第9話 鉢合わせる三人


 時刻は午後八時を回ったところ。

 白々したLEDの街灯が灯る通りは、ひっそりとして、カーテン越しに明かりの漏れる窓から聞こえるテレビの音も、辺りをはばかるように控えめだ。

 最寄り駅から大学まで二駅の、学生向けのアパートが多く集まる町だった。

 道は表の幹線道路と平行にまっすぐ伸びている。

 しばしば多少羽目を外した学生が夜中大声を上げて、周辺住民から大学に苦情が寄せられることもあったが、ここ数日は腫れ物に触らないように気遣っているような、張りつめた静けさに支配されていた。

 通りに側面を向けて、奥へ延びるアパートがあった。二階建てで、各階四部屋ずつ、計八室。すっきりしたたたずまいの、まだ新しいアパートだ。

 一階一番奥、一〇五号室が、菊田奏真の部屋だった。本来部屋番号は一〇四のはずだが、不吉な「四」を避けたのだろう。残念ながら家主のその配慮は効果がなかったようだが。

 仕事がえりのサラリーマンがスマホを見ながら歩いてきたが、このエリアに差し掛かると、驚いたように顔を上げ、不安そうに辺りを見渡し、スマホをポケットにしまうと足早に通り過ぎていった。

 また人影が現れた。ペイズリー柄の大きなトートバッグを肩にかけ、サマーカーディガンを着て、柔らか素材のパンツをはいた、パーマ頭の中年女性……数日前の午後、空を見上げて謎の言葉を吐いていた弁当屋のおばさんだ。

 おばさんはいかにもちょっと遅い買い物をして来た帰りのような顔をして歩いていたが、通りに誰もいないのを確かめると、すっと、例のアパートの奥に延びる通路に入った。

 二階に上がる階段は表の壁にくっついてある。その二階の通路が天井になって、それを支える柱が並んでいる。おばさんは柱の内側のコンクリートの床に立ち、奥を見据えると、鼻で静かに呼吸していたが、やがて肩が大きく上下するようになって、額にじっとり脂汗がにじんできた。

「やっぱり、あるね」

 そうでなければ……、と願っていたのが、間違いなく、無念につぶやくと、意を決して奥へ進んだ。

 一〇五号室のドアには警察の黄色いテープが貼られている。

 おばさんはパンツのポケットから鍵を取り出すと、ノブの鍵穴に差し込んだ。

「あれ? おかしいねえ」

 回そうとすると、中で引っかかっているようで、ガチャガチャ言うだけで、動かない。

 どうやら正規の鍵ではないようで、

「あんの野郎、このタイプなら簡単に開くって言ってたじゃないか」

 と恨み言を言いつつ、なんとか解錠出来ないものかと、差し込む深さを調整しつつトライしていたが、どうにも上手くない様子だ。

 チッと舌打ちして、

「なんとしても始末しなくちゃならないんだよ。頼むから、さっさと開いとくれよ」

 と、中腰で夢中になっていると、つん、と、後ろから肩を突かれて、「ひいっ」と、伸び上がった。

 驚いて振り返ると、黒髪の、Tシャツを着た、若い女が立っていた。


「何してるんです? ここの人じゃないでしょう?」

「あ、いや、わたしは、その……」

 若い女はニヤニヤ、余裕を持った笑いを浮かべて眺めている。この犯罪者をどうしてやろうか?と面白がっている顔だ。

 このアパートの住人だろうか? それにしても、いかに鍵を開けることに夢中になっていたにしても、道路から四メートルほど、自分の横から、外灯に照らされながら近づいてきて、まったく気づかなかったとは、

『何者だろう?』

 と、いっとき不意をつかれて泡を食ってしまったが、かえって落ち着くことが出来た。

 おばさんはきちんと女に向き合うと、真剣な面持ちで話した。

「今この街で若い女性が巻き込まれるおかしな事件が起こっている。その原因がこの部屋の中にあるんだよ。ものすごく危険な物で、一刻も早く然るべきところで処分しなけりゃならない。どうか協力しておくれ」

 女は背が高い。呆れているのか、白々した電灯を受けたのっぺりした表情で見下ろしている。

 見立てを間違ったか、と、おばさんの額に冷や汗が流れた。

「危険な物っていうのは……」

 女が訊ねようとしたところで、またも邪魔者が割って入ってきた。

「こら、おまえら、そこで何してる?」

 ズカズカと、くたびれた背広の、ぼさぼさの髪の、無精髭を生やした、人相の悪い中年男がやってきた。

 檜山刑事だ。


「これが見えんだろう? 入っちゃ駄目だ、と書いてあるんだ。お上のお達しってやつだ」

 檜山刑事は規制線の黄色いテープを指して、中年と若い女二人を睨みつけた。

「ここの関係者ってんでもねえんだろ? 犯罪現場マニアとかいう手合いか?」

「わたしは穂積紫恩ほづみしおんという、霊能者だ」

 おばさんはそう名乗って檜山刑事に面と向かい合った。

「あん? 霊能者?」

 呆れる檜山におばさんは本気の顔で言い募った。

「この部屋に呪われた品物がある。その呪いでここの若い男は死んだのだ。それは本当に危険な物で、放置しておけば呪いは周囲に広がっていって、更なる被害者を生むことになる。いや、影響は既にあちこちに出ているんじゃ。頼む、あんた、警察の人だろう? 部屋に入れて、わしにその品物を捜させてくれ」

