第七章 疑惑と容疑
第25話 秘密のやりとり
「やはりあの盗聴器と受信器、いや中継器か。あれを外したのがバレて、痕跡を消そうとしているのでしょうか?」
「その可能性はあるな」
年配の刑事が頭を掻きながらぶっきらぼうに答える。
このしゃべり方は聞く人を安心させようとする力強さも感じさせる。頼りがいのある声だ。
「それなら彼女の部屋と僕の部屋のドアに『盗聴器と中継器は警察が押収しました』とでも書いたらどうでしょうか。それならあきらめるんじゃないですか?」
少し悩んでいるようだ。
「どうかな? 盗み聞きの趣味があるようなやつだ。強引に盗みに入ったふうを装って、また仕掛けに来る可能性のほうが高いと見るが……」
「その現場を押さえるわけにはいかないんですか?」
「警察も今は人手が不足しているからな。事件がこれしかないのであればそれもできるんだが」
そういえば犯罪の数に警官の人数が足りていないとニュースで見たっけ。すでに高度経済成長期の治安のよさは期待するべきではないのかもしれないな。
「それなら柴田の居場所を先に特定しましょう。いつ現れるか待ち受けるより、あいつを捕捉しておいて泳がせて現場を押さえるんです」
「なるほど、その手があるか。おい、やつの住所はどこだ」
若い刑事が手帳のページをめくっている。
「あんた、なかなか頭がいいな」
「これでも来月から部長になるんですよ」
「へえ、うちでいうと警視あたりだな。その若さで部長か、たいしたもんだ」
手帳を見ていた刑事がスマートフォンで地図アプリを立ち上げている。そして現在地と目的地を俺たちに見せた。
「ここから直線距離で五十メートルほどの距離にある、木造アパートに住んでいるようです」
警察もそこまで無能ではなかったか。あらかじめ不審人物の居住地は把握しているんだな。これなら待ち伏せよりも追いかけたほうが効果が高いだろう。
「つまり中継器の電波が届く範囲に引っ越していたってことか。相手もなかなか抜け目がないな。だが女性との秘め事を盗み聞くのが密かな楽しみってやつだ。遵法精神は期待できんぞ」
「それで
「そんなところだ。それにへたをすると柴田が脅して盗聴器や中継器設置の手伝いをさせられかねない。また盗聴音声であんたの弱みを知らしめて、こんな男より俺と、ってやつかもしれんな」
「脅されるのだけは避けたいですね」
「だから彼女の仕事先や連絡先を知りたかったんだが。管理人に聞いてみたが、入居時の会社は広告代理店のアルバイトだったらしくて、連絡先も固定電話だったから捕まえられないんだ」
「すみません。私がきちんと聞いていたらよかったのですが」
どうも
「まあこれから付き合いましょうって段階で、相手に仕事先や連絡先を教える女っていうのもまずいないとは思うがね」
やはりこれから付き合おうって段階で個人情報をすべて教えるなんて現実的ではない。婚約内定くらいに関係が深まらなければそこまでは教えてくれないだろう。
「なにか彼女、実在感が薄くて今にも消え入りそうなんですよね。だから付き合おうってなったときに、彼女が嫌がりそうだったので聞けなかったんです。すぐに消えてしまうかもしれないって」
「実在感が薄い、か。それ、本当に彼女の本体か?」
「本体?」
「もしかしたらあんたは影の部分を見ているのかもしれんぞ。きちんと実体を見据えて付き合わないと、いずれ実体からも飽きられてしまいかねんな」
「実体……ですか……」
「まあ実際に会ったことのない俺が言ったところで説得力なんてなかろうがな」
「いえ、いろいろと参考になりました。ありがとうございます」
年配の刑事は去り際に振り返った。
「じゃあ管理人のいる玄関ホールに制服警官をたびたび寄越そう。これでやつの注意をそちらへ向ける。そうして網を張ってベランダから侵入したところをとっ捕まえるとしよう」
「お願いします」
「あと、お隣さん。彼女になったんなら仕事と職場くらい聞いといてくれ。それで逃げられそうならそこまでの間柄。結婚なんて夢のまた夢だ。守ろうにも居場所がわからないと守りようがないしな」
「わかりました。今回の件もありますし、彼女と連絡がとれ次第職場と連絡先を聞いておきますので」
「それで、その盗聴野郎はその後どうなったの?」
「まだ今朝の話だからな。捕まえたら連絡をくれるらしいけど、ただ盗聴器や中継器を持ち歩いているだけでは逮捕できないらしい」
「なんでよ。盗聴って犯罪でしょうに!」
「まあ自室に仕掛けて防犯用って言い逃れられるらしいからね。他人の部屋に仕掛けたところを押さえるしかなんだってさ」
真弓は怒り心頭である。自分の
