第17話 鋼鉄の女


「ここはもういい」

 と、二人は村を出て、草木に埋もれた道を下りていった。

 歩いているうちにどんよりしていた空からぽつぽつ細かい雨が降ってきた。

 獣道を抜けてまともな道に出ると、駐車してある車に戻る前に紫恩は御堂に訊いた。

「おまえ、体は平気かい? 気持ち悪いとか、ないかい?」

「そういえば、肩がちょっと重いような」

 と、首を傾げながら肩を回す御堂に、紫恩は心底呆れて言った。

「そりゃそうだろうよ。あんたの肩に十体以上乗ってるよ」

「ええー。それはいくらなんでも大げさでしょう? もう、無茶したからって、そんな意地悪言ってえ」

 紫恩はむっつりすると、数珠を取り出し、両手でまさぐるようにじゃらじゃら鳴らすと、一般人にはなかなか聞き取れない真言しんごんを早口で唱え、

「かあああっ!」

 と、目をむいて気合いを発した。

「わあ、びっくり」

「どうじゃ、ずいぶん楽になったじゃろう?」

「確かに……」

 御堂は快調に肩を回して笑顔になった。

「ありがとう。いやあ、本当に憑いてたんだあ」

 紫恩はまたむっつりした。

「まだ三体ほど憑いてるよ。


 カアーッツ!


 ……取れたよ」

 御堂は、ほっ、ほっ、と体をひねって確認した。

「おー、軽い軽い。もしかして前から何体か憑いてたんじゃないの?」

 明るくはしゃぐ御堂を殺伐とした目で眺め、紫恩は、

「行くよ」

 と車へ向かった。前髪から雫をぽたぽた落としながら御堂も続いた。



 市街地に出て今夜の宿を捜し、ビジネスホテルでツインルームを取り、食事に出かけた。

 雨も本降りになり、観光気分にもなれず、夕食はお馴染みのファミレスで済ませ、代わりにスーパーで夜食を買い、ホテルに帰った。

 ホテルには部屋風呂の他に大浴場があって、御堂はさっそく入ることにした。

「背中流してあげるわよ?」

 と紫恩も誘ったが、

「わしゃあ、いい。ゆっくり浸かっといで」

 と言うので、

「もったいないなあ」

 と言いつつ、一人で行くことにした。



 御堂が出て行くのを見送ると、紫恩は携帯で電話をかけた。

「もしもし、穂積です。夜分遅く済みません。宮園エリカは、変わりありませんでしょうかのう?」

 まろやかな中年女性の声が応えた。

『ええ、お変わりありませんよ。まあ、決していいことでもありませんけど』

「お世話かけます」

『いいええ。いつもお気に掛けていただいて。穂積さんだけですから、宮園さんをお見舞いくださってるのは』

「本当に何もありませんかの?」

『ええ、相変わらず静かなものですが……、何か気に掛かることでも?』

「ああ、いや、それならけっこうですじゃ。どうぞよろしくお願いします」

『はい。承知いたしました。またお訪ねくださいね? きっと宮園さんも喜んでおられるでしょうから』

「はい。その内また。失礼いたします」

 電話を終えると、紫恩は街灯りの滲む窓を眺めて、静かにため息をついた。

「御堂美久。引き受けさせて悪いのう……」



 御堂が浴衣姿で帰ってくると、部屋の各隅に盛り塩を施されていた。

 紫恩は部屋の風呂を使って、カップ酒で晩酌していた。

「いいなあ。わたしも飲みたい」

「未成年じゃろうが。麦茶で我慢しとけ」

「べー、だ」

 御堂はスーパーで買ったアセロラドリンクを冷蔵庫から出した。

 紫恩が窓際の籐椅子に座って晩酌しているので、御堂は壁に備え付けの文机から椅子を引っ張り出して座った。

 紫恩は不機嫌な怖い顔を御堂に向け、ここまで触れずにいた話題を振った。

「それじゃあ話してもらおうかのう、あそこで何を見たのか」

 紫恩もやっぱり怖いんだなと御堂は思っていた。紫恩はある程度事情を知っていて、専門家として考えていることがあるはずだ。その真実を知ってしまうことに、心の準備が必要だったのだろう。

 決心がついたんだな、とうなずき、黒い社の中で見た映像のことを話した。


「双子じゃと?」

 紫恩はギクリと驚きをあらわにした。まるっきり想定外だったようだ。顎に手を当て懸命に考えだした。

「そうか、あれは鏡ではなかったのか。いや、鏡の無い鏡を、双子を向かい合わせることで鏡に見立てておったのか」

 暗幕と双子のからくりを頭に思い描き、「そうか、そういうことだったのか」と、しきりに感心し、納得していた。

 御堂にはさっぱり分からない。

「で、あれはいったいなんなんです?」

「おそらくその二人は巫女で、神を降ろしてご託宣たくせんを得る、降霊術の一種ではないかな。

 つまりな、鏡のこっちが現世、あっちがあの世と見立てて、あっちの影の役の娘に神を憑依ひょういさせるんじゃ」

「ふうん。じゃあ、鏡の裏側はあの世で、あっちの娘はあの世の者になっているわけ?」

「そういうことに……なるな」

「軍人とアドバイザーみたいな男は何? 村の人間ではない感じだったけど?」

「うむ……。そういうことが実際に行われていたのか、半信半疑ではあるが……

 おそらくそれは戦中のことなんじゃろう。戦争となればありとあらゆる手段を講じて敵を打ち負かそうとする。女子供も総動員で……、八百万やおよろずの神もな。今でも神社の中に軍人が納めた戦勝祈願の立派な額が残ってたりするじゃろう?

