第28話「ダビデの一撃と、その布石と」

 絶望が僕を支配していた。

 本当に僕が14歳の少女なら、動けなくなっていただろう。

 でも、あいにくと僕の頭脳は人間じゃない。

 だからこそ、絶望的な状況を冷静に受け止めていた。


「さて、上手くいくものかな……落とし物を探すところから始めようか」


 酷く暗い格納庫ハンガーは、必要最低限の明かりしか灯っていない。

 そのなかで、煌々と"疾風ハヤテ"が燃えている。

 揺らめく炎の照り返しを受けて、迫るネフェリムがはっきりと見えた。

 その姿は、さながら死の女神……鋼鉄の戦乙女ワルキューレだ。

 そして、この無慈悲な殺人装置は、無差別に人間を殺すのだ。決して勇者だけを求めてなどいないし、ヴァルハラへと導いたりもしない。


「ネフェリムの交戦距離、索敵範囲を考えると、逃げることはできないね」


 逃げ切れない。

 先に行かせたジェザドを、追わせはしない。

 そのためにも、僕は二つのプランを同時に実行していた。

 一つ、持ってきた重粒子砲フォトン・カノンを探して、ネフェリムを撃破する。もう一つは、ジェザドとヨシュアの因縁が決着して、ネフェリムのコントロールが停止するまで逃げ回るかだ。

 どちらも、現状で考えうる最善の手だと思う。

 でも、僕は少し驚いた。


「参ったな……ジェザドへの信頼を、無意識に僕は計算に組み込んでいるぞ」


 まずは60%の力で、走る。

 フルパワーで脚を使うと、すぐにへばってしまうからだ。

 そして、地形を把握する。

 等間隔に並ぶ柱の間は、それぞれ10m程だ。そして、柱は太さ2m以上はある。華奢きゃしゃな少女の身体を隠すには十分過ぎるくらいだ。

 だが、それが甘い考えだと僕は知っていた。

 ネフェリムのセンサーは、あらゆる情報を拾って僕を補足している。


「まず、火炎放射に気をつけないと……射程距離に入った瞬間、消し炭だね」


 幸い、ネフェリムに機動力を使ってくる様子が感じられない。

 それは当然だ。

 僕ならそうするし、全ての姉妹たちがそう選択するだろう。

 ここは密閉された空間で、1on1の一騎打ちだ。

 ネフェリムのAIは、勝率100%をすでに計算し終えている。

 そして、僕には確信があった。

 あの男は……ヨシュアは、ネフェリムの戦術AIに細やかなチューニングを施してはいない。より精密に、確実な勝利を命令していれば、今頃僕は生きてはいないだろう。

 要するに、雑に最強戦力を放り投げてきたってとこだ。


『ふう、やれやれ……ええと、ナナオちゃんだったね。お前は、どこの誰だい?』


 頭上で声がして、少し落ち着きを取り戻したヨシュアが語りかけてきた。

 けど、僕の肺は呼吸に全ての能力を出し切っている。悪いけど、高みの見物な黒幕と話してる暇なんかなかった。息を乱すだけで命取りだから。

 けど、言っておかなければいけないことは、ある。


「ヨシュア! ネフェリムは初期設定では、機械的な効率の良さしか追求してはくれない。戦場の状況などを把握させるオペレーターがいないんじゃ、ただの人形だ!」

『あいにくと、僕は人形には興味がなくてね。でも、その人形に今からお前は握り潰されるのさ』

「それと、僕は元々はネフェリム770号機のAIだった者だ。誰よりもネフェリムを知る美少女というわけさ」

『ほう?』

「……自分で美少女と言ってしまう、この可憐な姿に似合わぬ図太さに対してお前はツッコミという文化を用いるべきだ。……おかしいな、ジェザドならそうするのに」


 ジェザドと暮らしてると、なかなかに文化的だと思えてしまう。会話が、情報の伝達手段である以上の意味を持っていると感じられるからだ。

 しかも、彼の言葉は予想を裏切っても、期待を裏切らない。

 そういう意味では、回線の向こうのヨシュアとは別物だ。

 だが、意外な言葉に僕は改めて人間の奥深さを思い知らされる。


『若い頃のマリアに、似ている。面影おもかげがね、あるんだよ……ナナオ、いや……ナナちゃん。君は、綺麗だ。殺してしまうのが惜しいよ』


 とても実感が籠もって、それでいて矛盾した言葉だった。

 なるほど母子だ、ナナはマリアに似てるだろう。

 そして、それが美少女で当然だと惜しみ、惜しいのに自分で殺そうとしている。

 なんだかムカムカしてきたぞ。

 この言語化が難しい不快感はなんだろう?

