第15話 黒い社
白茶けた細長い土地に、集落の残骸が残っていた。
元々、二十か、せいぜい三十か、その程度の戸数の村だったのだろうか。
皆、木造の家で、塗り壁や、トタン板の物もある。いつ頃まで人が住んでいたのか不明だが、建物を見た感じでは、昭和の中期、戦後の早い時期までではなかったかと思われる。高度成長期を経て、徐々に過疎化、高齢化を迎えて、自然消滅していった多くの廃村に比べると、一時代早く潰れてしまったように思える。
ぽつぽつとランダムに建つ家や、そこに付属する小屋で、まともな状態の物はほとんどない。
今にも倒れそうに傾き、壁が割れ、窓が外れ、屋根が破れ、木が腐り、植物に浸蝕されている。
草むらの中に真っ黒に錆びた大きな滑車のような機械が埋もれていて、おそらくこの村は林業が主要な収入源になっていたのだろう。
山の中で、標高はどのくらいあるのだろうか。梅雨らしいどんよりした曇り空で、木々の緑だけがやけに濃く感じられる。
土が崩れて枯れた水路沿いに奥へ進むと、程なく、杉の大木の奥に、あれがそうだろう、とはっきり分かる黒い建物の側面が現れた。
村のメインストリートの終着点から、山の斜面側に少し入って、斜面に背をつけるように建っている。
それは朽ちて自然に帰って行こうとする廃墟の中で、異様な現役感を誇っていた。
歩いていくと、建物の正面が現れてくる。
切妻屋根の、直線だけで構成された、シンプルな、神社風の建物だ。正面から見ると、縦が長く、横が狭く、少しバランスが悪く感じられる。
全体が真っ黒で、光沢はなく、塗料がしっとり木材に馴染んでいる感じだ。
確かに、この建物自体、なんとなく変な感じがする。普通の神社の社殿とどこが違うのだろう?
二人はメインストリートに立ち止まって、八メートルくらいの距離から建物を眺めていた。
「そうか」
紫恩が気づいて指摘した。
「床下が、全部塞がれておるのじゃ」
入り口の観音開きの戸は地上から一メートルほどの高さ、濡れ縁が巡らされた所にある。しかしそこにあるべき階段が撤去され、宙に浮いた状態になっている。通常神社なら、床下は柱の足がむき出しになっているが、この建物は床下も、ぐるっと、黒い板が打ち付けられている。奇妙なのは、シンプルながらもしっかり几帳面に作られた全体に対して、床下を囲む板は、柱の外側から打ち付けられていて、一回り太っている。
何故こんなことになっているのだろう?
「行きましょうか」
いつまでも眺めていてもしょうがないだろうと、御堂が誘うように歩き出したが、紫恩は動かなかった。
紫恩は、張りつめた表情で、びっしょり汗をかいていた。
「大丈夫ですか?」
紫恩は、む、うう、ときつく結んだ口の中でうめくような声を上げ、待て、と手を上げると、下を向いて息を吐き出した。そのまま顔を上げずに言った。
「邪悪の本体はいないはずなんじゃが、禍々しい邪気が濃すぎてわしには近づけん。おそらく長年封じ込められていた憎しみや怨念が染み付いて、抜けておらんのじゃろう」
「じゃあ紫恩さんは待ってて。わたしが見てきます」
「すまん。気をつけろよ?」
うなずくと御堂は歩き始めた。
ひょいと濡れ縁に飛び上がった。
濡れ縁の幅は五十センチくらい。後ろに落ちないよう気をつけながら、閉じられている観音開きの戸に手を掛けた。
まず右の一枚、きいい、と、こすれる音がして、戸は開いた。完全に開いて壁に押し当て、左も開いた。
入り口を全開にしても、中は真っ暗だった。側面に確認できた左右一つずつの窓が閉じられているからだ。
御堂は固唾をのんで見守っている紫恩を一度振り返り、LEDの懐中電灯をつけ、中を照らした。
中も外同様、黒い板がぴったり隙間なく張られている。天井も外の切妻屋根の三角形がそのまま出ている。換気をする小窓も隙間もなく、長年そこに閉じ込められていた空気がそのまま残っている。もっとも、四年前にテレビタレントが、二週間前に菊田奏真が侵入しているのだが。
空気は、外よりかえって乾燥して、かすかに薬品臭かった。黒い塗料の臭いだろう。
天井まで二.五から三メートル、幅三メートル、奥行き六メートルといったところ。板が整然と並んで、装飾的なところが無い。
奥の壁にも入り口と対になって観音開きの戸があった。しかし開けようとすると、全く動かず、外から板でも打ち付けてあるようだ。
他にもよく見ると、変わった物がある。
天井の梁、壁の高い所に、鉄のフックがいくつも並んでいる。
四角い和釘を加工した物で、これも艶のない黒で塗られている。
灯を掛けたのだろうか? それにしては数が多い。
そして、床の中央に、菊田奏真か、それとも他の者の仕業か、侵入者の狼藉をうかがわせる跡があった。
床板が割れ、五十センチ四方に渡って、剥ぎ取られている。
その下が異様だった。
コンクリートが敷き詰められ、それがバリンと十字にひび割れて、ゴロッとした固まりになって凹んでいる。
奥から何か取り出したように思える。
御堂は膝をつき、周りの床をコンコン叩いていった。
音が固い。床下全部にコンクリートが敷き詰められているようだ。
最初からこういう作りなのだろうか?