 軍部があの村で強力な神を降ろす神事が行われていると知って、それが利用出来ないか……、神風を呼べないか、敵の兵士や大将を呪い殺せないか、と視察に来たんじゃないかのう……。学生服風の男は、大学の民俗学の学者なんかじゃないかのう」

「戦争の道具として利用されることに神様が怒って、ああいう事故が起きた?」

「おそらくな」

「具体的には何が起こったの? 鏡のあっち側に現れた、もう一人の娘は、何?」

「現れた同じ姿形の娘は、降りてきた神じゃろう。本来の神事の形は、呼ばれた神は、あの世側の娘に憑依して、一心同体となって、この世側からの質問に答えたりするんじゃろうな。それが神自身、姿を現したということは、人間に拒否の意思を表明したということじゃろう。

 それにしても、空間に亀裂を入れて爆発させるとは、怒りの程と言うか、凄まじいと言うか、恐ろしいものじゃのう……」

「ものすごい力を持った神様なんだ?」

「そうじゃのう。なにしろ京都以前の古都じゃからのう、古よりの大神様がおるのが自然じゃ。まったく、罰当たりなことを仕出かしてくれたもんじゃ」

「ふうん……。それで、今現在はどういう状態になってるの?」

「そうじゃのう……。娘が怨霊となって現れているからには、死した娘の魂は降霊術のアイテムである鏡無しの鏡枠に封印されてしまっておるのじゃろう。どうしてそうなっているのか……、不幸な死に方をして成仏出来んかったのかのう……。

 ……そうか、顔を捜しておるのは爆発で吹き飛ばされた自分の顔を捜しておるのかと思ったが、自分の顔を忘れたわけではない。つまり、捜しておるのは、自分と同じ顔をした、双子の片割れかも知れんのう」

「つまり、姉妹はいっしょには居ない?」

「そうなのかも知れん。……一方だけ、鏡に捕われたのかのう……」

「で、どうしたらいいの? 普通幽霊を成仏させるのって、成仏出来ない理由を聞いてやって、お経とか読んで慰めてやって、成仏するよう納得してもらう……って感じ?」

「そうじゃなあ……。まあ、少し考えさせろ。単純な悪霊怨霊とも思えんからのう……」




 翌日。

 帰り道もほとんど御堂が運転した。

 西から東へ雲と一緒に移動して、しとしと梅雨らしい雨の中のドライブになった。

 助手席でむっつり黙り込んでいる紫恩を横目に見て、御堂は言った。

「なんだかご機嫌斜めですね。運転したいんですか?」

 すっかり運転に慣れて楽しくなった御堂は終点まで一人で運転する気でいた。

 紫恩はブスッとした声で訊いた。

「おまえ、怖くはないのか? 普通の人間はまず見ん物を見たんじゃぞ?」

「昨日のこと? そりゃ怖いけどさ、相手のことを知らなきゃ対処のしようがないじゃない? その為に来たんでしょ?」

「おまえは馬鹿には見えん。だが利口でもないな。

 おまえ、自分は死なないと思っているじゃろう?」

 キュッキュッとワイパーがメトロノームのようにフロントガラスに溜まる雨水を拭き取っている。

 御堂はしばらく運転に集中するふりをして、間を置いてから訊いた。

「なんでそう思うの?」

 紫恩は横目で探るように御堂の表情を見ながら言った。

「おまえはまれに見る強運の持ち主らしい。正義の心も強い。だがな、自分の運の強いのを頼りに、命を危険にさらすような無茶をしておると、ある日突然、運気が反転して、悪い方の凶運に見舞われて、死ぬことになるやも知れんぞ」

 御堂はずっと無言でいたが、渋滞にはまったのを機会に、語り出した。


「実はわたし、超大金持ちなのよ。もっとも、アメリカに行かないと使えないんだけどね。


 両親は結婚前、ずっとアメリカで仕事をしていてね、向こうで知り合って、父が帰国するのを機会に結婚して、二人で日本に帰ってきたのね。そしてわたしが生まれて。


 わたしが五歳の時、父が久しぶりにアメリカに出張することになって、母とわたしも一緒に付いて行ったの。

 二週間ほど過ごして帰ることになったんだけど。


 滞在中、父は向こうの友人たちと会って、記念に共同で宝くじを買っていたの。

 自分で数字を選ぶ、ロトくじよ。

 たまにニュースになるけど向こうの宝くじって、当たりが出ないと賞金が累積されていって、ものすごい金額になることがあるのね。

 父が友だちと共同で買った数枚の内、一枚が、なんと一等に当たったの。それも何週間もキャリーオーバーが続いて、ものすごい金額の。

 抽選はわたしたちが帰国する前日だった。ものすごい当選金が出たって言うニュースはなんとなく見た覚えがあるわ。それを自分の父親が買っていたなんて知らなかったけれど。

 父は、知っていたんじゃないかと思うのね。なんだかニヤニヤして、可笑しくて仕方ないって感じだったから。わたしが変に思って訊くと、お家に帰るのが嬉しいんだ、って言ってたけど。


