戦国伏龍伝 彗星編

ヨーイチロー

第一章 乱世再び

第1話 大いなる夢

 赤木健あかぎたけるは駿府の町が大好きだった。

 この町に来て二月ふたつきに成るが、前に住んでいた信濃国の高遠に比べて、暖かくて明るい町だと思った。

 母のいとは御領主様のおかげと言うが、健は知っている。この町には領主などいない。この町は自由連合、通称自連と呼ばれる政府のもとで、皆に選ばれた代表が治める国だと言うことを。


 この国の子供たちは七才に成ると皆、小学校に行く。小学校は高遠にもあったが、読み書きを教えるぐらいで、行っても行かなくても良かった。

 しかしこの国は違う。子供たちは小学校に行く権利があるし、親は行かせる義務があると小学校で教わった。権利とか義務という言葉の意味はよく分からないが、国のおかげで小学校に行けることは嬉しかった。

 しかも駿府の女の子は、高遠の子に比べて、垢抜けて大人びていて、要するにかわいい子が多い。


 健の父は三枝さえぐさという侍大将の下で隊長をしていた。弓が得意で手柄も上げていたらしい。それが二ヶ月前に織田軍が高遠に攻めてきたとき、父親は殿しんがりという皆を逃がす役目を志願して、戦って死んだと聞いた。


 母と二人で高遠に残されて、途方に暮れていたところを、自連の役人が高遠にやって来て、駿府に連れてきてくれた。母は今政庁という役所の食堂で働いている。ときどき残り物の食事を持って帰ってくる。

 毎日白い飯が食べられるとは、政庁って何ていい所だと思った。


 小学校へと続く道にはたくさんの桜の木が植えられていて、初めてこの道を歩いたときは薄桃色の花が満開だった。それを見ていると、この先にいいことがあるような気がして、心がウキウキした。

 今は道の両端にあじさいの花が咲き誇り、季節がら花びらに残った雨のしずくが光って、幻想的な美しさを見せてくれる。


 小学校は二階建ての立派な校舎で、八年前に建てられたと言うが、手入れが行き届いていて、新築のように綺麗だ。

 健たちの教室は一階の一番奥にあり、九才の教室は二つに分かれている。


 教室に着くと、健はいつものように大きな声で「おはようございます」と挨拶をした。


「おはよう、健。今日も元気だね」

「おはよう、健」


 いつも挨拶を返してくれるのは、この教室きっての美少女岡部あおいで、黒目がとても大きくて、その目でじっと見つめられると、とても気持ちよくなる。だけど、機嫌を損ねると気が強くてちょっと怖い。


 もう一人は、この教室で一番頭が良くて剣術も強い、真野太郎。驚くことに自連代表の息子らしい。何でもお母さんがお姫様だったらしく、育ちが良くて頭が良くて、おまけに顔もいいから女の子から絶大な人気がある。


 二人とも家は政庁の近くの旧武家屋敷街に在り、行き帰りも同じになるから、学校でも一緒にいることが多い。今も二人で熱心に話しているが、健には難しい言葉が多くて、何を話しているのか一向に分からない。


 本当は健も碧の近くにいたいのだが、勇気を振り絞って話に加わろうとしても、最後はおしのように黙ってしまい、機嫌悪そうに思われてしまう。

 太郎は健の気持ちを分かってくれているのか、機嫌悪そうな顔をしてもそっとしてくれるが、碧は容赦なく怒る。自分から話しに来たのに、黙って怒った顔をするのが許せないらしい。

 健は男の誇りにかけて、馬鹿だと思われたくないので言い訳を一切しないから、余計に碧を怒らせてしまう。

 だから最近はあまり近寄らないようにして、遠くから見てるだけだ。



 健の席は教室の前から三番目で教壇に向かって左側の長机だ。一緒に座るしん春瑠はるは声が小さくて、「おはよう」と言う声が聞こえないことが多い。


 愼はとても頭が良くて、難しい言葉をよく知っている。学問についてはいつも太郎と一位を争っているが、兵学が苦手でなかなか勝てない。本人は大商人になるのが夢らしいのだが、もう少し声が大きくならないと難しいのでは、と健は思っている。


