第四章

雪、とけて(一)

 初春四月、近北州を覆っていた雪はとけた。

 しかし、西南州に近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]の兵は現れなかった。

 北部州の雪がとけると同時に、遠北公[ルファエラ・ペキ]が持てる兵力を総動員して、ルオノーレ・ホアビアーヌの籠る「巨人の口」[サルテン要塞]を攻め立てたためであった(※1)。

 こうなってしまうと近北公は、西南州のサレや執政官[トオドジエ・コルネイア]のことなどはすっかり忘れてしまい、ホアビアーヌを助けることに精力を集中しはじめた。


 四月十三日、遠北公の挙兵に合わせて、モウリシア[・カスト]が、「執政官を僭称しつづけるコルネイアを討つ」という名目で、コステラ=デイラに対して、いくさを仕掛けて来た。

 遠北公とモウリシアが手を組んでいたのは明白であった(※2)。


 完全に虚を突かれたサレは初動こそもたついたが、コステラ=デイラ内部で、モウリシアのために兵を起こした者たちを何とか鎮圧しながら(※3)、内部に侵入したモウリシア率いる赤衣党を退けた。


 コステラ=デイラ内の安全を確保した緑衣党は、続けて、あらかじめ定めておいたとおりに、籠城の手配を進めた。

 ひとつ、サレにとって想定外だったのは、公女[ハランシク・スラザーラ]を落ち着かせるために、彼女の側へ置いておきたかった家宰殿[オリサン・クブララ]が、病気療養のために領地へ戻っていた間に、いくさが始まってしまったことだった。


 どうにか、サレがモウリシアの攻撃の第一波を防ぐことができたのは、コステラ=デイラ攻めに対する、今の大公[スザレ・マウロ]の消極性にあった。

 モウリシアの指揮下にある赤衣党の出兵は黙認したが、公女に直接、刃を向けることを嫌った大公は、彼の指揮下にある兵の動員は拒んだ(※4)。

 攻撃の失敗と、大公の消極性のために破滅を免れた旨をサレが喧伝したため、大公とモウリシアの仲にひびが入った(※5)。



※1 「巨人の口」[サルテン要塞]を攻め立てたためであった

 現在、第三次サルテンの戦いと呼ばれるいくさのこと。


※2 遠北公とモウリシアが手を組んでいたのは明白であった

 サレの悪癖として、カストの能力を軽んじたために、窮地へ立たされる事例が目立つ。

 カストが主導した、第一次大掃討および、今回の遠北公との同盟について、事前に何らかの情報を得ていたはずなのに、カストのすることと放置していたきらいがある。

 本回顧録だけではなく、他の史料を参照してカストの実像を検証すれば、マウロに忠誠を尽くす、有能ないくさ人の姿が浮かび上がってくる。


※3 何とか鎮圧しながら

 カストの同調者たちが、緑衣党の姿で暴動を起こしたので、緑衣党で同士討ちが起こるなど、かなり混乱をきたしたもよう。

 この件を受けて、後日、サレは緑衣党の制服を改め、また、その管理を徹底した。現在、我々が挿絵などで確認できる緑衣党の姿は、この改められたものである。


※4 彼の指揮下にある兵の動員は拒んだ

 ハランシスク云々うんぬんのくだりを誤りだとは言い切れないが、マウロが直属の兵を動かさなかった理由は、ルンシ・サルヴィ率いる塩賊への対応のためであろう。

 間接的に、サレは生涯の敵である塩賊に助けられた格好だったが、それを回顧録に書くわけにはいかなかったと考えられる。

 一方のサルヴィは、後日、一連の事情を知ると、良識派と青年派の対立に乗じて兵を起こさず、その成り行きを傍観するべきであったと、生涯悔やんだ。


※5 大公とモウリシアの仲にひびが入った

 マウロとカストの関係は最後まで良好だったが、この頃から、両者の側近間の対立が激しくなり、青年派に動揺をもたらした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る