第22話 ビアガーデンにて

「高石課長、内線にお電話です。〇〇二七番、坂江取締役です」

 就業時間が終わろうとする頃、彼女から電話が入った。

 携帯電話にしてくれてもよかったのだが、職務の形を装って注意を惹かないように工夫しているのだろうか。


「はい、高石です」

「坂江です。これからこちらに出頭願えますか? 岡田秘書室長もいらっしゃるとのことです」

「かしこまりました。ではどちらに出頭すればよろしいでしょうか」

「私の執務室にいらしてください。常務執務室の隣のエリアを借りておりますので」

「それではすぐにそちらへ伺います。はい、では失礼致します」

 電話を置くと、すぐに帰宅の準備を整え、総務企画課を飛び出した。

 この手際のよさは秘書室長の入れ知恵か、理乃さんの発案か。


 エレベーターに乗って取締役フロアに到着した。

 正面が常務執務室で、その右隣のブースに理乃さんの執務室が整えられていた。

 秘書室の中にひとり女性が残っていた。彼女がここの室長ということのなるのだろうか。隣の常務秘書室に比べれば華やかさでは劣るが、外部の取締役だから連れてくるにしても大勢というわけにもいかないだろう。秘書室のブザーを鳴らした。

「坂江取締役から出頭するよう仰せつけられた、総務企画課の高石です」

「はい、取締役から承っております。こちらで少々お待ちくださいませ」

 案内された椅子に座ると、秘書が執務室に声をかけた。

「坂江取締役、ご予約の高石課長が参っております」

「お通ししてください」

 かしこまりました、と答えた秘書がドアをノックする。

「高石課長、こちらからお入りくださいませ」

 そのドアを開いた。すると理乃さんが秘書に声をかけてきた。

「ありがとう。じきに隣の常務秘書室長がお見えになるので、彼女にいろいろと案内していただきます。そうしたら、あなたはもう帰ってかまわないわよ」

 そのとき秘書室のブザーが鳴った。

「すみません。予約を入れていた常務秘書室の岡田と申します。取締役へお取次ぎ願います」

 秘書が入り口へ駆けつけて、真弓を案内してくる。

「お早いお着きで、高石課長」

「取締役からお呼びがかかれば、飛んでくるのが社員というものですよ」

 と形ばかりのあいさつを交わす。

「それではおふたりに付近のお店を案内していただきますので、あなたも帰ってくださいね」

 と理乃さんが言うと、率先してエレベーターへ歩きだした。




 オープンしたばかりのビアガーデンにやってきた。

「朝のお話では、一般の女性の方とお付き合いすることになったとか……」

「はい、まあ仕事が忙しいらしく、あの話をするのも九月以降になりそうです。以前から仕事で部屋に帰ってこない日があるようでしたが、ここひと月半ほどはかかりきりになるようですね」

「それでまだ相手の方の了解はとれていないのですね」

 理乃がやや残念そうな顔を浮かべている。


「だからその話が出たときに強引に押し込めばよかったのよ、雄一はこういう押しが弱いのよね。夜のほうは積極的で押しが強いのに」

「真弓さんも経験者なのですね」

「会社では私が最初なんですって、ねっ雄一」

「俺の初めての話はいいだろう。それより理乃さん、どんなお話があるのですか? 課長の私で解決できることならよいのですが」

 話の方向を逸らした。

 俺の話をするために呼ばれたはずはない。ある程度のことは一夜をともにする前にあらかた話してあるからだ。

「その一般の女性について教えていただきたくて。真弓さんとは日頃からいろいろ話せますから、どのような方なのかはわかっていくと思うのですが。社外の人のことはわかりませんので」

