第八章

執政官殺し(一)

 八月十九日朝。

 馬で都を出たサレが、数刻、北へ向かうと、近北州軍の宿営地が建設中であった。

 都の南にはすでに、近西州軍の宿営地が完成していたので、間を挟まれる格好となったみやこびとは、さぞ、生きた心地がしなかったにちがいない。

 両宿営地は、都を起点にすると、似たような距離にあった。おそらく、北の宿営地はとう[ルウラ・ハアルクン]どの、南の宿営地はロアナルデ・バアニが場所を決めたのであろう。

 なぜ、その距離に置いたのかについては、そこら辺のいくさ事に疎いサレにはよくわからなかったし、あまり興味もわかなかった。

 後から、オーグ[・ラーゾ]が物知り顔で何か言ってきたが、サレは聞き流した。


 サレとオントニア[オルシャンドラ・ダウロン]が案内されて、近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]の天幕に近づくと、入り口で、ラシウ[・ホランク]がつまらなそうに突っ立っていた。

 サレに気がつくと、ラシウがとことこと近づいて来た。

「兄上、お久しぶりです」

 護衛としての役割を放棄している妹弟子を、サレは叱ろうとしたが、それはやめて、他人には無表情にしか見えない笑顔を向けている、ラシウの頭をなでた。

「どうだ、忙しいか?」

「はい。たくさん人を斬りました。ハエルヌンは敵が多くて困ります」

「近頃は都でも暗殺がはやっている(※1)。おまえもたいへんだな」

 サレの言にラシウは首を横に振り、「それよりも、お師さまのゆくえは?」とたずねてきたので、サレも同じ動作で応じた。

「さあな。また、山にでも籠っているのではないかな? まあ、それこそ、そんなことよりも、機嫌はどうなのだ」

「機嫌? いいですよ、兄上に久しぶりに会えましたから」

 「ちがう。おまえじゃない。近北公のだ」と、サレが言葉を返すと、ラシウは口を一度すぼめてから、「いくさが終わってからは、わるくないじゃないですかね。よくわかりませんが」と、あやふやなことを口にした。

「まあいい。公のところへ案内してくれ」

 そうサレにてられたラシウは、「兄上は、お師さまが心配ではないのですか?」と言いながら、彼に背を向け、公の天幕のほうへ歩いて行った。


「おまえが、あの勇者オルシャンドラ・ダウロンか」

 薄暗い天幕の中に、公のやや甲高い声が響いた。

 公は、オントニアの腕に触りながら、「背もさほど高くなく、筋力もそれほどあるようには見えないが、いやいや、触れてみると鋼鉄のような体だな。いや、感心した」と、彼を褒めたたえた。

 オントニアは、身分の高い者と話した機会もろくになければ、他人に褒められたことも稀だったので、どうしてよいのかわからず、とまどっていた。

 そのような様子のオントニアを無視して、公はひとりで話し続けた。

「勇者よ、おまえが来てくれると聞いていたので、酒席を用意してある。おまえのあるじとのつまらない話が終わったら、私も加わるから、それまで、そこで飲んでいてくれ」

 返事に窮したオントニアがサレを見たので、彼は黙ってうなづいた。それを受けて、オントニアは「ありがたきことです」と、天幕の外へ出ようとした。

 すると、オントニアの背中に、「わすれていた」と公が声をかけたので、彼は立ち止まって振り向いた。


 天幕の隅にあった箱を公が開けると、中にぎっしりと詰まっていた金貨が、鈍く光り輝いているのが、サレの目に飛び込んで来た。

 サレが思わず、「壮観ですな」と感想を漏らすと、「府監[サレ]の分はないぞ」と、抑揚のない声で公がつぶやいた。

 公は、金貨を右手で無造作につかむと、指示もないままにラシウが用意していた小袋に入れ、オントニアに渡そうとした。

「さあ、受け取ってくれ、勇者よ」

 再度、オントニアがどうしてよいのかわからずにいたので、サレは右手を一度、胸の位置まで上げてから、下にさげた。それを見ていたオントニアはひとつうなづくと、右膝を立てたまま、その場に腰をおろし、金貨を両手でいただきながら、先ほどと同じく、「ありがたきことです」と謝意を述べた。



※1 近頃は都でも暗殺がはやっている

 この頃は、七州のどこでも、暗殺が多発しており、その犠牲者にはけんの者も少なくなかったが、一々書いていては切りがないと判断したのか、本回顧録には記されてこなかった。

 この時代の暗殺事件の問題点は、州の統治能力の不備に、暗殺の起きた州の統治が及ばぬ他州へ逃げられると、犯人を捕まえることが難しかったことが重なり、犯人不明の事件が多々生じたことである。

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