第8話 服の脱ぎかた
呉羽はスーツの懐から懐中時計を取り出した。それに目を落としながら言う。
「わたくしの身の上話などこのへんにしておいて、そろそろですな」
「なにが?」
「セロトニン濃度の回復です」
「あん?」
ずるり、と万筋服の形が崩れた。直後に身体を締めるような圧迫感があったかと思うと、万筋服は消え失せてしまった。
「わお!」
慌てて股間を隠す。
服がすべて破けてしまったため、俺は一糸まとわぬ姿だった。真っ裸だ!
服の残骸が散らばっているのに気づいたが、こんなもんどうしようもない。
呉羽は眉一つ動かさずに言った。
「怒りを持続させるのは難しいことです。怒りが消えたあと、セロトニンの割合が通常の状態に戻ると、万筋服もまた丈さまの体内へ戻ります。脱ぎようがなかったら大変でございましょう?」
「お、おう。わかったからなんか着るもんくれよ」
「ここにはありませんな」
「なんだと! 人を素っ裸にしておいて!」
身体がカッと熱くなり、汗が吹き出るような感覚。俺は再び万筋服に包まれていた。
「なかなかお上手ですな。その調子です」
「褒められてる気がしねえ!」
「怒りのコントロールは人生において重要とされます。丈さまと一体化した万筋服は、もはや人生そのものといえましょう」
「くそ、なんてこった。こんな俺でもヒーローになれるんじゃないかとちょっとは期待したのに……」
呉羽の目がきらりと光ったような気がした。
「なれるではありませんか。丈さまの望むままのヒーローに。万筋服にはそれだけの力があります。わたくしめも丈さまと万筋服の活躍は心より楽しみにしておりますよ」
「状況説明したり感謝されたりしてるあいだに真っ裸だぞ! そんなヒーローいるか! こっちが逮捕されるわ!」
「では状況説明などせず、感謝を受ける間もなく姿を隠すことですな。それでもヒーローであることには変わりますまい」
「つまんねえなー! ヒーローの醍醐味がねえじゃん!」
「ふむ。そんな小さい器ではヒーローは務まりますまい」
「くそ!」
「どう使うかは丈さまのご自由にされてかまいません。修練を積めば万筋服を自在に使いこなせるようになるでしょう。大吉さまよりの遺産、確かにお渡ししましたぞ」
「なんか金目のものはないの? このほかに」
「わたくしはじつのところ金策が得意でございますが、それはあくまでわたくしめの研究費用ですので。万筋服が完成したといっても実用はこれから。まだまだ研究費用は要ります」
「俺、金ないんだよね」
「知っております。しかし正しい行いをすれば拾う神もありましょう」
「つまんねえAIだな! 金があるなら放ってよこしゃいいじゃねえか」
「お断りいたします。さて、楽しいおしゃべりもここまでにしておきましょう」
「俺は期待はずれだったよ! 予想外すぎた!」
「この現代日本ではありえないことですが、万が一戦闘などで万筋服が大きく損壊した場合などは再びお力をお貸しすることもあるかもしれません。もっともその場合に丈さまがご存命なればですが」
「おいおい物騒なこというなよ……」
呉羽は胸に手を当てて一礼した。
「いざさらば」
周囲が暗くなってサロンが消え失せた。
気づけば俺は埃っぽい倉庫に立ち尽くしていた。
狐に化かされたような話だが、黒光りする万筋服が俺の身体を包んでいる。現実だ。
俺は拳を作って眺めた。
「超人の力か……」
拳の形が歪んで崩れた。万筋服が俺の身体に染み込むように消える。俺は再び真っ裸だ。
くそ! セロトニンが忌々しい!
むかっ腹を立てたら万筋服が復活した。
なるほど。だんだんわかってきた。怒りの対象はなんでもいいんだな。
だからといって家まで無事に保たせることは無理だろう。途中で怒れなくなったら一大事だ。叔父の服が外に干してある。それを拝借したほうがよさそうだ。
親戚から服を盗んでこそこそ逃げる男、ここにあり。
俺は本当にヒーローになれるだろうか。
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