 愼の家は百姓だが、米ではなくて花を育てている。

 これが結構売れるらしく、愼の家は花の世話で忙しい。愼も花の世話を手伝っていて、学校が終わった後、急いで家に帰ることがよくある。


 春瑠はおとなしくて派手ではないが、よく見るとなかなかの美人で、この教室の男子人気は碧と二分している。この国の大商人、友野八重の母親の違う妹らしいのだが、友野姓は名乗らず、別の家で母親と二人で暮らしている。

 なぜ友野の家で暮らさないかは、大人の事情らしいのだが、健にはまだよく分からない。


 二人とは同じ机だけあって、とても仲がいい。ときどきお互いの家に遊びに行ったりもする。

 もちろん、二人とも頭は健よりいいから、一緒に話していてよく分からなく成ることがあるが、不思議なことに、二人に対しては遠慮なく、「俺馬鹿だからもっと簡単な言葉で話してくれ」と言える。


 すると必ず愼が、懸命に分かりやすい言葉を探して教えてくれる。

 健がいつも申し訳ないと言うと、愼は必ず、「自分にも勉強になるから」と言ってくれる。


 そんなときのはにかんだような愼の顔は、健には太郎よりもかっこよく見えて、「俺が女だったら、絶対愼の嫁に成る」と言って、二人にドン引きされた。


「ところでさ、昨日の夜のでっかい流れ星見た?」

 健は毎日の日課の剣術の訓練をしているとき、たまたま目撃した興奮を二人に話して聞かせた。


「流れ星の大きいのは、彗星って言うらしいよ」

 博識の愼はいつも健の話に、知らない言葉を付け加えてかっこよくしてくれる。

「彗星って言うのか。なんだかかっこいいな。大きかったから願い事もしっかり叶えてくれるのかな」

「健は何をお願いしたの?」

 春瑠はいつも健のことを知りたがった。

 他人の願い事なんか聞いてどうするんだと思いながらも、健は流行の紙芝居をもじったいつもの台詞を口にした。


「自連代表に、俺は成る!」


 健の言い方が可笑しかったのか、二人は笑顔で頷いてくれた。



 担任の仁先生が教室に入ってきた。

 仁先生は昔は保科将軍の騎馬隊で隊長をしていたと言う話だ。怒ると怖いけど普段はとても優しい先生だ。なぜ軍を辞めたのかはよく知らない。


「今日はみんなにお知らせがあります」

 仁先生は珍しくにこりともしないで、厳しい顔をしていた。


「自由連合と敵対する大国、織田家の当主信長が京都の本能寺で、家臣の謀反によって襲撃され行方不明になりました。皆さんが勉強したように、自由連合の隣国の甲斐や信濃は織田の勢力圏です。これから軍の関係が慌ただしく成るかも知れませんが、政庁を信じていたずらに動揺してはいけませんよ」


