20.そうだ王都、行こう
広々とした往来が手狭に感じられる程の人波の中、ファリスは思考を巡らせていた。雑踏で響く無数の足音は硬質で、それはその道が石畳によって整然と舗装されている証拠に他ならない。
それなりに力を持った貴族でも、ここまで整備された領地を持つものはそういないだろう。
当然、その発展具合に比例するように往来も活気に満ち溢れている。この区画は市場なのか、道端には様々な露店や屋台が立ち並んでおり、人々は思い思いの店に立ち寄って買い物などしていた。
肉や魚の焼ける芳ばしい匂いに、ふわりと漂う甘い香りなどは昼食を控える身には中々堪える。
「ねえ」
相場はどうなっているのだろうか。思えばこの身で買い物などしたことがなかったし、当然、金銭の類も取り扱ったことはない。
「ちょっと……」
この機会にそういったことのも触れておくのもいいのかもしれない。そうだ、金銭といえば——
「ねえってば!!」
「!?」
耳元に放たれた叫び声にファリスはビクリと肩を竦ませる。
「もう、聞いてるのっ?」
「あ、ご、ごめんなさい」
慌てて向き直った先には頬を膨らませたシスカの顔。
「それで、なんですか……?」
「見て、あのお店! すっごく美味しそうなの売ってる!」
シスカが指さす先には、何やら鉄板で焼き菓子のような物を焼いている屋台。どうやら先ほどから鼻腔をくすぐる甘い匂いの正体はあの店らしい。
「お腹もすいてきたし、あれ食べたいなぁ……ファリス、お金もってたりしない?」
「もってないです……」
「そっかぁ……そうよね。でも
「そ、そうですね……」
「もー、どうしたのよファリス。さっきから元気がないわ!」
「……い、いえ」
実のところ、かれこれ数時間歩きっぱなしである。子どもの足には多少堪えるし、何より
「もうすぐなんだから、しっかりしてよね!」
「も、もうすぐ……ですか……?」
「ええ! この辺り、間違いなく見覚えがあるもの!」
——そりゃそうだろう、さっきから同じ場所をぐるぐるしているのだから。
ファリスは湧きあがった率直な言葉を胸に押しとどめ、何と伝えたものかと頭を悩ませる。
「さあ、行くわよー!」
そんなファリスの胸中など知る由もなく、シスカはお構いなしにずんずんと歩みを進める。もうずっと彷徨い歩いているというのに、その元気と謎の自信は何処から湧いて出るのだろうか。ファリスはとぼとぼと後に続く。
初めて訪れた王都にて二人は今、迷子になっていた。
◆
数日前。
「え、王都!?」
ユースティア達の二度目の訪問からしばらく経ったある日。室内にシスカの大声が
「野暮用が出来てな。ちょっと急だが、来週行くことになった。良い機会だから一緒に来るか?」
「行くっ!!」
やや食い気味の即答だった。
少し前までの空気はどこへやら、アールストロム家の食卓はシスカの元気とともにすっかり元の平穏さを取り戻していた。
「楽しみね、ファリス!」
「え……は、はい」
特に何も言っていないのだが、どうやらシスカの中ではファリスも一緒に行くことは確定事項らしい。とはいえ、別にファリスとしても王都に同行するのはやぶさかでもなかった。
「おいおい、ファリスにもちゃんと聞かないと。どうだ、ファリス?」
「はい、ぼくも同行したいです」
「む、そうか?」
ファリスの返答にやや意外そうな顔をするローガン。
ローガンに限らず、この屋敷の人間はファリスが外出を好まないように思っている節があるが、実のところはそうでもない。現状優先すべきこととして勉強と創術の鍛錬を置いているため、結果的に自発的な外出の機会が少ないだけで、外出も、常識の範疇で体を動かすのも嫌いではない。ちなみにシスカとの
未だ領地の外には出たことがないファリスにとって、王都がどのようなところか純粋に興味があった。
「わたし、学園を見に行きたい!」
