第5話 どうなっちゃうの

 泰道くんが図書準備室から出ていくのを確認した後、


「うはぁー。緊張したぁ」


 翼は崩れ落ちるように、椅子にぐでんと座った。


「でも、泰道くんが優しい人でほんとによかったぁ」


 しみじみと呟くと、自然と笑みがこぼれた。


 和沙を救ってくれたことについてのお礼と、ビンタをしたことについての謝罪をしなければいけない。


 そう思った翼は、今日ここに泰道くんを呼び出すことにした。


 だけど、相手は同じクラスなのに一度も話したことがない相手。


 無口な人だという印象を、一方的に持っていた相手。


 そんな人と二人きりにならなければいけないのだから、緊張や怖さを感じないはずがない。しかも泰道くんは昨日、和沙にひどいことを言っている。もしかしてものすごく嫌味な人ではないのか。自分も罵倒されて傷つけられるのではないかと、翼は気が気ではなかった。


 でも、すべて杞憂だった。


 泰道くんは本当に素敵な人だった。クラスメイトたちと話している時と同じようにボケた後も的確な返しをくれたし、会話もかなり弾んだ。和沙にひどいことを言った真意もわかった。


 誰かのために行動できる人が優しくないわけがない。少々口が悪いところはあったかもしれないが、あれはもしかしてツンデレってやつ? そう考えると本当に、泰道くんは、本当に……。


「こんな私なんかより……ずっとすごいや」


 椅子の上で膝を抱えて小さくなる。クラスでの立ち位置を気にして、いつの間にかできあがっていた聖澤翼というイメージから逸脱することを極端に怖がってしまう。どこに本当の自分がいるのかわからないまま、毎日を過ごしている。


 聖澤翼を演じる、という感覚を持ったままずっと生き続けるのか。


 そんな不安が、いつだって翼の目の前をちらついている。


「どうして私、こんな」


 そう呟いた時、お腹が疼いた。


 痛いともかゆいとも違う、奇妙な感覚。


 生理痛もつらいけれど、生理痛の方がはるかにましだ。


「またきたよ、こいつ」


 翼は扉の鍵が閉まっているかを確認してから、お腹が見えるようにセーラー服の上を脱いだ。


「昨日より、広がってる」


 真っ赤なブラの下、翼のお腹は砂で覆われていた。人差し指でなぞると、ざらざらとした感触がする。いつからこうなったのかはわからない。気がついたら、おへその周りが砂で覆われており、それは日に日に翼の体を侵食していた。


「なにこれもう。なんなのこれは」


 言いようのない恐怖を感じる。自分はどうなってしまったのか。どうなってしまうのか。こんなわけわかんない症状、どうしていいのかわからない。怖くて両親にも同級生にも打ち明けられない。お腹が砂になったなんて冗談としか思われないだろうし、実際に見せたらきっと引かれる。軽蔑の目で見られる。おかしな子だって思われる。もしかしたら、政府の医療機関に連れ去られ、研究という大義名分のもと、いろんな人に体を調べ尽くされるかもしれない。


 なんて、荒唐無稽な考えまでもが頭をよぎる。


「幻覚であれよ幻覚であれよ幻覚であれよ」


 お腹を両手で押さえつけながら、呪文のように何度も唱え続ける。冷汗が脇の下から流れ落ちていくのがわかった。悪寒がする。体が震える。呼吸が短くなる。


「幻覚で、あってよ」


 翼はその場に力なく座り込む。そばに落ちていたセーラー服を抱きながら涙を流す。


 怖い。


 怖い怖い怖い。


 私はどうなっちゃうの。


 誰か教えて。


 もうどうしていいかわかんないよ!


 こうして泣くのは何度目だろう。


 体が砂で覆われていくという謎の症状に対する恐怖よりも、その恐怖を独りきりで抱えこまなければいけないことの方が何倍も怖かった。

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