第30話「その手か、翼か」
デミウルゴス、それは神の
そして、そこに今……一人の女の子が閉じ込められている。
ナナの人格と記憶を入れただけで、容量がパンクしそうになってデミウルゴスは機能不全を起こしているのだ。予定された出力の一割程度しか発揮できず、この地球の天候を操るくらいしかできない。
それでも、使う人間に神の如き万能感を与えるには十分だった。
僕は今、絶体絶命のピンチだった。
けど、ヨシュアは
「おっと、ヨシュア……やめてくれるかナ。私の大事な人に銃を向けるなんてさあ」
引けなかったんだろう。
僕自身、その声に驚いた。
僕の頭に押し付けられてた銃口が、静かに方向転換して持ち上がる。
それを向けるヨシュアの声は、震えていた。
「ジェ、ジェザド! どうして……お前はさっき、僕が撃った
そう、血塗れのジェザドが銃を構えていた。
愛用のリボルバーじゃなく、適当に
出血に息を荒くしていたが、苦しげながらもジェザドはしっかり両手で拳銃を構える。
「ヨシュア、もうやめないかい? 私も無事じゃないんでねえ……もう疲れたよ、ヨシュア」
「おっ、おお、お前が先に銃を抜いたんだ!」
「……そうだネ。もう、君は終わりにしてあげたいと思ってさあ。だって、見苦しいじゃない? デミウルゴスは失敗作さ。というより……人間の可能性をナメてたね、私たちは」
14歳の少女が持つ情報、その全てをデータ化するとどうなるのか。
僕が見知らぬこの身体の持ち主は、どういう性格なのか。想いは数値化できるのだろうか。その答が、今のデミウルゴスである。
まだまだこれからの女の子が持つ、僅か14年の人生経験をデータ化し、デミウルゴスへと保存した。
まさか、それでデミウルゴス本体の処理能力が重くなるとは、誰だって思わなかっただろう。僕だってびっくりだ。
ヨシュアはそれで、半端な悪事を積み重ねるしかできなかったんだ。
「ジェザド! 僕に構うな、僕は平気だ」
「いやあ、ナナオちゃんもだけど……その身体、大事な一人娘なのよねえ」
そう言って無理に笑うと、ふらりとジェザドはよろける。
やはり、撃たれたのは本当で、しかもかなりの深手だ。
天空に浮かぶ神の中で、ジェザドの命は今にも燃え尽きそうだった。
けど、肩を上下させながら彼はヨシュアに語りかける。
「なあ、ヨシュアよう。ナナのデータを消そうとは思わなかったのかい? このままだと、ナナのデータが重過ぎて……デミウルゴスは処理が追いつかなくなる」
「思ったさ! 思ったとも! ……でも、駄目なんだ」
「へえ、そりゃまたなんでかなあ」
「あれは……ナナちゃんは、確かに半分はマリアなんだ! 僕の愛したあの人なんだよ!」
激昂するヨシュアをすり抜けるように、僕はジェザドとアイコンタクトを交わす。
まずいことに、彼はもう体力が持ちそうもない。
人間が許容できる出血量を超えつつあるのだ。
けど、ジェザドは拳銃を突きつけたままゆっくりと歩く。
「半分もなにも、ナナはナナだよ。マリアは死んだんだ。もう、この世界のどこにもいない」
「そうだ! お前が殺したんだ! お前が!」
「もしそうだとしても、君の
ヨシュアには、デミウルゴスをナナの重さから解放させるという選択肢もあっただろう。
けど、やらなかった。
できなかったんだ。
それが
子供じみた身勝手で、ヨシュアは暴走している。
その全ては、マリアへの
だから、マリアの一人娘であるナナを消しされなかった、と、思う。
「くっ、でも! 今ここに、ナナちゃんの肉体がある! すぐに上書きして――」
「だからさあ、ヨシュア。もうよさなーい? 私たちサ、間違ったんだよ」
「間違ったのはお前だ! マリアを独り占めして!」
「あとね、ヨシュア。ナナオちゃんもさっき言ってたヨ。どうして、その苛烈なまでの恋心を……当時、まだ若さで色々できた時に使わなかったのサ」
ジェザドの声は、酷く落ち着いていた。
そして、苦しげな吐息の合間にはっきりと響く。
先に発砲したのは、ヨシュアの方だった。
一つに重なるような、たった一発の応酬。
それで全てが終わったかに思われた。
倒れたのはジェザドの方だったが、絶叫を張り上げたのはヨシュアだ。
「があああっ! 手が、手がああああっ!」
拳銃を落としたヨシュアが、情けない悲鳴と共に右手を押さえる。
ジェザドの弾丸は、正確に手の甲を撃ち抜いていた。
そのジェザドだけど、再び血の海に沈んで苦悶の表情だ。ようやく立ち上がって、僕はすぐに駆け寄る。
全く考えがついてこない、思考を挟んだりはしなかった。
まるで条件反射のように、ジェザドに寄り添い抱き上げようとする。
「ハ、ハハ……ナナオちゃん、汚れちゃうからサ」
「構わない! どこを撃たれた、心臓か?」
「弾は……貫通、してると、思うけどネ。それより」
ちらりとジェザドが見やる先へと、視線を重ねる。
大げさに身悶えながらも、ヨシュアはフラフラとコントロールユニットへ近付いていた。
「ナナオちゃん! ッグ、んんんん! と、止めて、やってくれ! ヨシュアを!」
