毅然とした態度で答えた。
「お断りします。今日は自分で皆さんにお渡しします。貴女のことは誰にも話したりしませんから。もうそっとしておいてください」
そんなルネの態度に驚きつつも、プリシラはワナワナと握り拳を震わせて声を荒らげた。
柔らかなウェーブを描く金髪は、ブワッと逆立ったように見える。
「何ですって⁉︎ えらく強気じゃない。ちょっとユーゴ様に気に入られているからって、調子に乗って!」
またプリシラはルネを突き飛ばそうと、足音を立てて近づいた。
しかしルネは逃げる事なく、真っ直ぐにプリシラの青い瞳を見つめる。
「どうして貴女はそんなに焦っているのです?」
ルネがそう口にすると、プリシラは一瞬目を見開いてから手を振り上げる。
次の瞬間、バチン! と乾いた音が響いて、右を向いたルネの左頬は赤く染まった。
プリシラも己の右手を掴んだまま、顔を赤く染めて歯を食いしばっている。
「焦ってなんかいないわ! たかがパン屋の娘のくせに! 私の父はユーゴ様の上官だったんだから! アンタがいくら擦り寄ったって、私とユーゴ様の未来は決まってるんだからね!」
頬は確かに痛んだが、ルネはこれでプリシラの気が済んで去ってくれれば
「あれ? ルネちゃん? ……と、プリシラ殿?」
そんな二人の背に、聞き慣れた副長ポールの声が届く。
しかしさすがのプリシラは、さっと表情を繕って振り返った。
「あら、ポール様! こんなところまで、どうなさったんですか?」
「いや、団長が『入り口にルネが来ているか見て来い』と言うもんだから……」
「そうでしたか! ちょうど良かった。ルネさんが具合が悪いみたいで。私が代わりにパンをお持ちしようかと話していたところなんですよ」
いけしゃあしゃあと適当な嘘を吐くプリシラに、ルネはどうしたものかと考えている様子。
下手な事を言って揉め事にすれば、ユーゴに迷惑がかかるのではないかと、すぐに口を開けずにいた。
「えっ⁉︎ そうなの? ルネちゃん、大丈夫?」
「ルネさんには、今日は帰って休むようにとお話していたところです!」
ルネが答える前に、プリシラはポールの前に飛び出して身振り手振りを合わせて弁明する。
「いや、それにしても……。団長が心配しているから、良かったら治療室で休んで行けばいいよ。腕の良い先生も午後からなら来てくれるから」
「……いえ、大丈夫です」
その腕の良い先生が、まさか目の前の人間と同一人物だとは思いも寄らないポールは、そう言ってルネを誘う。
「ほら、荷車は引いて行くからさ、団長のところまで行こう」
「でも……」
緑色の優しげな目を細めて、ポールはルネに手を差し伸べる。
「ポール様! でも、ルネさんはパンを売れる体調ではなさそうですわ!」
そんな様子に慌てたプリシラは、ルネを心配するような言葉を選んでポールへ抗議する。
「それなら、またプリシラ殿がパンを売ってくれますよね?」
「え……っ?」
「やはり優しいなあ、プリシラ殿は。ルネちゃんの為にそこまで熱心になれるなんて」
「……ええ、まあ」
「それでは、ルネちゃん。心配してる団長のところへ」
結局、何故かポールが荷車を引いて、プリシラとルネはその後ろをついて歩いた。
途中プリシラは何度もルネに口をパクパクさせて、何か言いたげにしていたが、本当に何が言いたいのか伝わらなかった様子のルネは、首を
「団長、ルネちゃん連れて来ましたよ。なんか体調が悪いらしいです」
駐屯地に入るなり、腕を組み仁王立ちして待っていた様子のユーゴにポールが報告する。
途端にユーゴは姿勢を崩し、ルネの方を見やる。
「大丈夫なのか? 昨日来なかったのも、体調が悪かったのか?」
顔は相変わらず無愛想であったが、ユーゴの声音は心配している様子が伝わる。
「あ……、はい。実はそうなんです」
ルネにプリシラの事を伝える気は無かった。
彼女は、何よりもユーゴを困らせたくないのだ。
「今日のパンは昨日に引き続き、プリシラ殿が代わりに売ってくれるそうです。それで、午後には先生が来るじゃないですか? だからルネちゃんを診て貰えばいいかなって思うんですけど……」
そんなポールの提案に、ユーゴは大きく頷いた。
実はこの国には薬師が少ない事もあって、王城に勤める者や市井の民も治療を受けられるよう、騎士団の治療室は一般に開放されているのだ。
「それがいい。先生は腕の良い薬師だから、すぐに良くなるはずだ」
パン屋のルネの姿で、もう一人の自分である薬師のヴェラの事を褒められて、ルネは気恥ずかしい思いであった。
「ありがとうございます……」
そんなルネとユーゴのやりとりを、プリシラは凍てつくように冷めた目で見ていた。
そしてこれ以降、パン屋のルネが駐屯地にパンを売りに来ることはなくなったのである。
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