29.決闘
「昨日はどうしたの? 急にどこかへ行っちゃったからびっくりしたわ」
「……ちょっとね」
「あ、お父さんとは会えた? あの後探しに行くって言ってたけど……」
「父上が? ……いや、会えなかったね」
「そうなの? でも無事でよかったわ!」
「…………うん」
「……?」
レシウスの様子にファリスは違和感を覚えた。あれこれとシスカが話しかけるが、返答がどれも言葉少なくよそよそしい。
何より、今日会ってから一度も笑顔を見せていない。
流石のシスカも違和感を感じ始めた。
「レシウス、今日はどうかしたの? 具合でも悪い?」
「……シスカ、家名を教えてくれない?」
「アールストロムだけど……それがどうかしたの」
質問に質問を返されたシスカが若干むっとしつつも答える。
「…………父親の名前は?」
「ローガンよ。ローガン・アールストロム」
「……だよね。やっぱり、そうなんだね」
「もう、さっきから何なの? 今日のレシウス、ちょっと変よ」
「別に。ただ、まさか君たちがかの英雄サマの子だったなんてさ……」
「! それで驚いたってことね。ふふん、だから言ったじゃない。わたしのお父さまは最強だって!」
「うん、驚いたよ。それと後悔してる」
「え?」
「あの腰抜けの子なんかと馴れ合ってしまってたなんてね」
シスカの表情が凍った。
「…………今なんて」
「腰抜けって言ったんだ」
吐き捨てるように言うレシウスの瞳にはありありとした敵意と、そして憎悪が見て取れた。
「お父さまは腰抜けなんかじゃない!」
「いいや、腰抜けだよ。だってそうだろう? 大厄災の途中で戦線から逃げ出して、今じゃ領地に引きこもってる。これが腰抜けじゃなくてなんなのさ?」
「ふざけるなッ!! お父さまは逃げ出したりなんかしない!!」
レシウスの暴言に困惑はどんどん怒りに塗り替えられ、とうとうシスカが激昂して掴みかかるが、レシウスはシスカの腕を取って捻り上げた。
「あぐっ……!」
「姉さんッ!」
豹変したレシウスとのやり取りを呆気に取られて見ていたファリスも、流石に我に返ってシスカを助けようと飛び掛かろうとする。
「ふん」
「きゃッ……!」
「わっ……!」
同時に突き飛ばすように解放されたシスカを受け止めようとするも、勢いを殺せずにふたりして倒れ込む。
「だ、大丈夫っ? ファリス……!」
「ぼ、ぼくは大丈夫です」
「これじゃあ剣の腕もたかが知れてるね」
心底見下したような、詰まらなさ気なその瞳の奥には隠し切れない憎悪の炎が見え隠れしていることにファリスは気が付く。
シスカは立ち上がると、レシウスを睨みつけた。
「……ょうぶよ……!」
「何?」
「勝負よ!!」
「…………受けて立つよ」
そう言ったレシウスの口元には、今日初めての笑みが浮かんでいた。
◆
丁度いい場所があるというレシウスに連れられたのは、敷地内の一角にある建物だった。
内部はそこそこの広さがあるのに、何か物が置いてあるわけでもなく、床や壁の装飾だけが採光窓からの光を受けて存在を主張している。
「ここは……」
「決闘場さ。まあ今じゃ決闘することなんてなくて、儀礼的に剣を交える時ぐらいしか使わないみたいだけど」
レシウスが言いながら決闘場の真ん中に立ち、道中で回収してきた木剣を回して弄ぶ。
シスカの手にも握られた同様のそれは、普段ふたりが使っている物に比べれば幾分刃渡りが長く、ずっしりと重い。何より刀身に布も何も巻かれていない、素の状態だ。
当然、そんなものを振り回せば怪我をする危険もある。ファリスは何度も止めた方がいいと言ったが、シスカは頑としてそれを聞き入れることはなかった。
「姉さん……」
「大丈夫よ。勝ってお父さまのこと、謝らせるんだから! ファリスは危ないから下がってて」
そう意気込んだシスカが木剣を構えた。
「あなたも早く構えなさいよ」
「必要ないよ。いつでもどうぞ」
