幕間2 震源地は紬雁島だと!

「ふう、ようやく着いたか」

 ここに来るのは久々だと、比企虎太郎は霞ヶ関にあるとある建物を見上げていた。

 出入り口には紺色の制服を着た男女が忙しなく行き来し、誰もがその前に立つ甚平姿の筋骨隆々男に視線を向けている。

 六〇を越えようと衰え知らぬ肉体と頭皮、一八〇ある身長に注目するなとは無理な話だ。

「手がかりが掴めるといいが」

 この一ヶ月、懇意にする興信所と自身の足で調査を繰り返した。

 既にタワーマンションは建ち、手遅れかも知れぬが 島の貴重な観光資源を守りきれる可能性は十分に残っている。

 最後の一手として虎太郎は古き友の力を借りに訪れた。

「すまない。友人と会いたいのだが」

 受付で用件を伝えるも、アポイントは取っていない。

 事態が急を要するとしても友の立場的に会える可能性は低い。

「やっぱり、虎太郎だったか!」

 背後から響く懐かしき友の声。

 この声に行き来する誰もが身を正せば敬礼する。

 振り返れば紺色の制服を着込む初老の男性が立っている。

 身長こそ虎太郎より低いも制服の上からでも分かる鍛え抜かれた肉体からただ者ではないと分かる。

 男性は敬礼する者たちに手を上げては解くよう促した。

「おお、久しぶりだな一鶴いっかく、一昨年の交流会以来か」

 受付前でがたいの良い男二人が再会を喜び合うように抱き合っている。

 建物内の誰もが顔を見合わせては困惑するしかない。

「こんな場所まで来てどうしたんだ? 飲みの誘いは一ヶ月後なら構わないぞ」

「いや、お前に、いやお前にしかできない頼みごとがあってな」

 虎太郎は示すように分厚い書類ケースを取り出した。

 相手もまた長年の交流から察したのか、無言で頷き返す。

「詳しい話は部屋で聞こう。お前がこうして警視庁に訪れるなんてよほどのことなのだろう」

 

 虎太郎が訪れし場所、そこは東京都の警察行政を司る本部、警視庁。

 そして、一鶴こと山部一鶴やまべいっかくこそ警視総監、その人であった。


 虎太郎と一鶴は出身地が異なろうと竹馬の友と呼べる間柄であった。

 もっとも交えたのは竹馬ではなく竹刀であり、同じ剣の道を歩む者として切磋琢磨しあっていた。

 互いの道を進もうと交流は廃れることはなく、時折、剣道の交流会などで再会しては竹刀を鳴らしていた。

「ふむ、なるほどな、確かにきな臭いといえばきな臭いな」

 とある会議室の一角、対面する形で座る一鶴は虎太郎から渡された資料に渋面を作っていた。

「納税記録も入院記録もある。そこにいたのは確かだが、誰も覚えていないとは奇妙すぎる」

 資料はとある男の身辺調査だった。

 名は島田雄也。

 紡雁島にてタワーマンションやソーラーパネル設置を取り仕切る建設企業の社長である。

 婿養子であり義理の息子である昴の友人らしく、詳細を聞こうと事業反対であったこともあってか娘の翔子から度々阻止され、確認できぬままだ。

 長年の経験による勘で調査を入れてみれば、確かに存在した記録はあろうと、住んでいたであろう場所の人々の記憶に存在しない奇妙な結果となる。

 もちろん別段、珍しいことではない。離島や田舎では住人同士の交流が強くとも都会では逆に交流は希薄となる。

 それどころか交流せぬ、干渉せぬが美徳とすらあった。

「しかしね、虎太郎。特に被害もなく実害もない。事業が議会の合意の上で進んでいる以上、警察が口を出すのはお門違い。これは裁判所に持ち込む案件だ。警察としては何の証拠もなしに動くことはできんのは知っているだろう?」

