6.ノーゲーム・ノートラブル

 争棋そうぎ


 貴族の、特に騎士家系の嗜みとして親しまれるゲームの名だ。格子状に線を引かれた盤上に数種類の駒を並べ、互いの駒を取り合い、先に王の駒を討ち取った者が勝者となる。シンプルながらも奥の深い戦略性を持つといえる。


 ファリス達の父、ローガンにおいても例外ではなく、それなりの争棋好きだ。時折遊びに来る友人と指すこともあれば、一人で盤に向かっていることもある。


 よって、それを目にする父親大好きなシスカが争棋に興味を示すのは当然の帰結であった。もちろんファリスが巻き込まれるのも。


 ともあれ、ふたりはローガンに教えてもらい、争棋で遊ぶようになった。


 ローガンが相手を出来ない時は打倒お父様を掲げ、ふたりで切磋琢磨する。ローガンがふたり用に新しい争棋盤と駒を揃えてくれたこともあり、珍しくシスカは剣術以外のことに熱中していた。ファリスとしても、剣術訓練に付き合わされるのに比べれば遥かに気楽で願ったり叶ったり、何なら楽しんでさえいた。


 しかし、しばらく遊んでいるうちにある問題が発生した。


 このゲームはその性質上、運の介在する余地はほぼなく、勝敗は完全に実力に左右される。身も蓋もない言い方をすると、より賢い方が勝つゲームなのだ。


 シスカもあまり座学を好まないだけで、決して頭は悪くない。むしろどちらかといえば頭の回転は速い方だろう。とはいえそれはあくまで通常の同年代と比してのことだ。


 ファリスには転生によって引き継がれた知性がある。ちょっと出来のいい子どもなどとは比較にならないのだ。


 ファリスがシスカを争棋でボコボコにし出すのはすぐだった。当初は普段剣でボコられていることもあり、多少なりとも胸のすく思いもあったが、何度も惨敗し悔しがるを通り越して半べそをかくシスカを見て喜べるような精神性をファリスは持ち合わせていなかった。


 となれば手加減を、というのが道理なのだが、そう上手くはいってくれなかった。


 ファリスの手加減をシスカは謎の勘で鋭く察知するのだ。あまりあっさり負けると流石にわざとらしいので、出来るだけギリギリの差になるように負けたのだが、すぐに看破されて、むしろ怒らせてしまった。


 まあ、あれだけボコっておいて急にいい勝負というのも十分不自然だったかと反省し、今度はややいい勝負をしつつも勝つことで、少しずつ縮まる実力差を演出しようとしたのだが、その試みすら一局目で看破されて、より怒られた。


 そうなってしまうと、もはやファリスに残された道は奇跡的にシスカが急成長を遂げ、実力でもって自らを負かすことを祈ってボコり続けるのみだった。懲りることなく挑みかかるシスカをちぎっては投げちぎっては投げ……。


 当たり前だがそんな奇跡が起こる筈もなく。最終的に限界に達したシスカが盤をひっくり返し、泣きながら走り去るという結末を迎え、アールストロム家の短い争棋ブームは幕を閉じた。


 ローガンがわざわざふたりの為に買ってくれた争棋セットは、残念ながら戸棚の奥底へと封印されることとなり、ファリスはしばらくの間、荒れたシスカによって剣術訓練でいつも以上の勢いでボコられ続けることとなった。


 以上がアールストロム家の争棋にまつわる禁忌の逸話。



 話は戻って現在、その封印されしゲームを引っ張りだしてきたシスカがせっせと盤に駒を並べている。


 まさか再び相まみえることになろうとは。ファリスは小さく戦慄すると同時に、なるほどと感心もしていた。


 繰り返しになるが、ユースティアの強さの最大要因は恐ろしいほどの強運である。だが争棋は先述の通り運がほぼ介在しない完全に実力で勝負が決まるゲームだ。

 

 しかもユースティアは争棋未経験者。今しがたルールを知ったばかりなのに対し、シスカは(割と早期に投げ出したとはいえ)経験者だ。


 ちょっとずるい気もするが、これならユースティアに勝てる見込み十分だろう。


 駒を並べ終わった盤を挟んで、シスカとユースティアが対面する。


「いざ勝負!」


 シスカの高らかな宣戦布告とともに今戦いの幕が切って落とされた。




「……これで勝ち?」


「あぁー!!」



「……ここ」


「そんなっ!?」



「……ん」


「なんでよーっ!!」



 シスカは普通に3連敗した。ユースティアは別に運が関係なくても強かった。


 他のゲームをしている時も薄々分かってはいたがユースティアはやはり、とても賢い子どもらしい。ファリスも、まさか覚えたばかりの争棋をここまで指しこなせる程とは思っていなかったが。


