偽りと真実の境界

 蜃気楼というものをご存知だろうか。


 至極簡潔に説明すると、大気温度の差が生む屈折現象のことである。セミがうるさい季節で、太陽に熱せられたアスファルトの上の空間が揺らいで見えたりするあの現象だ。実際の位置と違う位置に物体が存在するようかのように見えるだとか、実際より数センチ手前にあるように錯覚してしまうだとか、そういうやつだ。


 まあまとめてしまうと、視覚で正確な位置座標を特定することが少しばかり難しくなるということである。


 これは、達人同士の戦闘では致命的だ。ボクシングなんかでは腕を伸ばしきって当てるのが、相手に与えるダメージが一番大きいとされているが、それを実践するためには相手との距離感の把握が大事である。腕が中途半端にしか伸びていない位置でストレートを放ったところで、全ての力が相手に伝わることはなく、猫パンチ扱いされて終わりだ。


 このように現実世界の格闘戦術でも距離感の把握は大切だが、これがファンタジー世界だと位置座標の把握がそのまま異能の発動条件になっていることもあり──位置座標を誤認させることは、十分有効な一手として機能する。


 故に。


「愚かな。神の遺産の能力が、それを遺した神本人に通じる訳がなかろう」


 鈍い音と共に、人類最強の顔面が砂に覆われた大地に叩きつけられた。見た目こそ派手だが、大地を覆う大量の砂がクッションの役割を果たしていることもあり、物理的なダメージは皆無だろう。


いか……」


 故に俺は、そのまま人類最強の後頭部を踏み抜くために右足を軽く上げた。


「これが、神と人の差だ」


 瞬間、人類最強の頭蓋を粉砕せんと俺の足が振り下ろされたが──人類最強はそれを咄嗟にハルバードで撃ち払い、跳ね上がりながら後方へと飛び退いた。


(まあ流石に、この程度では本当の意味での隙にはならんか)


 頭を大地に叩きつけこそしたが、人類最強には特に痛みもなければ、怯みもしなかっただろう。目に砂が入ればもしかしたら……とは期待したが、それも普通に防いでいたらしい。

 なにより、予想通り無傷だ。とはいえその内心には、僅かながら驚愕が走っているようにも見える。精神的動揺を与えられた以上、今の攻防は全くの無駄に終わったというわけではない。


「マヌスが代々継承してきた遺産……『神の秘宝』の能力を、お前は知っているのか」

「然り。私以上に、それを理解している存在がこの大陸にいるとでも? 畏れ多くも貴様らが相対しているこの私を、誰と心得る? 人間に知識を、文明の種を、力を与えたのは神々だ。神々を相手に、神々が与えた力で対処しようなど笑止千万。どうやら貴様らの想像力は、私の想定をはるかに下回っているようだ」


 原作知識。

 これにより、俺はこの世界において非常に大方知識的なアドバンテージを有している。本来なら初見殺しとしか思えないような敵の能力でさえ、俺は大体知っているのだから。


「本来ならば知る筈がないものを知っている。初見殺しの類が機能しない……これが神を敵に回すということだ。有象無象を相手にすることとは、根本から異なると知れ」


 そして、本来知るはずがないことを知っているという事実への神秘性は計り知れない。人間にとって、知識や情報への欲は飽きがなく、それ故にそれらを持つ者に対してには一定以上の信仰が生まれるのだ。未来人なんてものが仮に実在すれば、良くも悪くも手厚く扱われることは間違いないのだし。


 まあつまるところ、知識や情報というものは非常に強力な手札であり──こうして原作知識を小出しにするだけで、俺は周りから勝手に"特別な存在に違いない"と思われるようになるという寸法だ。


「……成る程、神殺しの伝説が無いのも頷ける。元より容易いなどとは考えていなかったが、想定より更に数段階上と考えるが道理か。この鎧の能力を、破られたのは初めてだ」


 人類最強が纏う『神の秘宝』。その能力は、簡単に言うと任意の対象との距離をゼロにするというものだ。人類最強が俺と距離をゼロにすれば、目の前に現れたかのように見えるという話である。まあ本当にゼロなら互いの肉体が重なって四散するだろうから、正確にはゼロではないのだろうが。


「ようやく理解したと見える。だが、既に賽は投げられた。貴様ら自身が引いた引き金は止められぬぞ」


 ちなみにあの鎧は幻術なんかの精神攻撃を防ぐ効果もあるので、魔術による幻術は弾かれるのだが──蜃気楼は物理現象そのものなので素通りするだろうという見立ては間違っていなかったらしい。精神攻撃無効化魔術でも、暴言による精神的ダメージは防げないとの似たような理屈だろう。


