第13話「背後に澱む、闇」

 その夜、僕はまた夢を見た。

 そして、だんだんと分かってきた気がする。

 これは夢ではない。

 


(妙だ……ジェザドはナナの人格と記憶を全て吸い上げたと言っていた)


 端末をフォーマットして、新しいOSをインストールしたようなものなのだ。この現代の地球で最高峰のAI、ネフェリム774号機を丸々移植したのである。

 だから、この脳にはもうナナの残滓は1MBメガバイトだって残っていない筈。

 それでも、僕はまた見知らぬ時代の見知らぬ景色を前にしている。


(あれは、ジェザド? じゃあ、相手の女性は)


 ゆったりとした音楽が流れている。

 落ち着いた照明のホールで、沢山の人たちが男女一組になって踊っていた。互いに身を寄せ、手に手を撮ってメロディに揺れて回る。

 僕は身動きできないまま、それをじっと見ていた。

 その中心でナナが見せてくるのは、仲睦なかむつまじい自分の両親だ。


『フフフ、まあ!』

『お上手ね、もう』

『いやいや、君こそ』

『なんてめでたい日だろう』

『今年もみんなで感謝祭を迎えられたね』


 周囲のその他大勢も、とてもとても、それはもうとても楽しそうだ。

 紳士淑女の社交の場らしいが、ムーディな音楽が酷く耳にさわった。僕はまだ、人間の肉体になってから音楽というものに向き合ったことがない。だからだろうか、上手く言葉にできない不快感が感じられた。

 音楽、それは人間が持つ独特な文化だ。

 五感の一つ、聴覚から入力される空気の振動を感情に変換するのである。

 だが、今の僕にはなんだか拷問みたいだった。

 視界だって動かない。

 この時のナナは過去、きらびやかな父と母を見ていたんだ。


私を月へ連れ去ってFly me to the moonそして星の海で踊らせてLet me sing among those stars♪』


 スピーカーから流れる音楽には、リズミカルにうたが踊っている。

 人間は様々な楽器を生み出したが、一番はやはり人間そのものだろう。その声帯を通じて練り上げられた空気の波長は、並ぶ言葉によって歌になる。

 そこには無数の感情と思想、そして物語が凝縮されているのだ。

 それにしても、ナナは真っ直ぐに両親だけを見ている。

 そして、ジェザドとその妻マリアの声は僕にはっきりと聴こえた。

 不思議と声まで、僕に似てるような気がした。


『感謝祭ね、おめでとうジェザド。もう三年、この研究室で三年目よ』

『ありがとう、マリア。嬉しいもんだね。……これが軍の施設でなきゃねえ』

『またそんなことを言って。私たち、軍隊に入った訳じゃないわ』

『それでも、あれが……デミウルゴスが完成すれば世界は恐怖に支配される』

『恐怖するのは、戦争が好きな政治家たちよ。彼らが、真理を目にして強欲を諦めれば……戦争という野蛮な狩猟時代の産物を捨てられれば』

『捨ても忘れもしないヨ。基本的に人類はエゴと欲がガソリンだ。だから』


 きっと、この時のナナは言葉を理解していなかっただろう。

 そして多分、両親の声すら届いておらず、聴こえていない。

 これはナナが過去に体験した記憶の再現で、それを僕がネフェリムの脳で捉えているから聴こえるのだ。

 ナナというのは、普通の人間の女の子だ。

 人類全てがそうであるように、鼓膜でキャッチした空気の振動を、脳が自動的に処理している。いわゆる『耳を澄ます』なんて行為もあるが、概ね人間には聴こえない音の方が多いのだ。それは聴こえていないというよりも、脳がいらない音域のノイズとして遮断しているのである。


(ジェザド、お前はこの時からこうなのか。辺にシュに構えて)


 あ、間違った。

 しゃに構えて、だ。

 美しいドレスの妻と踊ってても、ジェザドはどこか皮肉めいた笑みを浮かべている。そう、笑顔なのにどこかで自分を笑っている。嘲笑わらっている。

 多分、今この瞬間の境遇や環境に不満があるのだろうか?

 わからない、あまりに複雑な思考ルーチンだ。

 言葉に発した文脈の全てを何度反芻しても、不思議な齟齬が感じられる。

 感じる、という曖昧な表現でしか僕は掴むことができないなにかがあった。


『もう、ジェザド。そういう顔はよして。ほら、ナナが見てる』

『ごめんよ、マリア。はは、私たちのかわいい天使、女神様が手を振ってらあ』

『今度はマリアと踊ってあげてね? あの子、一生懸命強請ねだってたから』

『わかったよ、大歓迎だ。脚を踏まれるのには慣れてるしネ』

『ちょっとそれ、どういう意味かしら? ふふ、ジェザドって変わらないのね』


 酷く平和な光景だった。

 ジェザドとマリアは、こちらに向かって手を振り、笑顔で互いを回しこなした。音楽の調べはとてもゆっくりで、ともすればルーズと思える程に静かにたゆたう。

 この光景を見て、平穏や安寧を感じぬ人間などいないだろう。

 僕もそう思っているが、正しくはそう評価しているという認識が正しいだろう。ナナオという名と共に人間生活を始めてからの、蓄積されたデータや前例に照らし合わせて導き出した解答、それが平和という感想だった。