「個人情報になるからなあ」

「いいじゃないの。ライバルなんだから、私たちには聞く権利があるわ」

「困ったなあ」


 確かに「付き合おう」となったからには、他に気になるふたりである真弓と理乃さんは彼女の最大のライバルになるはずだ。

 だが紡木つむぎさんはまだふわふわと漂っているような雰囲気であり、へたに話すと逃げていくような気がしていた。だからふたりに話すのも控えたいくらいなのだ。

 しかし真弓はともかく、理乃さんも気にしているとなれば、ふたりにはある程度話しておく必要があるのかもしれない。


「わかりました。ふたりはライバルですから、知らないのは不公平かもしれませんね。ただ彼女はまだふたりの人となりを、名前すら知らないので、そこだけはご理解ください」

 ふたりを顔を見合ってうなずいた。

「その女性、名前は紡木つむぎ優子さんと言います。年齢や職業はまだ聞いていないのですが、仕事第一というタイプだと思います」

「仕事第一、ね。私は雄一第一だわ。理乃さんもそうですよね?」

「私はまだそこまでは……。役職も重いですし、私生活を優先できるほどの裁量も持てておりませんので……」

 取締役なのにまだ裁量がないのかな。理乃さんってかなり上昇志向が強いのだろうか。

「平の取締役なんて、取締役会ではまだまだ使いっぱしりですわ。やはり常務・専務・社長・会長といった役職がないと自由には動けないものなの」

「そうなんですか。うちの常務は平のときからズバズバ言っていたわね」

「あの人は地位に頓着とんじゃくする人じゃないからなあ。あのくらい懐が深くなれば出世も早いのかな?」

「確かに雄一もあれくらい図太くなったら、もっと出世するわね。あの常務、学生結婚の割に、昔は雄一と一緒で女子社員へ手を出しまくっていたらしいわよ」

 それは初耳だった。

 俺たちが入社してからはそんな話を聞いたことがなかった。


「私が秘書に抜擢されたのも、そちらの誘いがあったのよ。でも私は雄一以外は駄目って言ったら引き下がったわ。プレイボーイだけど物わかりはよいほうね」

「じゃあ私が彼の隣のブースにいるのもそのせいなのかしら」

「あ、それは心配しなくてだいじょうぶです。俺はもう立たないからって言ってましたから」

「あら、そうなんですの。それならひと安心かしらね」

 デパートの屋上にあるビアガーデンだからといって、こうもずけずけと性の話をされると面食らってしまうな。

 女性の話に男性は踏み込まないほうがよさそうだ。


「雄一だって、いつ立たなくなるか。若い頃から励んでいると、枯れるのも早いらしいわよ」

「真弓、おまえなあ。男は還暦過ぎても子孫を残せるんだぞ、立たないとか枯れるとか以前の問題だ」

「雄一、声が大きい。こっちは女性なんだから遠慮くらいしなさいよ」

 自分たちで盛り上がっておいて、責任は俺がとらされるのか。なんか情けなくなってきたな。

「それで、その紡木つむぎさんについてですが」


 理乃さんが気を利かせてくれた。真弓のようにズバズバ言う女性は心地よいが、こちらに配慮を欠かさない女性は安心して任せられるな。

「彼女、元カレが死んでヤケになっていたときによく似た俺を見かけて、隣に引っ越してきたんだそうです。運が良かったんでしょうけど。で、いざ隣に住んでみると、俺が女性と致している声が筒抜けになっていたんですよ」

「えっ、筒抜けですか? まさか私の声も聞こえていたのかしら……」

「あ、理乃さんはだいじょうぶです。あの日彼女は怒鳴り込んできませんでしたから」

「怒鳴り込む?」

「元カレに似ている俺がズコバコ致しているのが気に食わなくて、翌朝になると怒鳴り込んでくるんです。それで彼女が仕事で不在な日があるとわかったんですけど」

「それなのに彼女が急病か自殺したんじゃないかと勘ぐって部屋に押し入ったのよね」

 言い方にトゲがあるが先に進めよう。


「いいだろ、心配になったんだから。それにおかげで盗聴器も発見できたんだから」

「盗聴器……ですか……」

「ええ、俺の部屋のベッドに三つと室内に三つの計六つ仕掛けられていました。彼女の部屋に受信器が六つ」

「ということは彼女が盗聴していたんですか?」

「いえ、前の住人の柴田という男が犯人でしょう。彼女は私の部屋へ入ったことがありませんから」

「合鍵を作ったり、留守中に鍵屋さんに開けてもらったりとかはないんですか?」

 取締役ということもあるのか、理乃は心配そうな表情を浮かべている。


「そこまで疑う必要はないでしょう。いくら元カレに似ているからって、そこまでするような女性じゃないですよ」

「……信用されているのですね」

「私たちもそのくらい信用してほしいものね。なぜ紡木つむぎさんのことをシークレット扱いにするのよ」

「彼女は壊れやすいガラス細工なんだよ。お前みたいに神経がゴムで出来ているほど強くはないの」

「誰がゴム人間ですって!」

「まあまあ真弓さん落ち着いて」

「落ち着けるネタじゃないでしょ! ゴム人間は雄一のほうじゃない! スキン付けてるんだし!」

 そういう問題かよ。


「雄一さん、あなたの中で今の順位付けとかなさっていますか?」

「順位付け……ですか? 考えたこともありませんでした。まあ今は皆一緒、スタートラインに立っているような感じかな」

「まったく差がない、ということですか?」

「心情的には紡木つむぎさんが気になっていますが、だから有利、というわけでもありません」

「だから紳士協定、というより淑女協定と呼ぶべきかしら。それは取り決めておきたいのよ」

 それが三人集めて真弓がしたかったことなのか。



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