 俺が天の術式で噴火やら、人類最強相手には無意味な超級魔術『死の業火』やらを放っていたのはこれが理由である。大地を熱することで、蜃気楼を起こして人類最強の鎧対策をしていたという訳だ。


「問題ない。自分がやることに、変化はないのだから」

「そうか。ならばく、屍を晒すが良い。下郎」

「断るとしよう」


 人類最強の足元からマグマの柱が聳え立つ。それを引き裂きながら現れた人類最強は俺に向かってハルバードを横薙ぎに振るうが、それは先ほどの焼き直しに近い。


 悠々と回避した俺は、人類最強の顔面に向かって『神の力』を纏った拳を放つ。鈍い音が響くと同時に、人類最強の頭が僅かに仰け反った。


「そろそろこの余興も飽いた、その首をもって終演にするとしよう」

「この首は、そこまで安くはないぞ」


 そこからは、文字通りの肉弾戦だった。人類最強が荒々しく、されど正確無慈悲にハルバードを振るい、俺がジルの身体能力に加えて、頭脳と観察眼による予測に身を任せて対処する。


(右。左。上。左。左。斜め下。フェイント。上。下。蹴り。肘からのハルバードの持ち手を変えて──)


 第三者からは、荒れ狂う嵐のようにしか見えないであろう応酬。人類種の頂点に位置するジルと人類最強。互いにバグとしか思えない者たちの演舞だが、しかし人類最強の攻撃手段をある程度知り得ている俺の方が若干有利ではある。あるのだが。


(……なんだ、この異様な硬さは)


 こちらの攻撃を意にも返さず、猛攻を続けてくる人類最強に内心の動揺を抑えきれない。なんだ、なんだこいつは。天の術式を三発もくらっておいて無傷ってなんだ。なんだこのバケモノは。


(落ち着け。原作でも、人類最強はジルの埒外な特級魔術を顔色を変えることなく数発耐えていた。元々硬いのが、『神の力』でさらに硬くなっただけだ。……だけなのか?)


 間違いなく硬さに関しては『熾天』をも上回っているであろう人類最強。総合的に見て、戦力としての価値は熾天に匹敵すると考えて間違いはない。


(攻撃の速度や、威力自体は熾天に及ばないが……防御力がおかしい。総合的には熾天に匹敵するという訳か)


 果たしてこれは斃せるのか? と俺は僅かに眼を細めた。天の術式ですらほとんどダメージを与えられていないとなると、いささか以上に困る。なにせ、俺にとっての最大打点が天の術式だからだ。


(環境に配慮して控えている術式はあるが、だとしても噴火やら地下に閉じ込める術式がそう大きく劣るという訳でもないはずなんだが……)


 やはり、有効打点を得るには体内に直接攻撃を放つしかない。それこそ体内に直接噴火させてやれば流石に膝を屈するだろう。

 思考をまとめた俺は、振り下ろされたハルバードを強引に掴む。大地が大きく陥没し、受け止めた衝撃を堪えきれずに骨が折れる。激痛が走ったが、鉄壁の無表情を貫いてみせた。

 

「む」


 天の術式で即座に治療すると同時に、もう一つの天の術式にも『神の力』を巡らせる。人類最強はハルバードを引き抜こうとしているが、それを許す俺ではない。

 

「跪け、下郎」


 ──天の術式、起動。


「これは──」


 直後。

 人類最強の口から、血の塊が吐き出された。


 ◆◆◆


 ──体の中が、熱い。

 

 これまで感じたことのない痛みと熱。それが、人類最強の肉体を襲う。その痛みに思わず膝を屈し、顔を歪めそうになるが。


 ──腹痛程度で、自分が倒れるなどあっていいのか。


 歪めそうになるが、しかし人類最強は膝を屈しなかった。顔色も変えることなく、人類最強はその大地に立っている。


 ──この身は人類最強。それが、腹痛で戦えないなど笑い話にもならない。


 この世界には今この瞬間にも腹痛で苦しむ人間が、多く生きているはずだ。彼らが苦しみに耐えているのに、自分が苦しみから逃げて楽になるなどあっていいわけがない。それでは、彼らに示しがつかない。


