第三十七節

 朝靄立ち込める山の斜面に、連なる丸太が姿を現した。

 その城壁は、石造りの城壁と比べればいかにも頼りないように見える。だがこの地は峻険な山の中腹に位置しており、その壁と門は、切り開かれた唯一の間道を塞ぐように構ええられている。

 山肌の通りを、ゆっくりと近付いてくる影がある。

 白地に黒十字のサーコートがはためく。板金を取り付けた鎖帷子メイルアーマーで全身を覆い、皆各々に得意とする得物を担いで、チュートン騎士らがその先頭を行く。

 ドイツ騎士団だ。

 その中腹には彼らを統べる騎士団総長ザルツァのヘルマンが、ひと際どっしりとした威風を示している。

 彼らは砦から少し離れたところで行軍を停止すると、ヘルマンと何かしら言葉を交わしたアルフレードがただ一人進み出ていった。砦の城壁に身を隠す守備兵たちがざわめき、その陰からそっと様子を伺ってくる。


「砦にこもる叛乱軍に告げる! 今すぐ武器を置き、王命に服せよ! 陛下は諸君らに寛大な処置を約束するだろう!」


 しんと静まり返っていた砦から、ややして罵声があがった。

 兵士たちは口々にフェデリコの非を鳴らし、もはや騙されぬと気勢をあげる。最後には守将らしき男が現れ、アルフレードの手前に矢を射った。

 彼は矢を見下ろし、苦虫を噛み潰したような顔で戦列へと後退する。


「やっぱりダメだ。奴らまだ士気旺盛で、とても降る降らないなんて話じゃない」

「そのようですな……ならば手筈通りに」


 ヘルマンが手を掲げて部下に指揮を伝達する。

 騎士たちは頭を覆う円筒の大兜グレートヘルムを被って革帯を締め、背負っていた盾や得物を構えて祈りを捧げる。


「全隊、前へ!」


 ヘルマンが号令を発する。

 ドイツ騎士団を含む完全武装の騎士はおよそ二百人。その背後には軽装の兵士らが同じく二百人ほど続き、弓矢を手にしている。彼らはヘルマンの号令に従い、ゆっくりと接近を開始した。

 ある程度の距離まで近づいた段階で、砦からざあっとざわめきが起こり、矢が放たれた。

 だが騎士らは重武装で身を固め、十分な経験を積んでいる。守りに徹した彼らにとって、遠距離からの射撃は怖れるに足る攻撃ではなかった。彼らは盾を掲げてこれを防ぐと足を止めずに前進していく。


 わっと鬨の声があがった。

 仲間の盾に守られながら、梯子を持った者がにわかに突進した。

 数人がかりで掲げた梯子を砦目掛けて立てかけた彼らに、上空から矢が降り注ぎ、小岩が投げ落とされる。だが味方の側も、後方に待機していた弓隊が前進して矢を射かけて守備隊を牽制する。

 城壁の守備隊が思わず首をひっこめ、一瞬反撃の手が緩んだ。


「行け! 掛かれぇ!」


 ヘルマンが剣を抜き振るう。

 足場を支えられた幾つもの梯子めがけ、騎士たちがわっと飛びついた。先鋒を切ったのはアルフレードだ。

 彼は盾を掲げたまま右手で自らの身体を持ち上げ、足場を蹴るようにして城壁目掛けて駆けあがっていく。慌てた敵兵が矢を放つが、その殆どは彼の盾に防がれ、残る矢も彼の板金を弾くに留まった。


「おぉぉぉっ!」


 最上段まで駆け上ったアルフレードが右手を梯子から離し、腰から剣を抜いた。抜き打ちに切り払うと、彼は血を吹きながら砦の内側へと落ちていった。

 短い剣を手に兵士たちが切り掛かってくるが、彼は二人を同時に相手どって剣で払い、敵をじりじりと後退させていく。そうしてさらに梯子を踏み込み、丸太の城壁を踏み越えようとした時だ。城壁の足場を揺らして、新たな敵が姿を現した。