 健はえらいことになったと思った。織田と言えば日本の中心である畿内を押さえ、二六カ国を治める超大国だ。

 父を失った戦を思い出して、ゾクッとした。


「先生、いくさが始まるんですか?」

 この教室で一番身体が大きい甚左じんざが、興味津々の顔で質問した。

 甚左は力持ちで、相撲を取らせれば教室内で一番強い。

 夢は侍大将で、まだ子供なのに早く戦に出たいといつも言っている。


「それは分かりません。自由連合の軍は強いですから、皆さんは心配しないで、勉強に励みましょう」


 仁先生はそう言うが、代表を父に持つ太郎は心配が顔に浮かんでいた。

 今年の初めに織田が攻めてきたとき、代表は軍を指揮して浜松を守ったらしい。

 その戦で健の父は仲間のために戦死した。


 仁先生が出て行くと、次の授業まで束の間だが休憩が入る。

 戦の予感に甚左が興奮して、大声で騒いだ。


「ああ戦が近いなんてワクワクするな。俺も早く戦に出てぇよ」


 戦で父を失ったことを思い出し、健はカチンときた。

 戦が待ち遠しいなんて言うなと怒鳴ろうとしたら、もっと早く反応した者がいた。


「戦を喜ぶなんて愚か者の言うことだ。お前のような奴が戦に出て、一番最初に死ぬことになる」


 太郎はそう言って、冷たい目で甚左を一瞥した。

 甚左は頭に血が上って、太郎に詰め寄った。


「この野郎、代表の子だからと言って偉ぶりやがって、戦に出て手柄を立てたいと思って何が悪い。この国が平和なのも、結局軍が敵から守っているからだろう」


「俺は代表の子だから偉いなどと思ったことは一度もない。それにまともな軍人は、お前のように戦を歓迎するような口は利かない。戦を喜ぶのはいかれた奴だけだ」


「何だとー」

 甚左は怒りが抑えきれなくなって、太郎につかみかかった。その甚左の身体を冬馬とうまが投げ飛ばす。

 下が固い地面だったら、甚左は首の骨を折って死んだかも知れない。幸い柔らかい畳の上なので、怪我がなく伸びただけですんだ。


 冬馬はまるで護衛のようにいつも太郎についている。滅多に口を利かないし、普段は手を抜いているのか成績もあまりよくない。

 ところが太郎の危機に成ると、こうして音もなくすり寄って難なく相手を撃退する。

 以前十一才の教室の奴が太郎に絡んできたときもそうだった。

 もしかして、この教室で一番強いのは冬馬かも知れない。


 太郎は、伸びている甚左の側に寄って、活を入れた。

 そして目を覚ました甚左に、もう一度念押しした。


「いいか、戦に出て手柄を立てるとは、相手の兵を殺すことなんだ。相手の兵だって人間なんだぞ。殺せば一生その死を背負って生きていくことに成る。国を守る軍人は尊い存在だが、そういう業を背負う覚悟があるから偉いんだ。それを知らない者がいたずらに戦を喜ぶような口を利くんじゃない」


 太郎の使っている言葉は難しくてよく分からなかったが、それでも軍人は大変なんだということは分かった。

 甚左も太郎の勢いに飲まれて、思わず頷いていた。


 身体の大きな甚左が投げられたので、大きな音がした。それを聞いた仁先生が再び教室に戻って来た。


「どうしたんだ」

 仁先生に問われて、太郎が事の次第を説明した。

 こういうときの太郎は、自分の感情は一切挟まず、事実だけを淡々と説明する。

 そんな姿を見せられると、自分たちとの違いを嫌でも感じさせられる。


「そういうことか」

 仁先生は誰も咎めなかった。

 代わりに予定を変更して夢について話すことに成った。


 仁先生に訊かれて、皆口々に夢について語り始めた。

 やはり百姓の子が多いので、百姓に成ると答えた者が多かったが、中には魚屋とか八百屋などと言う者もいた。


 甚左は相変わらず侍大将だと言った。ぶれない奴だ。

 注目の太郎は父の後を継ぐわけではないがと断って、自連の代表だと言った。

 健が密かに気になっている碧は、医者に成りたいと言った。女の医者なんて見たこともないが、先生は感心したような顔をした。

 愼はいつものように大商人、春瑠はお嫁さんと言った。春瑠に対して「誰のー」と囃す者もいたが、春瑠は顔を赤くして黙っていた。


 いよいよ健の番が来た。

 健は覚悟を決めて、大きな声で言った。


「自連代表に成りたい」


 太郎のときは何も言わなかったのに、健が代表を口にすると爆笑が起こった。

 仁先生が慌てて静かにと、みんなを注意した。

 みんなが笑う中で、太郎だけは笑わず、真面目な顔で健を見た。


 一通り聞き終わると、仁先生は笑顔を見せた。

「ありませんと言う者がいなくて、先生は安心したぞ。夢は君たちが成長するための米みたいなもんだ。変わってもいいけど、失うことはないようにして欲しい」


 みんな仁先生に向かって、こくりと頷いた。

 そのぐらい今の言葉はすーっと胸に届いた。


「今聞いたところでは、軍人は甚左一人だけだったな。太郎の言葉が必要以上に響いて、言えなくなった者もいるのだろう。太郎の言ったことは大事なことだが、それによって夢を諦めるのも良くないから、軍人だった先生から、みんなに一つだけ言っておく」