「このッ!」
それが皮切りに、シスカが斬りかかった。
叩きつけるようなそれをレシウスが軽い足取りで回避する。大振りを外されたシスカはファリスから見ても隙だらけだったが、レシウスはその隙を突かないどころか、未だ木剣を持つ手はだらりと下げられたままだった。
シスカは攻撃を繰り返すが、そのどれもが空を切り、レシウスは防ぐ素振りすら見せない。
「どうッ……してッ……!」
「はぁ……」
「ッ!? きゃっ……!」
呆れたような溜息と共に、レシウスが剣を動かした。鋭い一撃を辛くも防いだシスカだが、その後の連撃で完全に攻守を入れ替えられてしまう。
「もう少しやるもんかと思ってたんだけど、拍子抜けだね。お遊びで剣を握っているんなら騎士なんて目指すべきじゃないと思うけど?」
「お遊びなんかじゃッ……ないッ!」
「いいや、お遊びだよ。君が遊び半分で剣を振っている間も、俺はここで死に物狂いで鍛錬し続けてきた。それがこの差だ」
喋りながらも剣を振る手は止まらず、息すら切らす様子もない。
「そう、努力し続けてた。父上は今の団を率いて、立派にやってきた。年単位で帰れないくらいに、あの災獣共と戦い続けてる」
「なん、の話よっ……!」
「なのに! 未だに国のやつらは双牙の英雄を讃え続け、今の第三騎士団の働きを不足だと
語り口と共に、攻撃が苛烈さを増していく。
「あッ……うぐ!?」
そして、とうとうシスカが防ぎ損ねた一撃が胴を
「うぁ……ぎ……!」
そのあまりの痛みに、その場に蹲るシスカ。
「姉さんッ!」
「ダメッ、来ないでっ!」
駆け寄ろうとしたファリスに、シスカが待ったをかける。
「で、でも……!」
「これは決闘よ……! それにわたしはまだ負けてない……!」
「ふーん?」
言いながら立ち上がろうとするシスカの顎先を容赦なくレシウスが蹴り上げた。
「がッ……!」
「まだ負けじゃないの?」
「ま、け……じゃない……!」
「あっそ」
「ひッ……うぐッ……!」
振りかぶられた脚に反射的に頭を庇うシスカは、脇腹を蹴り上げられて転がる。
「姉さんッ!! もうやめてください……!」
一瞬、ファリスに目を向けたレシウスが肩を竦める。
「……終わりだね。認めなよ、君の父親は子ども一人満足に鍛えられない無能の腰抜けなんだってさ」
「認め……ない……!」
「強情だね。……あぁ、それともまだ弟がいるから、英雄の子は負けてないってことかな?」
酷薄な笑みを浮かべながら、ファリスを見るレシウス。
「なっ……!?」
「君が認めないんじゃ仕方ないね。彼に認めてもらうとしよう」
シスカ背を向けファリスに近づこうとするレシウス。
「……な……!」
「何?」
「ファリスに近寄るなァッ!!」
「ッ……!」
全身のバネで跳ね起きるようにして振られた一撃に、レシウスが初めて驚愕の表情を浮かべた。咄嗟に構えた木剣によって、それ自体は防がれてしまうが、シスカの並外れた膂力によって繰り出された一閃はレシウスの体勢は大きく崩される。
「ぐ……!?」
「あああァァッ!!」
絶好の好機。シスカの力を振り絞った木剣は狙い過たず、レシウスの胴体に吸い込まれ——。
「は……?」
虚空を斬った。
「……残念」
あの状態からでは防ぐのも、避けるのも、不可能な筈だった。
だが、現実に攻撃は外れ、あまつさえ一瞬にして側面すら取られている。
呆然として、それでも咄嗟に振った剣はいともたやすく弾かれ、その手から離れて転がっていった。
「あ……」
尻もちをついたシスカは目前で振りかぶられる剣を前に、眼を瞑った。
ばきり。
恐れていた衝撃はしかし、やってこなかった。
シスカはゆっくりと目を開く。
「ファ……リス……!?」
そこには、レシウスの剣を受けめるファリスの姿があった。
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