 封印を解いてまで持ち出した争棋でも完膚なきまで叩きのめされてしまったシスカは、天を仰いで放心している。


「……やる?」


 すると、ユースティアがファリスに向かって短く話しかけてきた。


「えーっと……」


 ファリスは一瞬返答に迷った。以前シスカとやって分かったことだが、基本的にファリスと、同年代の子どもとではまともな争棋が成立しない。どうしても一方的になってしまって申し訳ない。手加減しようにも、この場にシスカがいるのでは簡単に見破られてしまう。


 あとあまり争棋にいい思い出がない。


「!! ファリス!」


 悩んでいるとシスカが突然復活して、バッとファリスの方を向いて口を開いた。


「ぅわっ……な、なに?」


「…………」


 無言で頷かれた。ただ目が雄弁に語っている。やれ、と。シスカはそのまま盤の前から脇に移動した。


 ファリスは頬を引きつらせながら、空いた盤前に座る。


「よ、よろしくお願いします」


「ん……」


 駒を並べなおし、戦いの第二幕が始まった。





「そうか、カイネフィアはやはりダメそうか……」


「あぁ。ラシル大陸侵攻で敗戦、その後すぐに大厄災だからな……カイネフィアの国内は荒れに荒れてる」


 子どもたちの居なくなったアールストロム邸宅の応接間。先ほどまでの朗らかな印象とは打って変わって、難しい顔のダリルが続けた。


「災獣に関しては面倒見れたが治安がな……体制はガタガタだ。もう持たんだろうな」


「すまないな……結果的に全部お前に押し付けることになって。子どもとの時間もあまり取れなかったろう?」


「いいさ、気にするな。…………代わり、というわけではないんだが、ログ、お前に言わないといけないことがあるんだ」

 

「? なんだ改まって」


 居住まいを正したダリルが言いづらそうにし、一拍後に口を開いた。


「そのだな……実はな、ユティは……忌想者イミジナなんだ」


「……なんだって?」


「ユティは忌想者イミジナなんだ」


 応接間に沈黙が満ちる。ローガンはダリルの言葉にしばし瞑目し、眉間に皺を寄せた。


「……本当なのか……?」


「あぁ、間違いない」


「……そうか。一応確認するが、なんだな?」


「もちろんだ。じゃなきゃこうして連れ出したりはしない。……親馬鹿と思うかもしれないが、あの子はとても賢くて、何より優しい子だ。させたこともないし、完全に制御しきっている」


「あの歳で安定した忌想者イミジナか……それは何というか、凄まじいな」


「……怒らないのか?」


「言いたいことはあるが、怒っちゃいない。お前が言うんなら本当に大丈夫なんだろうさ」


 それは嘘偽りない本心からの言葉だった。それまでのやり取りでローガンとダリル、ふたりそれぞれの信頼の厚さが伺える。


「ただ、そういうことは先に言ってくれ。流石に肝が冷える」


「それに関しては本当にすまない。……言い訳にもならんが、今の今まで打ち明けるか俺も迷っていたんだ……」


「豪胆なんだか繊細なんだか、お前のそういうところ、相変わらずだな。それで、どういうつもりなんだ?」


「まぁ、なんだ……ユティはあの通り物静かな子でな。あまり喜んだり、怒ったり、感情を見せてくれないんだ。それゆえに忌想者として安定しているとも言えるんだが……親としては、あの子がちゃんと笑っているところを見てみたいんだ」


「……ちょっと待て。だったらなんだ、お前、自分の子が笑ったところを見たことないのか?」


「い、いや、ちょっと笑ったかもなってぐらいなら……」


 あまりにあんまりなダリルの告白に、ローガンはあんぐりと口を開けた。ある意味ユースティアが忌想者だと言われた時より驚いたかもしれない。


 ダリルは心なしか悲し気な表情だ。


「ま、まぁ、そもそもあまり会えてもいなかったろうしな……しかし、そうか、それでうちの子たちか」


「あぁ。一応、他にも同年代の子との交流はあったみたいなんだが、あまり上手くいかなかったらしくてな……。どうしたもんかと考えて、真っ先に浮かんだのがお前の顔だった」


「ふむ、念のため後で様子を見に行くとして……そういうことならあの子たちに任せておけ、きっとユースティアちゃんを笑顔にしてみせるさ!」


 自信満々に言ってのけるローガンに、苦笑を漏らし、


 ——お前も大概な親馬鹿だな。


 そう、内心で呟いた。

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