 仁先生の雰囲気は少しだけ変わった。


「太郎の言ったことは正しい。先生も戦で大勢の敵の兵士を殺めた。だから一生その責を負って生きていく。だけど、誇りもある。大切な人、大好きな国を守り抜いたことだ。それは一生責を負って生きる辛さに勝る喜びだ」


 仁先生の揺るぎない信念は、太郎でさえ頷かせた。


「だけどな、他国に攻め込む戦は別だ。こちらから他国に攻め込むことを侵掠と言う。逆に攻めてきた敵と戦うことを防衛と言うんだ。自連の代表は今後一切侵掠はしないと宣言している。つまり自連の軍隊は防衛のための軍隊だ。だから、軍人に成ると言うことも立派な夢だから諦める必要はない」


 甚左が嬉しそうな顔をした。太郎は特に表情を変えない。


「ただし、戦を喜ぶことは違うぞ。そんな奴は他の国に攻め込む侵略者の考えだ。自連の軍人を目指す者は、大切な者を守るために戦うのだという思いを忘れないで欲しい」


 仁先生の言葉を聞きながら、健は父のことを考えていた――仲間を守るために死んだ父さんは、先生の言うとおり誇り高く死んでいったのかな。そうだといいな。


 健の思いは教室を飛び出して、遠い信濃の地に向かった。

 いつか父の死んだ場所を訪れてみたい。

 それは健の心に強い思いとして残ることになった。





 全ての授業が終わって、健は愼と春瑠と三人で教室を出た。

 校門を出たところで、十二才の教室の子が健を取り囲んだ。

 全部で五人いた。


「お前か代表に成りたいなんて、ふざけた夢を言った奴は」

 十二才の子の中でも一際身体の大きい子が、健の前に進み出た。


「そうだよ。何か悪いの?」

 健は悪びれずに胸を張った。


「悪いに決まっているだろう。代表は簡単に口にしていいもんじゃないんだ。もっと神聖でこの国の英雄が成るものなんだ」

「そんなのお前に言われることじゃないだろう。先生だって悪いとは言わなかった」


 健は意地になった。

 そんな健の態度に腹が立ったのか、身体の大きな子が健を突き飛ばした。

 地面に倒れた健の上に馬乗りになり、顔を地面に押しつける。


「代表に成ると言ってすいませんと言え」


 健は歯を食いしばって、耐えている。

 愼と春瑠は青くなっておろおろしていた。


 そこに太郎と碧が通りかかった。後ろには冬馬が控えている。

 太郎は十二才の子に制裁を受けている健に気がついた。


「健を助けてあげて」

 春瑠と愼が太郎の方に走り寄った。


 冬馬が動こうとしたとき、健の様子をじっと見ていた太郎が叫んだ。

「待て」

 左手を伸ばして冬馬を制止する。


「どうして・・・・・・」

 太郎が助けてくれないので、春瑠が泣き出した。

 愼が信じられないと言った顔で太郎を見る。

 その場のみんなが、健が太郎と同じ代表を目指すと言ったから、気に入らないのかと思った。


「太郎」

 碧が非難するような目で、太郎を睨む。


「見てみろよ。健の目は死んでない。助けなんて求めてない」

 太郎はそう言って、こんな状況なのに微笑んだ。


 みんな太郎に言われて、健の目を見ると、救いを求めるどころか、気高く凜々しい戦士の目をしていた。


「ここからだよ」

 太郎が楽しそうに言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る