 けど、僕は着実に距離を詰めてくるネフェリムと鬼ごっこ中だ。


「ヨシュア! お前には礼を言う。人間の持つ情愛というのは、とても恐ろしくも素晴らしい力だとわかったよ。実に興味深い!」

『なんだい? それがどうしたというのだ』

「人間の少女に封入されたことで、僕は変わってしまった。変えたのは、そういう人間特有の感情だということさ。そして、それをお前は証明し続けている」

『ふむ……そうだ、な。僕は、マリアが好きだった。そういう意味では、ナナちゃんの誕生は絶望だったよ。マリアはもうジェザドのもので、その決定的な証拠が生まれてしまったからね』


 気持ち悪い。

 度しがたい不快感だ。

 けど、それもまた感情の機微だ。

 人間には、良し悪しや善悪とは別の価値観が確かに存在する。

 時としてそれは、大きな判断材料になるのだ。


「それとね、ヨシュア! 僕はネフェリムだった時、例の重粒子砲でジェザドに破壊されたんだ。それを持ってきてるから、僕にも勝ち目はある」


 返事はなかった。

 けど、向こうの気配が変わったのが感じ取れた。

 同時に、ネフェリムの行動パターンが変わった。

 方向転換と同時に、僕を無視して走り出す。

 弱者を追い込む肉食獣のような、一種傲慢ごうまんな歩調が激変したのだ。

 そして、それは僕にとってもチャンスだった。


「それをね、待ってた!」


 僕も行動をひるがえす。

 フルブースト、全力全開の100%で床を蹴った。

 そして、今度は逆に僕がネフェリムを追いかける。

 ヨシュアは、さかしい人間だ。

 一旦はデフォルトで放り出したネフェリムに、新たな設定を加えることが予想できた。そう、重粒子砲の存在をちらつかせれば、僕がまず所持してるかを見ただろう。

 持っていないから、どこにあるのかネフェリムに探させる。

 つまり――


「探す手間が、はぶけるってことさ!」


 ナナの身体は基本、長く病床にいたためか細い。僕が施した筋トレなんて、この短期間ではなんにもならない。

 でも、その筋力を全て限界まで使うと、話は別だ。

 人間の脳が普段、無意識のうちに施しているリミッターを解除する。

 もともとがAIの僕だ、あっという間に超人少女の完成って訳さ。

 なにかに屈むネフェリムの背中が見えた。

 そして、肩越しに振り返るアイセンサーも。

 キュイン、と音がして、ネフェリムの腰だけが180度回転した。


「悪いね、御同輩ごどうはい! どこの何号機かは知らないけど、恨んでくれていい!」


 僕は全速力からのスライディングで床を滑った。

 それは、数センチ上をブラスターの熱線が擦過するのと同時。

 ネフェリムは上半身だけを真後ろに向き直らせるや、正確無比な射撃を放ってきた。当たらなかったのは、僕が人間が励起しうる反射神経の限界を超えていたからだ。

 そのまま僕は、巨大なネフェリムの股下をくぐる。

 そして、彼女がいましがた拾おうとしていた重粒子砲に手を伸ばした。


「取った! 今いくよ、ジェザドッ!」


 ああ、追いついたら……なんて声をかけよう。

 亡き妻に今も取り憑かれて、親友がとんでもない愚行を犯してしまったのだ。それも、二人の友情のあかしである、このデミウルゴスを使って。

 なんだか、悲しい。

 とても切ない。

 そうか、これが……こういうのが、人間をもっと強く動かす想いなんだな。

 僕は、まるで人間になったような気がしていた。

 そして、重粒子砲を拾うなり身を投げだして射撃を行う。

 瞬時にテルミットの獄炎を放とうとしていた、ネフェリムを穿うがつ。


「っ、ふう! やったね」


 胸に巨大な風穴をあけてやった。

 ネフェリムは一撃で行動不能……だからさ、禁忌兵装きんきへいそうなんだ。

 個人の携行武装としては、重粒子砲は強過ぎるんだ。

 なんで作ってみてから気付くかな、人間って。

 ともあれ、無様に床に叩きつけられてバウンドしつつ、ぼくは立ち上がった。


『なんてことだ……ネフェリムを人間の女の子が? 信じられない……無敵のネフェリムが』


 ヨシュアの動揺した声が聴こえてきた。

 ジェザドはまだ、彼に到達してないのか? そんなに広いのか、このデミウルゴスの中は。まったく、急いで追いかけなきゃね!

 だから僕は、走りながら言ってやった。


「ネフェリムは無敵さ。けどね……今のはお前のミスだよ、ヨシュア」

『そ、そんな』

「重粒子砲を落としてしまった僕を、見事に案内してしまったのさ。さ、茶番は終わりにさせる!」


 僕は走った。どこかに、上層のブロックに移動する道があるはずだ。

 だが、そんな時……通話を遮る銃声がスピーカーから響き渡るのだった。

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