3.創術

 ファリスの朝は早い。


 まだ日が昇らない、空が白み出す頃に活動を開始する。決まった時間にパチリと目を覚ましベッドから出ると、最低限の身だしなみを整えて部屋を出る。まだ薄暗い廊下を歩いていると、同じ頃に仕事を始める使用人達とすれ違う。立ち止まり一礼をする彼らにファリスは軽く会釈を返した。


 両親ですらまだ起床していない時間に屋敷を歩きまわるファリスの姿に、使用人たちは当初不思議そうな顔をしていたが、それも今では日常の風景として受け入れられている。


 では、わざわざそんな早起きをしてまで向かう先はと言えば、それは書斎である。ファリスが本を読むのが好きで、書斎にこもりがちであることは当然周知の事実であり、屋敷の人間もファリスが書斎を使っている時間帯は、未明、早朝に限らず基本的に気を遣って書斎には入ってこない。……ただ一人例外を除いては。


 今日も書斎についたファリスは、早速数冊の本を手に取り、机に積みあげる。


「よし」


 そのまま机に向かい、いざ読書——とはいかずファリスは机に背を向けた。そのまま本も持たずにどうするのかと思えば、何もない空間に両手をかざし出す。じっと虚空を見つめながらゆっくりと、深く、息を吐く。


 数瞬後、変化が訪れる。かざされた掌の先に、炎天下の陽炎の如き揺らぎが生じ出した。


 自身の体を駆け巡る何かを知覚し、角が僅かに熱持つのを感じる。そして口を開き、唱えた。


「水よ」


 言うや否や、濃さを増した揺らぎは急激に形を得る。確かな輪郭を持ってそこに存在するのは、もはや陽炎ではなく言葉通りの水で出来た球であった。


 赤子の頭程の大きさのそれは、落ちることなく空中でゆらゆらと揺れている。


 これこそは人が賜りし世界の恩寵、己が想像を具現化させる術理、名を創術。


 大気中に存在する創素マナと呼ばれるものを身に取り入れ、操作、行使されるそれは、もちろん水を出すだけの術ではない。火を起こすことも、風を吹かすことも——いや、事象の例を一つ一つあげつらうことは無意味だ。この術は理論上、誇張抜きに神羅万象の具現を可能とするのだから。


 ともあれ、これこそがファリスが毎朝早起きをしてまで書斎に籠る理由であった。想像を現実に形作る創術は一見万能に見えるが、その実、非常に繊細な術だ。体内の創素を正しく認識し、強靭な精神力で以って練成、強固なイメージと結びつけることで初めて術は成される。


 本来であれば、いくら創術の扱いに長けた魔人といえども、到底ファリスのような幼子が使えるような代物ではないし、よしんば使えたとしても未熟な身体には負担となりかねない。それに、拙い技術で迂闊に行使すれば暴走の危険すらあるのだ。


 以上のような理由もあってファリスは創術の練習を家族、ひいては屋敷の人間に見られたくなかった。前世の知識を持つ自分は傍から見ても異質な存在だろうし、歯に衣着せぬ言い方をすれば不気味な子どもだろう。そんな子どもが創術まで使ってみせる。どのような目で見られることとなるかは想像に難くない。


 ファリスは、そんな自分を何かと気にかけてくれている両親に余計な心労はかけたくないと考えていた。それならば、そもそも創術の鍛錬などしなければよいのだが、好奇心と探求心に傾いた天秤は、バレなければいいという結論とともにファリスを突き動かしてしまっていた。


「よっと」


 当初両手の先に漂っていた水球は、今や片手の平で浮遊し、グネグネと様々な形を取っていた。


「こんなものかな」


 水の生成、形状のコントロールなど、ルーチンと化しているウォーミングアップを一通りこなしたところで、創素の供給を止めて水球を消滅させる。


 本当は炎の術なども練習したいのだが、流石に本が保管されている書斎で火を扱うというのは気が引けた。仮に何か燃えたとしても水球で消火できるとは思うが、そういう問題ではないだろう。兎にも角にも、出来る範囲の術を引き続き練習する。