「アルフレード殿、あれを!」

「なにっ……!」


 背後の騎士が城壁の端を指さす。

 その敵はアルフレードやチュートン騎士たちと同じように重武装でその身を固めていた。大兜グレートヘルムからくぐもった雄叫びが響く。敵の重戦士が剣を振りかざし、襲い掛かってきた。

 剣と剣が打ち合わされる鈍い音。

 アルフレードは返す刃を振るって敵の肩を打つが、鎖帷子メイルアーマーを切り裂くには至らない。

 ならばと刺突によって鎖を貫こうとするが、これもその刃で鎖帷子メイルアーマーの表面をこするに終わった。このように狭く限られた姿勢では、思うに任せて武器を振るうこともできない。


「ちぃっ!」


 二合、三合と剣を打ち合わせる最中、彼は咄嗟に盾を振り回した。

 その先端が敵の騎士の胴を突き、敵の姿勢を崩す。その一瞬を見逃すことなく、彼は全力で剣を振るった。がつんと鈍い音がしてグレートヘルムを叩き伏せ、敵はふらりと後ずさるように足をもつれさせると短い悲鳴と共に砦の中へと転がり落ちていった。


「動きが鈍いんだよ!」


 改めて剣の柄を握りなおし、城壁に乗り込もうと試みる。

 だがその前に現れたのは二人目、三人目の重戦士だ。彼らは木造の足場をみしみしと鳴らしながら突進してきて、アルフレード目掛けてやたらめったらにメイスを振り下ろす。

 見ればどの梯子を前にした足場にも、そうした敵が次々と現れ、攻め手を押し返しに掛かっている。


「くそっ、どこから装備を調達しやがった!」

「無理です! これ以上は進めません!」


 隣の梯子で盾を掲げた騎士が大声をあげた。

 彼も味方の騎士も、重武装の敵が次々と行く手を阻み容易に前進しかねた。彼らはその装備を十分に使いこなせているとは言えなかったが、それでも鎧袖一触というわけにはいかない。

 先ほど彼が叩き落とした敵も、兜そのものを叩き割った訳ではない。おそらくは致命傷を受けていないはずだ。

 このまま一進一退の攻防が続くかと思われた矢先、背後から喇叭が吹き鳴らされる。

 後退の合図だった。




 フェデリコが白い息を吐き、塔から山を一望する。

 彼女の軍は山に分け入る手前で進軍を停止していた。叛乱軍が最初に占領した砦だ。

 砦には死体だけが残されていた。殺された城兵は代官共々砦の外に打ち棄てられており、木造部分も焼き払われていたが、一旦はここを仮の陣と定めて兵を休ませた。

 ヘルマンとアルフレードが塔を上がって来る。

 その足音に振り返る彼女の隣に、エメスの姿は無い。


「偵察ご苦労。彼らの様子はどうだ?」


 フェデリコが問い掛けると、ヘルマンはゆっくりと首を振った。


「守りを固め、打って出るつもりは無いようです。それより気になるのは、敵の装備の件ですな」

「装備が? 何かあったのか」


 フェデリコは最初、彼らに弓の使い手が多く、それに苦しめられているという話かと考えた。だがここで言っているのは何よりその正面装備の質の高さだった。


「我が方の騎士と同じような完全武装の敵が大勢見られました。これはどうにも、砦の武器庫から奪った武器だけとは思えません。どこかで新たに調達したと考えるべきでしょう」