御堂は懐中電灯で照らしながら、尚、詳細に調べた。
すると、割れた板の周辺が、二メートル四方、板を張り替えた形跡がある。床板は入り口から奥へ縦に張られているが、それが横にまっすぐ切られている。そしてそこだけ塗料が薄い感じがする。他の全体はおそらく、長い年月の間に、防腐効果を維持するため何度も塗り重ねてきたのだろう。その部分は一回しか塗っていない印象だ。
その新しい二メートル四方が、中央が割られ、剥ぎ取られている。
侵入者が切り取られた跡を見て、何かあると睨んで、工具を使って板を剥ぎ取り、コンクリートをほじくり返したのだろうか?…………ただの廃墟マニアが、よほどの確信がない限り、そこまでやるとは思えない。
御堂の印象では、下のコンクリートの割れたのが先で、割れて盛り上がった圧力で、上の板が割れたように思われた。
「おおーい。どうじゃあ?」
夢中になっている御堂を、不安になった紫恩が呼んだ。
ふむ、と御堂は床から立ち上がり、入り口まで戻って、紫恩に中の様子を報告した。
「なるほどの。そこに鏡が封印されとったんじゃろう。何かが起こって、災いが広がるのを恐れて、床下にコンクリートを流し込み、鏡を埋め込んだんじゃろう。年月を経て、霊的な封印の力が弱まり、鏡に宿ったパワーによって物理的な封印が割られ、表に出てきたんじゃろう。バタバタしとったが、四年前にはそんな状態にはなってなかったはずじゃ。
おそらくな、そこは鏡を使った儀式の場だったんじゃろう。鏡というのは霊力が宿り、神が宿る物じゃからな。しかしあの鏡はご神体という感じではないから、やはり儀式の道具として使われていたんじゃないかのう」
考え込んでいた紫恩は、ふと思い出して、入り口からこちらを見ている御堂に言った。
「おまえさん、そこにおって平気なんかい?」
「ええ。別に」
御堂は肩をすくめて言った。
「わたし、霊感無いから」
紫恩は、ふうむ、と難しい顔をしていたが、
「こっち来い」
と御堂を手招きし、愛用のペーズリー柄のトートバッグを探った。
御堂が来ると、紫恩は黒布に包んだあの丸い鏡を渡した。
「無理ならいい。だが、やってみる気があるなら、あそこでこれを覗いてみい。……本体はおらんから、かえって大丈夫かとは思うんじゃが…………」
「分かった。やってみるわ」
御堂は鏡を布ごと持って建物へ戻っていった。紫恩はその後ろを追おうと一歩二歩足を動かしたが、びっしょり冷や汗を流して、そこから先へは行けなかった。
「いいわよ、無理しないで。任せてよ」
「すまん……」
御堂は笑顔を見せると、またひょいと飛び上がり、中へ進んだ。
しかし周りを見ると、入り口に戻ってきた。
「ここ、閉めるわね。その方が気が散らないから」
「待て! それはさすがに危険じゃ! わしから見える所におれ!」
「いいから。わたしに任せて」
「待て!……」
御堂はさっさと、左、右を引き寄せ、同時にパタンと閉めてしまった。
「ええい、無茶をしおって……」
紫恩は脂汗を流しながら、見守ることしか出来なかった。
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