一巻(八九二年八月~八九三年三月)

第一章

西征(一)

 新暦八九二年、盛夏八月一日。

 前の大公[ムゲリ・スラザーラ]の命により、鹿しゅうかんえいの任を解かれた(※1)ノルセン・サレは、都を離れ、父ヘイリプ(※2)が代官を務めているホアラ(※3)へ戻った。

 都に置いて来た新妻(※4)は、オントニア(※5)に護衛をさせて、ホアラに寄こす手はずを整えた。



※1 鹿集館護衛の任を解かれた

 ノルセンが鹿集館護衛の任を解かれた原因については、ふたつのうわさが立った。

 どちらかもしくは両方が作用して、ノルセンはホアラへ戻されたと、史家の間では考えられている。

 以下に、みやこびとの間でささやかれた、二つのうわさを挙げる。


一、西征に反対の意思を示したため

 鹿集館内の長屋にて、非番の者たちが集まり、酒盛りをしていた際、ノルセンが次の発言をした。

「デウアルト家が統べる国家として、本来一つとされている七州ですら、文化風習の違いでいざこざが絶えず、もはや緩やかな連合に収めるのが精いっぱいで、大昔のように国として一つにまとまることなど至難の業と思われるのに、他国を治めるなどということができるだろうか。できたところで、我々に利益があるようにも思えない」

 この発言が大公に密告された結果、ノルセンは西征へ参加することになったという。

 なお、酒席に大公が同席していたとする説もある。

 その説によると、ノルセンの発言を受けて大公が酒席を離れ、みなが無言となった。その中で、ノルセンが「さて、これは自裁するべきかな」と、腰紐をほどきながらつぶやくと、隣の者が紐と刀を遠ざけて「ご沙汰を待て。勝手に死ねば、さらにお家へ迷惑がかかるぞ」と忠告をした。それに対してノルセンは、「そのように親切ならば、大公へ向けて開いていた口を、その手で押さえてくれればよかったのに」と答えた由。


二、公女ハランシスク・スラザーラの婚儀への配慮

 近北州州馭使ハエルヌン・ブランクーレとの婚礼を控えていた公女の傍に、ノルセンが仕えていることを良しとせず、北へ送られたとする説。

 このうわさに関しては、大公が側近に対して、以下のように答えたとされている。

「ハランシスクとヘイリプの次男の仲を私が気にしている? ヘイリプの次男がそのような勇気の持ち主だとは思っていない」


 以上、二説を紹介したが、ノルセン本人は、ウベラ・ガスムン宛ての書状にて、自身が西征に参加させられた理由を、「専制者のきまぐれ」とのみ書き残している。


※2 父ヘイリプ

 西南州千騎長兼ホアラ代官。大公股肱の臣。


※3 ホアラ

 西南州の北端にあるホアラは、西南州、東南州、近北州の州境に位置し、七州のへそと例えられた要所。


※4 新妻

 ライーズ・サレのこと。ウリゼエ家の出。ノルセンの正妻。


※5 オントニア

 世上では、オルシャンドラ・ダウロンの名で知られた、一騎当千のいくさびと。

 ノルセンに拾われた捨て子であり、オルシャンドラは自身でつけた名。オントニアは旧名。

 美男だが性粗暴であった。

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