 人々が耐える苦しみを耐えられずして、人類最強を名乗るなど許されない。何故なら人類最強は、人々が立ち向かえない困難にも立ち向かうべきなのだから。


 ──この身は、人類最強だ。


 ならば自分は、耐え切ってみせよう。

 人類の頂点に冠せられた以上、人々が受ける苦しみは全て耐えなければならないのだから。


 人類最強に相応しくあるために、人類最強は決して膝を屈しない。


 ──神を名乗る男、お前は強い。


 この身の一撃をものともせず、神はこの地に君臨している。先ほどのハルバードを直接受け止めた時は腕を落とせたかと思ったが、氷のような表情には一切の翳りすらなかった。規格外という他ない存在であると、戦闘中に何度思ったことか。


 ──だが、それでも。






 人類最強。


 彼は『上司』の指示を受けて『神の力』を◾︎◾︎◾︎◾︎を介して取り込んだ。そして『神の力』の影響で存在感こそ増しているが──実のところ、取り込む前後で実力は変化していない。


 勘違いしているのだ、ジルも『上司』も。


 ジルは原作時空での人類最強を本調子と認識しているから。『上司』は戦士の実力を正確に測ることができないから。彼らは勘違いをしてしまっている。


 人類最強の真価は、そのような外付けによるものではない。この世界における最高峰の武具である『神の秘宝』が消滅したところで、彼の真の強みが損なわれることはないのだ。


 だからこそ。


 ◆◆◆


「……効かんな」

「!?」


 ギロリ、と人類最強が鋭く眼光を光らせる。とてもではないが、体内に直接ダメージを受けた人間のそれではない。内心で驚愕に目を剥く俺をよそに、彼は俺の足を踏みつけてきた。足を退けようと力を入れたいが、この距離この体勢だとうまく力が入らない。


「貴様──」


 いやそもそも、あり得ない。小規模とは言え、体内で直接噴火を起こしたというのに何故顔色を変えずに立っていられる──!?


「人類最強を、舐めるな」


 そのままヘッドバットを放とうとしてきた人類最強に迎え撃つように、俺もヘッドバットを人類最強に喰らわせる。互いの頭蓋が衝突し合い、俺と人類最強の視線が至近距離で交わった。


(体内への攻撃も耐えた……なんだこのバケモノは。驚異的な再生力や不死性を、お前は有していないだろう──!?)

 

 お前は何者なんだと問いたい気持ちを、しかし俺は強引にねじ伏せる。ジルという男として相応しくあるために、俺は決して戦闘中には動揺しないし驚愕しない。


(落ち着け。無傷ではない、仕留める──!)


 俺の肉体を『神の力』が巡る。同時に、人類最強のハルバードから極大の圧力が放たれ大地に降り注いだ。


「天の術式、起動──」

「人類の歴史はここに紡がれ、人の世は繁栄する──」


 二つの力が混ざり、衝突し合い。


「神代の叡智を刮目しろ──」

「人類史の重みを懐け──」


 そして──

 

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『人類最強』


人間ができることは自分もできないといけないという強迫観念の元に行動し、実行する青年。ようは「アイツができたんだから自分もできないとダメだ」という思考回路。実際できる。(ただし人類最強として必要じゃないだろこれみたいなのはまた別)


自分は人類最強に相応しくないと考えており、真に人類最強と呼ばれるに相応しい完璧な理想像を己の中で描いていて、それを追いかけ続けている。膝を折りそうなときは「本物の人類最強ならば……! ここで倒れる訳がない……!!」みたいな感じで何度でも立ち上がる。ソシャゲなら多分解除不可のパッシブスキルに根性とかガッツとか付与されてる。


本物のジルならば──で根性出してるジルくんとは割と似た者同士なのだが、本人たちが気づくことは多分ない。実はどっちも相手のことを「これで涼しい顔してるってなんなん……?バケモンか……?」って感じに思ってる。人類最高峰の強がり二人組。


原作時空では様々な不運や要因が重なった結果、彼の最大の強みである「強迫観念」などに亀裂が走ったため、アッサリ撃破された。ただその状態でも他の大陸最強格とは別格である。

今作時空ではジルくんの行動のバタフライエフェクトの結果、人類最強が弱体化する要因(マヌス滅亡や、レーグルによる他国の被害に何もできなかった無力感や、その他諸々が重なりまくってた)が消滅したため、本調子。


なお『神の力』の有無は人類最強の実力に大した影響を与えないが、ジルの『権能』を突破する特攻武器という意味で、対ジル戦での戦果としては影響を与える。

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