 今、ファリスが特に凝っているのは武器の具現化だった。水や炎といった不定形の物に比べて、ナイフや剣といった有形物の具現化は非常に難易度が高い。形状や材質への理解と強いイメージが必要とされ、一時的な具現化に成功しても、継続的にそのイメージを維持できなければ、それは簡単に形を失ってしまう。


 現に今も、具現化された小ぶりなナイフが、数秒と持たずに形を失っていったところだった。


「うーん、やっぱり動かすとだめかぁ」


 そう呟きながら再度ナイフを創り出し、刀身から照り返す日光に顔を顰めた。


「ん? 日光……?」


 何かに気づいたファリスは耳を澄ませたかと思うと、突然椅子に座って本を開く。それからそう時間を置かずに、書斎の扉が勢いよく開け放たれた。



「おはよう、ファリスっ!」



 現れたのは、綺麗なブロンドヘアーをあちこち跳ねさせた少女。姉のシスカだった。


 そう、彼女こそが先に述べた例外たる存在であり、日が差しているということは彼女の活動開始時間というわけだ。彼女の辞書に気遣いという文字はなく、ファリスが書斎に籠っていようが、というより何をしていようがお構いなしである。


「おはようございます、姉さん」


 あらかじめ彼女の接近を察知していたファリスは涼しい顔で挨拶を返す。当初はこの突然かつ不定期の乱入に泡を食って誤魔化したものだが、今ではこの通り慣れたものである。


「今日は朝ごはんの前におさんぽに行きましょう! だめよ、本ばかり読んでちゃ。子どもはお外であそぶものだっておじい様も言っていたわ!」


「あはは……」


 シスカの物言いに苦笑いを返すファリス。普段はボードゲーム等の誘いが多かったのが、何をやっても大抵ファリスが勝ってしまう為、最近はアウトドアに切り替わりつつある。


 今日は散歩の誘いらしい。自分が引っ込み思案であることを自覚しているファリスにとって、シスカのそういった振る舞いはありがたいところもあり、同時に戸惑いの種でもあった。


 曖昧な笑みのファリスの内心には特に頓着することなく、シスカはファリスの手をとって書斎から連れ出し、口を開いた。


「今日はお客人が来るからって、お父さまもお母さまもいそがしそう。お父さまに剣を見てもらおうとしたら、今日はダメだって」


 そう言って、いかにも不満ですとばかりに口を尖らせるシスカ。


 ——成る程、それで今朝はこっちに来たのか……。


 父であるローガンが構える時はシスカもそちらに行くが、ローガンもそう暇ではなく、結果的に大体ファリスの所に来る。


「姉さんは父さまのこと、すきですもんね」


「? 当り前じゃない」


 シスカはきょとんとした顔でそう答える。


「お父さまはすごいのよ! 大厄災のときもいっぱい人を助けて、みんなお父さまのこと英雄だって言ってる! だからね、わたしもお父さまみたいにすごい人になりたいの」


 ローガンのことを語るシスカはいつも楽しそうだ。心底から慕い、尊敬しているのだろうというのが伝わってくる。そのままローガンがいかに凄いのかを語り続けたシスカは、「あ、でも」とこう付け加えた。


「お父さまのことは尊敬しているけれど、わたしはお母さまも、もちろんファリスのことも同じくらい好きよ?」


 そんな心中を語ったシスカは、少し照れくさそうにはにかんで笑った。自らの境遇を言い訳に、家族との関係から逃げ続けるファリスの目には、そんな姉が眩しく映った。


 その後も他愛ない会話をしながら、手を引かれるまま庭に出たファリスは、直接の朝日に目を細める。あまり積極的に外には出ないファリスにとって、朝特有のひんやりした外の空気は新鮮に感じられた。


 今はまだ胸を張って家族だとは言えない自分でも、いつかは本当の家族として接することが出来るかもしれないと、隣——少し前で手を引く姉を見て、そう思える気がした。




「うーん、でもやっぱり剣を見てもらいたかったなぁ……。そうだ、ファリス、この後少し打ち合いしよう?」


「えッ」


 やはりそんな日は来ないかもしれない。

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