 わたしたちが乗った飛行機は、離陸直後、機械トラブルを起こして、墜落したわ。


 乗客二百名以上が死亡して、生存者はほんの数人だった。

 両親も死んで、わたしだけ奇跡的に生き残った。それも、気を失っただけで、ほとんど無傷で。

 機内のパニックと激しい衝撃は覚えているけれど、自分がどうやって助かったのかは全然覚えてないわ。

 わたしは病院に数日間入院して、父方のおばあちゃんが迎えに来て、日本に帰国したわ。


 一ヶ月ほどして、父のアメリカのお友だちからお悔やみと、宝くじに当たっていたことを知らせる電話があったわ。

 父と友人四人のグループで三十枚のくじを買って、その内の一枚が当たっていたそうよ。

 電話をくれた友だちはね、最初、父の死を知って、父をグループから除外しようと四人で決めたと教えてくれたわ。一人分の分け前だけでもすごい金額だったから、欲が出たんだ、ってね。

 ところが、そう決めてから、四人の周辺で不幸が続いて、父の祟りだ、って恐れるようになって、わたしにきちんと分け前を渡そうと決めたそうよ。

 でも困ったのがね、向こうの法律で、賞金を国外に持ち出すことが出来ないのよ。そもそも外国人は買えないんだけど、父は生まれたのがアメリカで、市民権を持ってるから買うことは出来たのね。……父がニヤニヤしていたのは、その辺の事情を理解していたからというのもあったんじゃないかと思うわ。

 だから、わたしはそもそも賞金を受け取れないんだけど、彼らはよほど父の祟りが怖かったらしくて、代表がわたしの後見人として賞金を運用して、その利益の中からわたしの生活費や教育費を送金してくれることになったの。もちろん、成人後、わたしがアメリカに行けば賞金はそのまま渡すということでね。

 だからわたしはアメリカに行けば大金持ちなわけ。あと二年したらね。


 紫恩さんに守護霊を視てもらったでしょ?

 もしかしたら両親じゃないかって思ったの。

 事故から命懸けでわたしを守ってくれた父と母が、そのまま守護天使になってわたしについていてくれてるんじゃないか、って。


 わたし、十二歳の時にも大事故に遭って、命が助かってるの。

 小学校六年生の修学旅行で、高速道路を走っているバスに、居眠り運転の大型トラックがぶつかってきて、クラスメート十人が死んだわ。

 わたしの前後の子たちが潰されて死んだんだけど、わたしと隣りの子だけは助かった。

 生き残ったクラスメートたちのショックは大きかったし、子どもが死んだ親もね、半狂乱だったでしょうね。

 わたしが航空機事故に遭ったことは知られていて、わたしを『死を招く悪魔の子だ』って言う人もいたわ。

 そうかも知れないと、わたし自身思ったわ。でも。


 この時わたしが助かったのは、わたしの意思よ。


 トラックが接近してくるのを見て、『危ない!』と叫んで、とっさに隣りの子をかばって中央の通路に伏せたのよ。二人ともシートベルトをしていたはずなんだけど……とっさに外したんでしょうね、覚えてないけど。おかげでわたしとその子は助かった。

 そこでわたしは考えたのよ、


 どうやら死に出会ってしまうのはわたしの運命らしい、けれど、

 その気になればわたしは死の運命にある人を救うことが出来る、


 ってね。

 わたし、両親のアメリカ的性格を受け継いでいるらしいわね。悪いことが起こっても、自分のせいだ、とは考えないことにしたの。


 自分がそこに居るのは、そこに居るべき意味があるんだ、ってね。

 わたしを必要としている、運命があるんだ、ってね。


 ちょっと自分を買いかぶり過ぎかな?」



 紫恩は深くため息をつくと、不機嫌だった表情を和らげた。

「因果な奴じゃな、おまえさんも。

 おまえさんが並外れて生命力の強いのは分かった。

 だがな、忠告は変えんぞ?

 自分の運を過信しておると、痛いしっぺ返しを食らうからな?

 ご両親に守ってもらった命じゃ、大事にせい」

「はーい。

 まずは無事に帰ります」

「頼むぞ」

 紫恩はすっかり御堂に運転を任せ、やはり気まずそうに車窓の外へ顔を向けた。

 御堂から隠れガラスに映ったその顔には、やはり、どうにも後ろめたい憂鬱が浮かんでいるのだった。

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