「わかってる、任せろ!」
僕だってもうヘトヘトだったが、身体をブン投げるようにして走る。
よたっちゃいるけど、ナナの身体を酷使するのはこれで最後だ。
必ず、最後にする。
ヨシュアが左手を振り上げた。なにか、コントロールユニットを通じてデミウルゴスを動かす気だ。勿論、よくないことに決まってる。
気合で床を蹴った瞬間、僕の叫びが彼を振り向かせた。
「そこまでだ、ヨシュア!」
筋力を、一瞬だけ、最大パワーで活性化させる。疲労で熱くなった全身が、悲鳴をあげるのが聴こえた。けど、痛いのは身体だけじゃなかった。
人間の持つエゴと欲は、夢や希望の可能性を無限にはらんでいる。
その最たるもの……愛を間違えた一人の男に、心が
僕は今、本来あるはずがないし証明もできない、人間にしかない器官を内に感じていた。
「まだだ……デミウルゴスは、僕の翼なんだ! こうなったら、せめて」
「終わりだよ、ヨシュア。ジェザドに代わって……僕が、終わらせる!」
ヨシュアの左手に、全身でぶつかっていく。
関節を捻じりあげれば、ブチブチと嫌な音が伝ってきた。骨が折れて腱が断ち切られる感触。それでも、僕は容赦しない。
純然たる怒りは確かで、それに駆り立てられる僕もまた暴走していた。
そのまま柔道の投げ技の要領で、右腕を巻き込むようにしてヨシュアを引っこ抜いた。
コントロールルームの前方、ガラス張りの窓に叩きつけられて、ヨシュアが動かなくなる。同時に、強化ガラスがひび割れ、粉々に砕け散った。
「じゃあね、ヨシュア。お別れだ。翼を持つ者には、その手は与えられないのさ」
あっという間に、外の空へとヨシュアは吸い込まれて消えた。
そして、セフティー機能が作動し緊急シャッターが閉まる。
その時にはもう、僕は急いでジェザドに抱きついていた。倒れるように飛び込んで、血だらけのシャツに顔を押し付ける。
終わった……あとは、ナナの記憶と人格を戻すだけだ。
「ジェザド、やっておいたよ」
「うん、ありがとう。……あいつも昔は、ああじゃなかったんだけどネ」
「その頃の彼はもう、思い出というやつだろう? なら、大切にし
「そうだねえ。さて!」
無理に身を起こして、ジェザドは顔をしかめた。
とりあえず応急処置をと思ったが、彼は脇腹を手で抑えつつ立ち上がる。
どんどん、どんどんどんどんジェザドが
僕は自分の血の気まで引くように感じた。
けど、彼は心底痛そうにしながらも笑った。
「このコントロールルームには、直接デミウルゴスと接続する機能がある
「ジェザド、動くな……血が、止まらない」
「はは、大丈夫サ。まだまだ死んでられない……あと、少し。もう少しだけ」
コントロールユニットに覆いかぶさるようにして、ジェザドはパネルをタッチし始めた。その横に寄り添い、僕はただただ途方に暮れる。
きっと、ジェザドは死んでしまう。
このままだと、死んでしまうのだ。
でも、彼が命より大切にしたいものも知っている。それをずっと、僕は預かってた。いつしか、彼のためにナナを生かして守ろうと思えたんだ。
それが自然だと思えるくらいに、僕の気持ちは確かなものになっていた。
「は、はは……あったぞ。システム中枢への直結ルート。デミウルゴスとのリンクで、脳波コントロールできるサブシステムがある。これでアクセスすれば」
「ジェザド! もういい、あとは僕がやる! 操作も触ってればわかるから!」
「だ、駄目だよう。ナナオちゃんの……新しい、身体、もさあ……デミウルゴスで、探して、おいて――」
不意に、背後で
白い冷気を振り撒き、床が開いて大きなベッドが現れる。周囲の機器を見るに、あれが恐らくデミウルゴスとのリンク用のシステムだろう。
いよいよ、身体をナナに返す時が来た。
そして、僕の仕事も終わったということだ。
「もういいよ、ジェザド。今はナナを優先してやってくれ。僕は、そうだな……ちょっとしたささやかな
それでお別れのつもりだった。
だから、僕はそっと目をつぶってキスを待つ。
知らないうちにどうやら、ジェザドへ特別な感情を持っていたようだった。そして、それを大事に心に沈めたまま消えてゆける。
決して僕は、ヨシュアのように間違ったりはしないつもりだ。
けど、ジェザドはそっと……乾いた
「ハ、ハハ……続きは、さあ……ナナじゃない身体になってからね、ナナオちゃん」
「ジェザド、お前は」
「さ、あれに横になって。私は……ダウンロードと復元の作業に、とりかかるヨ」
僕は、ジェザドと死に別れることになると
嘘をついてる、彼は約束を守ってくれない。
もう会えなくても……それでも、ナナを元に戻そうとしてるんだ。それが親だから、大人の責任だからだろう。
僕はただ、黙って頷くとベッドに横になる。
不思議と世界の全てが歪んで滲んだ。
同時に、意識がなにかに引っ張られるように薄れてゆくのだった。
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