「俺だって早めに逮捕してほしいところだけど、前に仕掛けられていた盗聴器の指紋だけでも逮捕できないらしいんだ。現行犯でないと捕まえるのは難しいらしい」
「日本の法律ってどうなっているのよ。盗聴し放題。盗撮し放題。昔、赤外線カメラってやつあったわよね。あの服や水着が透けるやつ。あれだって情報通の間で話題になっていたのに、被害者が指摘してもメーカーはなかなか対処してくれなかったし。そういうやつをまとめて処罰する法律作ってよ」
「俺だってそう思わないでもないけど、政治家じゃないからなあ」
真弓が耳元に寄って小声になっている。
「でも、理乃さんの声だって聞かれているんでしょう?」
「可能性としてはあるだろうね。真弓の後で、取り外す前の話だから」
「それでよく落ち着いていられるわね。理乃さんときっちり話し合って、対策を練らないとヤバいわよ」
「もしやつが録音していて、彼女を脅しに来たら、と思うとね」
「それはまずいわね……」
「まあ声だけで理乃さんを特定するのは不可能だろうけど、俺が名前を呼びかけていたかもしれないしな」
「あなたってそんなに弱っちかったっけ? もっとオレがオレがのガツガツ系だったはずよね」
「相手に合わせてキャラを変えているからな。彼女の場合、名前を呼ばれたがっていたから。俺は致しているときに相手の名前は呼ばないとは思うけど……」
「けど?」
「実際致しているときの音声を聞かないと断定はできない……かな?」
「かなあ? よくまあのんきにそんなことが言えるわね」
真弓の反応がどんどん過剰になってきている。ここは少し落ち着けないと話が前に進まないだろう。
「それで、できればでいいんだけど、理乃さんとまた三人で会えるように取り計らってほしいんだけど」
「了解よ。こっちも盗聴野郎をぶちのめしたいからね。なんでも協力するわよ」
「いや、その協力をしてほしいんじゃない。
「まあこちらふたりはすでに淑女協定を結んだと勝手に思っているから、ノープロブレムだと思うわよ」
真弓が胸をかるく叩いてきた。「万事お任せあれ」のポーズである。
「ええ、私も喜んで協力しますよ」
「理乃さん本当にいいんですか? へたをすると録音で脅されかねないんだけど」
「私は高石さんと寝たことを恥とは思いませんので。なにかあったら責任はとっていただけるのでしょうし」
「あら、結婚する武器になるわね。それなら私も録音されるんだったわ」
「真弓まで」
ふたりは顔を見交わしてにんまりしている。これが淑女協定なのか。屋上のベンチでランチを食べながら仲睦まじく話していた。
「でも、
「それまでに片がついてほしいんだけどね。
「……高石さん、おやさしいんですね」
「ま、それが雄一のいいところなんだけどね」
改めて言われると赤面するしかない。だが今はそんなときではない。きちんと説明するべき事柄があるのだ。
「いちおう刑事さんが
「あなた、そんなことも知らなかったの? 付き合おうって人が」
仕方ないだろう。聞けるような雰囲気じゃなかったんだから。
だが真弓の言うとおり相手のことを知らずによく付き合えるものだな、と思わないでもない。
「……まあそれだけたいせつな方ってことかしら、高石さんにとって」
「そうですね。いろいろと弱いところを見てしまいましたから、支えられたらと思っています」
「私も弱いところを見せたら付き合ってもらえるのかしら?」
「真弓とは付き合いが長すぎるくらいだと思うけど? もう腐れ縁ってくらいに」
「なんだとお、私たちは盟友じゃなかったのか!」
こういうやりとりがすでに腐れ縁のような気がするのだが。まあここでそれを言っても泥縄になるだけだろう。
「そういえば彼女、遊園地のお化け屋敷が苦手らしくて」
「……お化け屋敷、ですか?」
理乃さんの反応がやや鈍っている。
「まあ苦手というかトラウマになっているみたいなんだけど……」
「それなら今度の日曜、そのお化け屋敷を体験しに遊園地へ行きましょうか、理乃さん」
「……いいですけど、男の方がいらっしゃらないとお化け屋敷はちょっと……」
「あれ、坂江さんももしかしてお化け屋敷が駄目なタイプですか?」
やはりお化け屋敷が苦手な人なのか。無理に連れて入ると泣かれてしまうだろうな。
「小学校以来行ったことがないんですよね。この歳になっても頼りがいのある男の方に守られないと不安が先に来ます」
「じゃあ雄一に連れていってもらいましょうか。その泣くほど怖いお化け屋敷ってやつに」
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