ホアラ(三)
結局、新暦八九二年はそのまま過ぎ去ったが、翌年の晩冬三月三日にいたり、事態は急変した。
薔薇園[執政府]からの指示を待っている間に、前年戦死した東南公[ヌコラシ・グブリエラ]の長子タリストン(※1)の一軍が、ホアラへ攻め込んで来た。
父君の死を受けて東南州の州馭使を自称していたタリストンの差し向けた兵の数は二千であり、短期間にホアラを落とすには十分な数であった。
使者として、前の東南公から側近として仕えていた学者殿[イアンデルレブ・ルモサ](※2)がサレに通告を行った。
通告は、「ホアラの地に、ヘイリプ・サレは代官として置かれたものであり、そのヘイリプが亡くなった今、その帰属は本来の持ち主である東南州の州馭使に返されるべきである」という論旨(※3)であり、北でホアラと接するマルトレとも話がついているとのことであったが、その真偽は不明であった。
サレ家側で交渉を担ったゼヨジ・ボエヌが、サレ家の投降の可否を尋ねたところ、それは可能であったが、このままサレがホアラに留まることは認められなかった。
「公が反対されていてどうしようもありません。……親交のあったアイリウン殿のご遺体への、百騎長殿の行いが許せぬとのことです。いくさ人として許せないと」
学者殿がすまなそうにボエヌへ告げた(※4)。
※1 長子タリストン
タリストン・グブリエラは、ムゲリ・スラザーラの最側近であったヌコラシの長子であり、自身もスラザーラの側近であった。弓の名手と知られ、他の州馭使とはちがい、芸術にも理解があったが、性に冷酷なところがあるというのが世評であった。
タリストンは、コイア・ノテの乱直後、南部州で最大の兵力を有していたため、声望には欠けていたところはあったが、もっともスラザーラの後継者に近い位置にいた。父の遺領を継ぐと宮廷工作を行い、父の政敵であった摂政ジヴァ・デウアルトの頭越しに州馭使へ就こうとするが失敗する。これがジヴァとの間で大きな確執を生み、コイア・ノテの乱後の混乱期に、タリストンの立ち位置を複雑なものにした。
「短い内乱」前期の対立を経て、のちにサレと和解するが、本書を通じてその呼称は実名で記されており、敬称が用いられていない点に、サレの心中が察せられる。
サレは、タリストンを「先を見通す知恵はあるが、感情を優先されるので天下がとれなかった。正しい選択がどれか知りながら、自ら悪手を選択していた。途中で目覚めるまでは愚人であったと言わざるをえない」と評している。
※2 学者殿[イアンデルレブ・ルモサ]
「学者」と呼ばれ、当時、ハランシスク・スラザーラに次いで学識を有するとされていた。ハランシスクが実学を好んだのに対して、ルモサは史学に秀でた。能吏でもあったが、その声望を終生タリストンにねたまれた。
※3 論旨
もともと東南州の領地であったホアラを西南州に組み入れたのは、ムゲリ・スラザーラであった。それを他者に相談なく、タリストンは自領に収めようと企てたわけだが、これはコイア・ノテの乱後に起きた、最初の他州への侵略であった。
タリストンの父ヌコラシは、中流騎士の家の出であり、スラザーラの躍進にともなって、東南公に就いていた。元来、東南州は在地の旧勢力に力があり、それをヌコラシはうまく収めていたが、その死後、若くして、また、宮廷の実力者であるジヴァの同意を得ずに州馭使を自称したタリストンは、ジヴァと結びついていた旧勢力に自らの実力を示す必要があった。それが、地政学的な必要性は確かにあったが、スラザーラの作り上げた体制に反するようにも考えられる、ホアラ進攻につながったと推測される。ホアラに関するタリストンの行動は十分理解に足るものであったが、一面、スラザーラの後継者を目指すうえでは、思慮が足りない行動だったと言わざるを得ない。
※4 学者殿がすまなそうにボエヌへ告げた
兄アイリウン・サレ、そして言外に父ヘイリプの扱いを持ち出して、サレを非難しているが、実際、タリストンの頭の中にあったのは、サレとハランシスク・スラザーラの関係にあったと考えられる。
スラザーラ家の家長であったハランシスクは、コイア・ノテの乱後の混乱状況において、いちばんの不確定要素であった。そのハランシクと近い存在であるサレに、交通の要所であるホアラを与えておく器量がタリストンにはなかった。
後付けの話となるが、タリストン自身はジヴァと明確な敵対関係にあったわけではなかった以上、父の死を受けて和解し、ジヴァに話を通して州馭使となって、東南州州馭使として、サレがホアラの代官になる後押しをしていれば、「短い内乱」はかなりタリストン優位に進んだと考えられる。しかし、歴史はそのようには進まなかった。
なお、ホアラ時代のサレは、ハランシスクの乳兄弟であり、意思の疎通ができる数少ない人間であることの重要性を理解したうえで、明確に関わりを避けている。
スラザーラ家の家宰であるオリサン・クブララを通じて、ハランシスクから上京の指示が数度来ていたが、サレは自らの政治的な中立を保つために、適当な理由をつけて、これを断っていた。
サレとしては、執政府ではなく、ハランシスクに自身のホアラ代官の着任を求めていれば、それは叶ったであろうが、彼はそうしなかった。当時のハランシクの置かれていた危うい立ち位置に近づくことで、彼の生涯の目的である家名の存続が損なわれることを恐れたためであるが、ムゲリの古参の臣を父に持ち、自身もハランシスクの乳兄弟という生い立ちから、彼が中立的な立場で混乱期を乗り越えようとしたのは、後の経緯を知る者からすれば滑稽に見える。しかし、だからと言って、いろいろなものを背負わされていた青年を笑うのは、酷な話と言えるだろう。
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