 ヘルマンの言葉に、フェデリコは表情を曇らせた。


「だが彼らにそれほどの金は無いはずだ。土地や次の収穫を担保とするにせよ、成功するかも解らん叛乱にそんな前貸しをする商いがあるとも思えないな……」

「しかし、現に敵の装備は十分でした。直接やりあった感じだと間違いないですよ」


 アルフレードが口を挟む。

 フェデリコはちらりと山へ視線を向けると、顎に手をやった。


「となると、意図をもって支援を請け負ったやつがいるか……ヘルマン、敵の戦力をどう思う?」

「士気旺盛ですが、練度はこちらが上ですな。やれと命ぜられれば、突破はできましょう」


 それでも、抵抗は続くだろう。敵は士気にも地形にも恵まれている。抵抗の拠点をひとつずつ力攻めすれば、結果は自ずと明らかだった。


「先に息切れするのは我々か」


 山を見つめたまま、フェデリコは呟いた。




 山間部へ撤退した叛乱軍は橋を焼いて渓谷を封鎖し、集落の周りには空堀と丸太壁を築いて防御を固めている。初戦の戦勝もあってフェデリコの下には少なからず諸侯が参陣したが、それでも戦力は一千人を越したところだ。

 叛乱軍は下山して出撃することはなく、山伝いに南へ勢力の拡大を試みた。

 彼らは各地の集落に決起を呼び掛けて回り、対するフェデリコは地主や領主層を通じて引き締めを図った。

 結論から言えばこの駆け引きは一進一退、どちらかが全面的に勝利したとは言えないが、叛乱軍は全くの無から叛乱を起こしている。そのことを考えれば、そうした状況に持ち込まれている時点で、住民の心情はかなり叛乱軍側に傾いていると言えた。


 住民らが叛乱を決意すると、まず標的とされたのは大地主や荘園経営者などの在地領主らだった。

 多くの領主は叛乱の拡大に恐れを抱き、持てるだけの財産を抱えて逃亡するか、傭兵を雇い入れて自衛するかしたが、こと領主層の態度に関してムスリムか否かは態度の決定的な違いとはならず、彼らも殆どはフェデリコ――より正確に言えばシチリア王国側に着いた。

 というのも、領主層の多くは叛乱軍を荘園を侵す敵として警戒したためで、例外は私財を投げ打って叛乱に身を投じるごく一部に限られた。叛乱を指導するアリーの家系は地域の名望家、豪族といった類のものだが、全体から見れば例外に属するのである。


「諸君らの土地は私が必ずや取り返す。しかる後の再建は諸君らの領地経営に掛かっていると考えてほしい」


 不安そうな表情を並べる領主らは、フェデリコの笑顔と力強い言葉にとりあえず胸をなでおろしたらしかった。領主からを代表して要望が提出された後は、騒ぎもなく退席していった。

 フェデリコの傍らに控えていたヘルマンが髭を持ち上げてううむと唸る。


「シチリア王国では、官僚や領主にも異教徒を取り込んでいると聞き及んでおりましたが、なかなかうまく行かないものですな……」

「宗教的寛容と融和は、万能の霊薬アッリクシールではないのさ」


 第三代シチリア国王グリエルモが没してから続いた内乱の渦中では、ムスリムへの攻撃が顕在化したが、その刃は、大臣や官僚に登り詰めた上流階級ではなく、農奴や零細農家といった弱い立場により激しく向けられた。そもそも彼らの多くが痩せた山間部に遍在していること自体が社会的不均衡の表れではあった。

 いわば宗教的寛容と富を享受できた上流階級と比べ、彼ら下層農民は、うち続く内乱の中で、社会制度そのものに対する不信感を炭火のように燻ぶらせ続けてきたのだ。

 叛乱か恭順か。

 その複雑なタペストリーは、彼らの社会における階層対立と、見えている世界の違いを表していたのかもしれない。

 フェデリコは頬杖をついて、今しがた領主らが退席していった天幕の出口を見つめた。


「……彼らをどう思う?」

「味方は少しでも多い方がよい、とは思いますが、差し出された要望の内容を考えますと少々……」


 言葉を濁すヘルマンに、フェデリコが首をもたげる。


「ああ。叛乱の原因を理解しているのは限られるな」


 領主らは財産の保全や土地の奪還はもちろんの事ながら、叛乱によって生じる損害について、自分たちの農奴から土地を取り上げたり、無産奴隷に落として補填することを認めるよう要望していた。