(しかし、なんだ……妙だ。何故なぜ、この音楽が僕を苛立いらだたせる)


 起きてからネットで調べれば、すぐに曲名もわかるだろう。

 甘やかな、それでいて弾むような女性のヴォーカルだ。楽器が歌うような、という表現がぴったりなハイトーンボイスである。人間の声というのは不思議なもので、空気が震える波長として100%同じ音を電子的に作成しても、全く違って聴こえるという話がある。両者は同じデータであるにも関わらず、人間は同じ人間の声と、電子音声とを聴き分けるというのだ。

 そんなことを考えていて、僕はようやく気付いた。

 音楽が不快なのではない。


(これは……わかったぞ。というか、この記憶をリアルタイムで感じて記憶した時間軸、ナナ本人は気付かなかった。気付けないんだ、人間の脳では)


 正確に記憶が再現されてるとしても、人間のナナでは気付かないことがあったのだ。

 それが今、AIである僕には察知できた。

 音楽にかすかに、ほんの僅かに不協和音が入り混じっている。

 僕には、このフロアの人間の鼓動や呼吸音、囁きや呟きも全部聴こえていた。

 ナナの脳が無意識に切り捨てた音域に、不気味なノイズが走っている。

 そして、それはおぼろげながら人間の言葉をまとっていた。


『ジェザド……お前はいつもそうだおかしいだろだってそうだろ? おかしいんだどうしてお前が……俺じゃなくてお前だというのがつくづく理解しかねる不条理だ理不尽なんだよ』


 それは、声にならないなげきだった。

 恐らく発声してはいないが、呼吸に紛れて漏れ出ていたのだろう。

 僕の後ろから……ナナの背後から不気味な声が泡立つ。

 心のままに口の中で呟かれた、その声がマシーンである僕の脳には拾えたのだ。


(そうか、後ろに……この時、ナナの後ろに誰かが……ヨシュア? お前はヨシュアなのか)


 残念ながら、当時のナナには聴こえていない。

 だから、振り返ってはくれない。

 ただ、僕は後頭部に刺さる冷たい情念の波動を感じていた。自分でもおかしいと思うくらいに、語彙が豊富になってゆく。湿った熱というか、とても暗く濁ったものが注がれていた。ナナを貫通して、その視線の先のジェザドとマリアに放たれていたのだ。

 それに気付いた時、僕は絶叫と共にベッドに身を起こしていた。


「う、うーっ、ううううーう! っ、はあ! はーっ!」

「ん……どしたのヨ、ナナオちゃん。怖い夢でもみたかい?」


 僕は例のメルセデスの部屋で、暗がりの中に呼吸をむさぼる。

 不思議と身体が濡れていた。

 そして、その液体が凍るように冷たい。

 過剰な発汗作用に見舞われ、汗だくになっていたと気付いた。

 ソファで寝ていたジェザドが、眠そうに目をこすりながらやってくる。彼は僕を見てすぐに表情を引き締めた。そして、横に来てくれて肩を抱いてくれる。


「おー、よしよし。嫌な夢でも見たんだねえ」

肯定ポジティブだ」

電気羊でんきひつじ、出てきた? この場合、いわゆる電気羊ってのはサイボーグ羊なのかな? それでも羊型のアンドロイド? あ、羊だからむしろ……シープロイド?」

「なにを言ってるんだ、ジェザド。意味不明だ。けど、わかった……ような、気がする」


 ジェザドは落ち着かせるように僕の背をポンポンと叩いてくる。

 医療的な効果があるかどうか、まったくもって不明だ。けど、不思議と心が落ち着いてくる気持ちを否定できない。肉体よりも精神的なケアという訳かな。

 そして、僕は胸に手を当て深呼吸してから、ゆっくりと切り出した。


「バードロンを必殺爆弾に変えるトリガー……それは多分、音だ」

「ナナオちゃん、どうしたのよ? やぶからぼうに。えっと、音? でも、そんなの例の研究所では」

「人間に聴こえない周波数の音ということだ。人間が意識できない領域の波長というのはあるだろう」

「! ……フム。そういえば、昔ヨシュアがこんな話をしてたヨ」


 ずるりとジェザドは手で顔を舐めた。

 そして、寝ぼけ眼の表情が一変する。

 そこには、僕がまだ知らない賢者の顔があった。


「大昔に、二酸化炭素を出さない発電が流行はやった時代があってね。で、巨大な風車を大量に作った地域があったんだヨ」

「風力発電? どうしてまた、そんな非効率的な方法を」

「まだまだ科学技術が発展途上だったの。それで……どういう訳か、大量の渡り鳥が風車に突っ込んで死んだんだよねえ。集団自殺みたいで気持ち悪かったって話」

「風車……渡り鳥……ふむ! 風車の回転が生む低周波!」

「そう、正解! 人間には聴こえない、鼓膜が感じてるのに脳が切り捨ててる周波数だ。でも、どうして? 閃き凄いじゃんねえ、ナナオちゃん」

「いや、ちょっと夢で」


 早速ジェザドは、端末を取り出しルカに連絡を取ろうとしていた。

 僕は何故か、ちらりと振り向きウィンクしてくれる彼に拳を突き出す。親指を立ててりきめば、なんだか奇妙な達成感が悪夢を忘れさせてくれるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る