「それを承知で頼んでいるんだ。俺の頼みはただ一つ、指紋を調べて欲しい。それだけだ」

 懇願する虎太郎は丁重な手つきで袋に密閉されたグラスを取り出した。

 旅館で社長との接待が行われると聞いた際、女将に協力を仰ぎ、横流してもらった物だ。

「勘か?」

「ああ、勘だ」

 男二人の間に沈黙が流れる。一鶴は根負けしたのか、やつれた声でため息を漏らした。

「やれやれ、なにも出なかったら諦めてくれよ」

「もちろんだ! 男に二言はない!」

 執権乱用や公私混同だと批判を免れるのは承知の上。

 行方不明である孫の龍夜の件でも協力を仰いでいる。

 いくら友だとしても限界があるのは分かっていた。


「失礼いたします!」

 グラスを鑑識係に回して三〇分も経たなかった時だ。

 会議室には鑑識係がスーツ姿の男を引き連れて戻ってきた。

 予期せぬ追加人員に虎太郎と一鶴は揃って目尻を鋭くする。

「君は、確か、捜査一課の」

「はい、自分は捜査一課、赤城壮也あかぎそうや警部と申します」

 敬礼する三〇代男性は警部と名乗った。

 指紋一つ調査した結果、捜査一課が出てくる理由は一つしか浮かばない。

「まさか照合する指紋があったのか?」

「はいその通りです。警視総監殿。これをご覧ください」

 赤城より提示されるは捜査資料。

 顔写真には不満顔で口先と目尻を尖らせる一人の男。

 投資詐欺や窃盗、殺人未遂、暴行の前科が記載された指名手配犯の資料だった。

「この男と指紋が一致しました」

 手渡される資料には知らぬ男性の写真が添えてあった。

 虎太郎は目を細め、いぶかしげに赤城の顔を凝視してしまう。

「比企さん、でしたよね。あなたが調査していた男、島田雄也は姫島徹ひめじまとおるが変装した姿なんです」

 荒唐無稽な発言に虎太郎は一鶴と顔を見合わせてしまった。

「だ、だが、何度か会ったが変装には見えなかったぞ」

「そこがこの男の恐ろしいところなんです」

 赤城警部は語る。

 界隈では有名な詐欺師であると。

 周囲に早々と溶け込む高い社交性、どんな難しき案件でもなしてしまう実務能力、詐欺も三年に一度しか行わず、痕跡は残さない。

 詐欺を行わぬ期間はまじめに実績を重ねて働き、そして時が来れば全てを奪う。

 何より警察が厄介だとするのが、その変装能力。

 高校の頃、映画制作の部活動で特殊メイクを担当しており、本物と見間違うメイクに誰もが舌を巻いたとか。

 老若何女問わず変装を得意とし、声音すらボイスチェンジャー無しでどんな人物の声でも自由自在に出せるほど。

 お陰で何度も取り逃がしていた。

「唯一の欠点がこの指紋なんです。声紋はごまかせようと、どうしてか指紋だけは変装で隠し切れていませんでした」

「それがグラスに付着していたと」

 だが、合点は行く。記録にあろうと記憶にないのは恐らく帳尻合わせの痕跡として当人が意図的に残したからだ。

 そこに存在しない人物を存在させる。

 情報が全ての現代社会において記憶よりも記録こそ信憑性が高くなる。

 この男はそれを上手く突いた。

「比企さん、つかぬことをお聞きしますが、ご自宅に先祖代々、家宝として伝わる壷とかありませんでしょうか?」

「壷? いや、確かに壷はあるにはあるが亡き妻が華道で使っていたものばかりだ。価値もそれほど高くはない。先祖代々伝わるものといえば、虎徹や村正、兼定などの日本刀ばかり。どうしてそんなことを聞く?」

「姫島は窃盗、殺人未遂、暴行の前科がありますが、その全てに壷が深く関係しているのです」

 曰く、病的なまでの壷の収集家。

 東西南北、希少な壷ならば合法、非合法問わずして絶対に手に入れる。

 とある企業が所持しているならば、企業を傾けてかすめ取る。

 とある個人が所持しているならば、破産に追い込み奪い取る。

 加えて収集した壷をどこに保管しているのか警察ですら掴めない。

 ヤクザや半グレ集団だけでなく海外マフィアと繋がりがあるとされているもこれもまた証拠を掴ませない。

「いかなる手段でも壷を手に入れられぬとなれば、実力行使で奪うことも辞さないのです」

 それが窃盗や、殺人未遂、暴行の前科であった。

「しかし、壷か」

「虎太郎、心当たりは?」

「まったくない。昴くんは骨董品に興味はないし、娘もまた同じだ。だがきゃつが動いているとなれば、あると考えていいが」

 虎太郎が渋面を作った時、スマートフォンが激しく鳴り響いた。

「すまない。なっ!」

 一言断りを入れてスマートフォンを取り出した虎太郎だが、通知欄に顔を青くする。

「山口県南西の海域で地震! 震源地は紬雁島だと!」

 震度八の地震は虎太郎を席から立ち上がらせるのに十分すぎた。

「一鶴、押し掛けておいて悪いが!」

「いや構わん。緊急事態だ。それより確認したいんだが、その島田と名乗る姫島は今も島にいるのか?」

 いると虎太郎は強く頷いた。

 今日は昼前より一〇回目となるソーラーパネル設置の住人説明会が小学校で開かれる。

 社長の立場として出席しているはずだ。

「分かった」

 一鶴は受話器を取るなりどこかに連絡を開始していた。

 今すぐにでも島に戻りたい虎太郎だが友の行動に何かしら意味があると注視する。

「よし、ついている。一時間後に発つ山口行き飛行機のシートを確保した」

「一鶴、お前」

「勘違いしないで欲しいな虎太郎。私は警視総監として、逃走の恐れのある指名手配犯確保のために警察官を緊急派遣するだけだ。お前は情報提供者であり貴重な証言者。そういうことだ。赤城警部!」

「承知しました! 彼を連れて至急、犯人確保のため紡雁島に向かいます!」

「済まない。恩に着る」

「なんのことやら、俺は警察としての仕事をしただけさ」

 これ以上、一鶴は語ることはなかった。

 今一度、礼を告げた虎太郎は赤城と共に会議室を出る。

「失礼ですが、宿泊先やお荷物は?」

「いやホテルはこれからの予定だった。だから今すぐでも大丈夫だ」

「分かりました。表に車を回します。お待ちください」

 今ここでじたばた足掻いても状況は好転しないのは百も承知。

 虎太郎にできるのは、急ぎ島に向かうこと。

 昔のツテやコネを利用して被災した島民のために人員や物資を至急確保することだ。

 警視庁入り口前まで出てきた虎太郎は連絡を取らんとスマートフォンを取り出した。

「む?」

 行き来する人の多さと、島民たちの安否で周辺への注意が薄れる。

 だからすぐ側まで殺意抱く男が迫っていると気づくのに遅れてしまう。

「なっ!」

 すぐ眼下で煌めく凶刃。

 男の持つ刃物が容赦なく虎太郎の右わき腹に突き刺さった。

「きっ、きゃあああああああああああっ!」

 女性の悲鳴が響き、現場は騒然となる。

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