「そう言うと思っていたよ。そろそろそんな時期だからな」
そんな時期。それはつまり騎士学園の入学資格を満たすといことだ。シスカは現在7歳、学園への入学条件は8歳以上なので、もう1年もない。
「じゃあ!」
「あぁ、見学に立ち寄ろうか」
「やったー!」
「ぐえっ」
シスカは目を輝かせながら、隣に座るファリスに抱き着く。小さく呻きを上げるファリスは無抵抗でされるがままだ。
そんなこんなで決まった王都行き。
迎えた当日、ヘレナに見送られ出発したローガン一行は馬車に揺られること数日、特にトラブルに見舞われるようなこともなく無事に王都へと到着した。
「わあぁ……!」
目前に広がる風景に、思わず馬車から身を乗り出して感嘆の声を上げるシスカ。
遠目に見える王城はもちろんだが、やはり城下町からしてスケールが違う。見渡す限りの大地を埋め尽くす様々な建造物の群れは、それだけでひとつの芸術作品に思える。
「あまりはしゃいで落ちないようにな」
「はーい」
ローガンの注意に、一度は体を引っ込めるシスカだが、しばらくすると興味を引くものが視界に入ったのか、結局また身を乗り出してしまっていた。ローガンもうっすらと苦笑が漏れている。
とはいえ万が一落ちそうになったとしてもローガンは反応出来るだろう。そのためか、それ以上は何も言わなかった。
「ねえ、お父さま! 学園ってどれ!? あのおっきい建物っ? それともあれ!?」
「ここからは見えないな」
「そっかぁ、早く見てみたいわ!」
「今日はもうだいぶ日も落ちてきてるからなぁ」
「じゃあ明日!?」
「明日はもう予定を決めてしまっているんだ。すまんが……」
「え~……ううん、わかった……」
いよいよ王都入りを果たし、シスカは早速学園に行きたがったが当然そういうわけにもいかない。今回王都に来たのはローガンの用事のためであり、学園の見学は言ってしまえばついでだ。先にローガンの用事を済ますことにシスカは残念そうにしながらも了承した。
その日はそのまま宿に入り、平穏に一日を終えようとした頃——。
「えーっ、お留守番っ!?」
間近での叫び声に、ファリスは反射的に耳を抑えた。
「あ、あぁ。午前中だけだぞ? 午後には一度戻る」
ローガンも僅かに顔をめ
どうにも明日の午前はファリス達を連れていけないらしい。
「うー……」
子どもには退屈な馬車の旅が終わり、学園には行けないまでも王都を出歩くことを楽しみにしていたシスカはショックを受けた。ご機嫌斜めになって唸り出すシスカをローガンは何とかなだめすかす。
「悪いが、少し辛抱してくれ。なるべく早く戻って来れるようにするから」
「……約束よ?」
「あぁ。ファリスも、すまんが……」
その先は言葉にせず、ローガンはファリスへの目くばせにとどめた。シスカを頼む、ということだろう。普通逆ではと思わないでもなかったが、とにかくファリスはその言外の意図を正しく読み取り、頷きを返した。
ローガンは優しく微笑んで、ふたりの頭をわしゃわしゃと撫でた。
◆
翌早朝、もともと朝が早いファリスは出かけるローガンを見送った後、持ち込んだ本など読んで過ごしていた。
慣れない土地の見知らぬ宿だが、そこは仮にも貴族の借りる宿。それなりに居心地はいいし、たまにはこういう所で読書というのも悪くはない。
午前中はこうしてゆっくりしていたいなどと考えながらページに手を掛ける。とても穏やかな朝だ。
しばらくして、シスカがむくりと起き上がった。
「おはようございます」
「……んにゃ……おはよ、ファリス……」
眠そうに眼をこすりながら頭を揺らしていたシスカだったが、突如何かを思い出したかのように目を見開いて立ち上がった。
「さあ、行くわよ! ファリス!」
——あ、終わった。
ファリスは天井を仰いだ。
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