 また彼らは、島外からの貿易商が荘園の農奴などから直接商品を買い上げにくることが彼らに余計な知識と財力を与えたと考えていた。

 つまり農奴や小作人が、地代を徴収に際して作物を物納するより、外部と商取引をして地代を貨幣決済できれば、もっと豊かになれると考え、結果として物納を原則とした領主層の地代徴収を法外なものとして敬う心を損なわせたと見なし、これを解決するために、農奴や小作人の部外者との直接取引を禁じ、商取引は領主に限るよう要望したのである。


「ここ暫くの物価上昇で荘園経営が苦しくなっていたところにこれだからな。焦っているのだろう」


 長年続いた内乱の影響は無論ある。だが何より、ここ数年の貿易拡大による伴う貨幣流通量の増大が、物価を押し上げ続けてきた。

 奇妙なことに、同じく農村に経済基盤を置く領主層と農奴層の間で、これに対する認識は大きく異なっていた。

 ヘルマンが顎髭に手をやりながら顔をしかめた。


「同じ農村に居を構える者同士でしょう。なぜそうも認識が食い違うのですかな」

「生活の違いと、商人側の利益が一致してるのさ」


 農村経済は基本的に自給自足だ。

 農民層の多くは、貨幣を消費する場面が限られている。一方で豊かな生活を送っていた領主層は、地代として徴収した作物を売却して貨幣に変えねばならず、物価上昇に応じて売却価格を上げようとしてきた。

 ところがそうなれば、商人らは農奴だ小作人だを問わず彼らと直接取引することで仕入れ価格を抑えようとする。

 だが彼らは市場価格を熟知している訳でもないし、その安価な卸値でも農民らには十分な現金収入となる。結果として安価な生産物を探す商人と現金収入の道を開かれた農民らが結びつき、一方で地方領主らの荘園経営はじりじりと悪化しつつあった。


「あの要望も、彼ら在地領主にしてみれば、正当な財産の回復ということだろうが……農民らをさらなる困窮状態に追いやるのでは、これから刈り取る叛乱を種にして蒔きなおすようなものだ」

「では、どうなさるのです」

「地代の貨幣での納入は認める。農民の直接取引も、禁ずるつもりはない。いずれ十年、二十年と経てば自由身分を買うものも大勢現れよう。生き残る領主は自らの才覚によって荘園を差配し、金の流れ道に組み込める者だけになるはずだ」


 フェデリコがはっきりと言い切って、ヘルマンは溜息をついた。


「大勢没落する者が出るでしょうな」

「だがなヘルマン、パレルモの市を思い出せ。私があの流れを遮ったところで、どこか別の土地で同じことが起こり、やがてはそこを起点に金の流れが広がっていくだろう……いずれ遅いか早いかのことなら、私は早めることを選ぶ」


 その彼女の横顔を目に、ヘルマンは森深きドイツの地を想った。

 彼はテューリンゲン方伯領のザルツァハ村に生まれた。青々とした森と湖に囲まれた美しい村で、十代半ばまでをそこで過ごした。

 ドイツの地にその流れが波及するのは、ずっと先のことだろう。だとしても、記憶の中にあるあの農村が抗いようもなく変質するのだと告げられて、心のざわめかない筈がない。


「荘園を打ち壊すとおっしゃいますか」

「私は王として――皇帝として民を直接支配する」


 フェデリコは答えた。

 古のローマを再びこの地上に現そうとするならば、皇帝と国家、国家と民は一直線に繋がっていなければならない。

 そのことは、フェデリコにとって絶対的な条件だった。

 だが荘園に住まう農民、即ちほどんどの場合農奴である彼らは、荘園領主の民であって国王の民でなく、


「帝国にはだ」


 故に、荘園は解体されねばならない。

 フェデリコは言外に告げ、自らの掌をじっと見つめた。

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