スラザーラ内乱記注解

蜃気楼(十)

　六月二十八日午前。

　着慣れぬ正装を身にまとい、サレは鳥籠[天（てん）鷺（ろ）宮（きゅう）]へ参内（さんだい）した。

　広い鳥籠の無数にある庭のひとつで、摂政[ジヴァ・デウアルト]に仕える[オルネステ・]モドゥラ侍従とやり取りをしたあと、たまたま東屋で出くわしたという体裁を取り、サレは摂政と話す機会を得た。

　サレが片膝をつき、礼を示すと、侍女に茶を点てさせていた摂政は手を振り、東屋の椅子に坐るよう促した。

「よく来た。近頃は老執政[スザレ・マウロ]の目を気にしてか、私に近づいて来る者も少ない。……まあ、数などはどうでもよいと言えばよいのだがな。今日は何用だ？」

　サレは深く頭を下げてから口を開いた。

「先日は、タリストン・グブリエラ殿の州馭使任官の願い出につき、ホアラの件に言及していただき、まことにありがとうございました。これはほんのお礼の品でございます」

とサレが述べたのち、同行していたモドゥラ侍従が、一振りの刀を摂政に差し出した。

「これは？」

「私が作らせた刀の中でとくにできのよいものです」

　「ということは実戦で使う刀だな」と言いながら、摂政は手際よく刀を鞘から抜いた。

「武骨で何の飾り気もないが、それが逆に美しいな」

　「はい」と短くうなづくサレを見ながら、「よく切れるのか」と摂政が問うた。

「いいえ。切れすぎる刀はいくさ場では役に立ちにくいので」

と答えたサレに、「人間と同じだな」と摂政が応じた。

　摂政は刀を脇に置くと、「それで、本題は何だ」と大きな黒目の瞳でサレを見据えた。

「ホアラの件は方便で使っただけのこと。それは[南衛（なんえい）]府尉（ふい）も当然承知であろう」

　市井で妖怪と呼ばれている男の言に、サレは黙ってモドゥラ侍従を見た。モドゥラ侍従は一つ頷くと、懐から書状を出し、それを摂政に渡した。

「今日は国叔[ジヴァ・デウアルト]さまにお金儲けの話を持ってまいりました」

　摂政は「ほう」と言いながら書状を受け取り、中身を確かめた。

「大公[ムゲリ・スラザーラ]殿がご健在の時は、言えばいくらでも金を用立ててくれたが、老執政は渋くてな。しかし、府尉も気をつけておいたほうがいいが、一度ついた浪費ぐせというのは、なかなか抜けないものでな。困っておったところなのだ。……近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]や東州公[エレーニ・ゴレアーナ]のくれる小遣いだけでは足りなくてな」

　摂政はしばらくの間、右手を額に置いて考えたのち、「よかろう」と書状をモドゥラ侍従に返した。

「南州公への文面は府尉が考えてくれ。私がそれに花（か）押（おう）を書こう」

　摂政の言葉に対して、サレは懐に手を入れ、書状を取り出した。

「おそれながら、臣の案はこちらに」

　「気が利くことだ」と言いながら、モドゥラ侍従から書状を受け取ると、摂政は一瞥（いちべつ）して、書状の隅に花押を記した。

「うわさに聞いていたが、無駄のないよい手跡だな。府尉も裏書きせよ」

　サレはモドゥラ侍従から書状を渡してもらうと、書状の裏に、花押を書いた。

「金は山分けでよいか？」

「国叔さまにお名前をお借りして五分では……」

「では、私が六で府尉が四にしよう。うまく行くと良いな。いろいろと……」

　そう言われると、サレはじっと摂政の目を見たのちに、「まことに」と応じてから、再度、深く頭を下げた。

「まあ、茶でも飲みながら、公女[ハランシスク・スラザーラ]殿のラウザド行きの話でも聞かせてくれ」

　「さすが、お耳が早い」と答えたサレのまえに、侍女の手で茶碗が置かれた。乳白色の茶の色を、数瞬の間、彼はぼんやりと見つめた。