 檜山はガリガリ、ふけの飛び散りそうな頭を掻いた。

「駄目に決まってんだろう。あのなあ、警察は呪いなんて話は受け付けねえの」

「それはな、おそらく鏡じゃ」

 檜山は頭を掻くのをやめて、冷ややかな目つきで中年女を見た。

「あったんじゃろう?鏡が? おそらくな、こんくらいの丸い鏡で……」

「ああ、うるせえ」

 檜山は、しっし、と追い払うように手を振った。

「事件の情報を教えるわけねえだろ。ほら、帰れ。行けよ。速やかに立ち去らねえと、住居不法侵入で逮捕するぞ」

 食い下がろうとするおばさんの肩を若い女が押さえた。

「行こう」

 と、床に置かれたトートバッグを拾い上げ、表へ促した。

 じっと陰湿な目つきで見張っている刑事を避け、

「失礼します。はい、行こう行こう」

 と、道路へ出て行った。


 若い女に肩をつかまれて、紫恩は未練がましく、地団駄踏むように、振り返り振り返り、歩かされた。

「待て。本当に放っておくわけにはいかんのじゃ!」

「いいから、こっち」

 女は交差する道を曲がると、その家の塀に身を隠すようにして、アパートの方を覗き見た。

「ここで見張ろう」

「おまえは?……」

 怪訝そうな紫恩に女はニッと悪戯っぽく白い歯を見せた。

「わたしは御堂美久という、大学生だ」



 檜山刑事は二人の出て行った表の通りをしばらく油断ならなく見つめていたが、その目をアパートの方へ巡らせた。

 事件が起きてちょうど一週間、ショッキングな事件に若い住人たちは皆、青ざめていたが、今は一階は一番表側の一部屋と、二階の二部屋に明かりがついていた。先ほどのやり取りに聞き耳を立てていただろうが……

 周囲の家も、表に出てきて様子を見ようという物好きもいないようで、檜山はポケットから鍵を取り出すと、ドアノブの鍵穴に差し込んだ。

 クルッと回転して、解錠された。

 ノブを回してドアを引くと、ベリッ、と、横と斜めに貼られたテープが壁からはがれた。

 まあ、かまうまいと、檜山は中に入った。

 部屋の内部は捜査当時そのままになっている。

 死体の位置を示すテープも、その下に広がる血の跡も。あちこち指紋採取に用いた白いパウダーの跡も残っているはずだが、電灯はつけなかった。アパートの住人には部屋に入ったことは隠しようもないが、表から見られて変に話が広がるのも困る。

 窓はレースのカーテンが閉められ、厚いカーテンはまとめられている。隣りは民家で、窓の前はブロック塀とトイレの小窓になっている。

 檜山は玄関で靴を脱ぐと、懐中電灯もつけずに奥に進んだ。だいたいの様子は物の輪郭で分かるし、目的の物の場所ははっきり分かっている。

 血の跡だけ踏まないように気をつけて、壁の前に大股を開いて立った。なに、明日かあさってかには業者が入ってきれいに侵入の跡も掃除してくれるだろう。もう事件ではないんだから。

 檜山は何も考えないようにして壁から鏡を外した。紐で、壁にねじ込んだフックに下げられている。

 直径三〇……マイナス一、二センチ、といったところか。実用的な用途からはちと小さく感じる。

 檜山はポケットに用意していた焦げ茶色の買い物袋を広げ、鏡をしまった。

 これでまた三十万円ゲットだ。

 余計なことは考えず、玄関に向かった。



「あ、出てきた」

 一〇分もしないうちに、刑事はアパートから出てきた。幸い、通りを向こうへ歩いていく。

「よし、行こう」

 御堂が先に立って、道の端を歩いた。電信柱があるが、振り返られてタイミングが悪ければアウトだ。

 しかし刑事はまっすぐ向こうを向いて歩いていき、二人は道を横断しアパート入り口に滑り込んだ。

「どう?」

 表で刑事の行く先を見張りながら御堂は訊いた。紫恩は奥の一〇五号室に向かい、目を閉じて集中し、両手を前に、探るように動かしていたが、スッと顔を上げ、

「邪気が弱まった。やはりあの男が持ち出しよったんじゃ」

 と険しい顔で振り返った。

「じゃ、追おう」

 御堂はすぐに歩き出し、紫恩も小走りに追った。

 御堂は長い脚でズンズン歩き、

「こ、こりゃ、待て」

 と、紫恩は息を切らして懸命に追った。

 やがて御堂が駆け出した。刑事が道を折れたのだ。

 紫恩が追いついて、御堂の後ろから向こうの道を覗くと、少し奥で車のエンジンが掛かり、ライトがつき、こちらに向かって発進した。

 二人は電信柱の陰に隠れてやり過ごした。

 年季の入った古い型のセダンが角を曲がり、向こうへ走り去っていった。

「自動車相手じゃさすがに追いかけられないわね」

 もう隠れるのも意味がなく、道に立って遠ざかっていくテールライトを眺めて御堂は腰に手を当てた。

 ふうー、と疲れた様子で息を吐く紫恩も、空しい怒りの顔を向けてつぶやいた。

「おのれ、愚か者め……」

 ライトが先の交差点を曲がっていき、御堂と紫恩は、

「さて」

「さて」

 と、お互いに相手を探る視線をぶつけ合った。

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