終幕と開幕

 二人の拳が重なり合い、衝撃が大地に亀裂を走らせる。

 互いに笑みを深めた直後、二人は全く逆の方向に飛んだ。闘技場の壁に足をめり込ませ、次の瞬間にまたぶつかり合う。


 ヘクターの拳を腹に受けた老執事は、しかし堪えた様子もなくその足を振り上げた。上体を反らすことでヘクターはそれを回避し、吹き飛んだ衝撃波が上空の雲を消し飛ばす。

 

「チッ! 効かねえか!」

「効いたとも。だが我輩を倒すには足りんぞ、小童」


 振り上げた足の軌道を変化させ、老執事は横薙ぎに足を振るった。直撃したヘクターの体がL字に曲がり、闘技場の壁に突っ込んでいく。


「む」


 闘技場の壁にクレーターが出来上がったが、しかしヘクターの体はそこで止まった。老執事としては、そのまま闘技場の外まで吹き飛ばす手筈だったのだが──


「自ら飛んで我輩の蹴りの直撃を避けたか、小童」


 返答は、いつの間にか背後に回っていたヘクターの後頭部への裏拳だった。老執事の体が高速回転しながら吹き飛び、追撃のためヘクターの体がその場から跳ぶ。


「オラァ!」

「ふん!」


 ヘクターが蹴りを放ち、回転に身を任せたままの老執事が回し蹴りで相殺する。そのまま二人は音を遥かに凌駕する速度で足場を蹴り、拳と足の連撃を繰り出した。二人の軌跡を辿るように、大地と壁が大きく陥没していく。


「強えな、爺さん! 何者だ! なんで執事やってんだ!」

「この世界にもはや我輩のような老骨は不要! シリルは我輩より上手く国を治め、ファヴニールの子孫を使役するほどの才能を持っている! 故に我輩はもう一人の人格を作りだし、この世界から身を引いたが──」


 小童共の戦闘を見て、血が滾った。

 そう言って老執事は笑い、ヘクターも同様にして笑う。


「しかし小童。我輩はまだまだ上がるぞ」


 言葉の直後、老執事の大きな手がヘクターの顔面を掴んだ。マズイとヘクターが離脱するより速く、老執事はそのままヘクターの顔面を大地に叩きつける。

 闘技場の大地全体が大きく割れ、二メートル以上の深さのクレーターが形成された。


「ごッ……!?」

「まだだ」


 駄目押しとばかりに、老執事は再びヘクターの顔面を大地に叩きつける。先ほどより以上の轟音が響くと共に、闘技場全体が大きく震撼する。観客達が悲鳴をあげ、ヘクターの口から血の塊が吐き出された。


「頑丈だな。ではもう一度──」

「おおおおおおおお!!」

「むっ!?」


 ヘクターが拳を大地に叩きつけ、彼らを中心に大地が爆発する。初めて老執事の顔色が変化し、その隙をヘクターは見逃さない。


「そこだ!」

「ッ!」


 逆立ちの要領でヘクターが足を振り上げ、老執事の顎を蹴り上げる。中空に浮いた老執事の姿を脳裏に浮かべたヘクターは両腕に力を込め、そのまま飛び上がった。


「ここで決めさせてもらう!」


 拳撃の猛攻が老執事を襲う。時に爆発する拳が、老執事にヘクターの拳を手で掴み取って止めるという選択肢をとらせない。

 次第に老執事の顔に苦悶の表情が浮かび上がり始め、


「ナメるなッッ!」

「ナメてねぇよ!」


 最初の激突の焼き直しかのように、二人の拳が激突した。ドーム状の衝撃波が周囲に拡散し、二人の体が真逆の方向へと吹き飛ぶ。


「ハァ……ハァ……」

「……」


 僅かばかり、ヘクターが押されている。だがしかし、この程度の天秤であればどちらにも傾く。

 教会と接触する前の自分なら勝てなかった、とヘクターは欠けた歯を吐き出して手で口元を拭う。

 拭って、まだまだ足りないと実感する。


(けど、何かが掴めそうだ……)


 自分と同じような戦闘スタイルで同格以上の存在を相手にすることで、ヘクターの中に『何か』が蓄積されていく。

 それを漠然と感じ取りながら、ヘクターは薄く笑った。


「……」


 一方で老執事も、自らの肉体の衰えを感じていた。既に体力はあまり残っていない。まさかここまで、相手が粘るとは思っていなかった。

 かつては大陸最強の一角であったこの身が、かつてのパフォーマンスを発揮できる時間は限られている。それが最初の一撃と、先ほどヘクターの顔面を叩きつけた二撃だ。


 最初の一撃は回避され、次の二撃は耐え切られた。

 間違いなく、目の前の青年はいずれ大陸最強の一角に成り上がる。そして、彼が主人として仰ぐ存在は──


(……上手くやれよ、シリル)


 内心で孫の名前を零し、そして老執事は前を見据える。

 互いに拳を握りしめ、二人は腰を落とした。これが、最後の一撃。お互いの全力がぶつかり合う最後の機会。

 普通であればおそらく闘技場どころかここら一帯が丸ごとが消し飛ぶが──今この周囲は、結界が張られている。であればなんの問題もない。


 そう判断したヘクターと老執事は笑って。お互いの視線を交錯させた。


「……往くぞ!」

「……来いッ!」


 そして、両者が大地を蹴り───
















「ちょうど良さげな傀儡達だねえ」


 世界が紅く染まった。

 闇が大地を侵食し、老執事とヘクターの身体を呑み込む。

 先ほどまで会場を覆っていた二人の闘気や気迫、熱意が一瞬にして消え失せ、後に残るのは冷たい静寂のみ。


「うんうん、大国は素材がいいね。これで、僕の手持ちは充実した」


 否、違った。

 先ほどまではいなかった存在が、闇に包まれた大地にぽつんと佇んでいる。


 何事か、と観客達がざわめき始めた。


「『伝道師』さんが沢山力をくれたし、本当にいいことづくめだよ」


 そこにいたのは、紫色のフード付きの服を纏った声変わりする前の少年だった。

 いつの間にかその場にいた彼は楽しそうに笑いながら、人の形をして蠢く『闇』を眺めている。


「二人とも強かったなあ。傀儡としてちょうど良さそうで何より何より。僕達『魔王の眷属』の扱う力は物理的な破壊力はそれほどだからねえ。たまには派手に人を沢山殺した方が、魔王様も喜ぶと思うんだ。殺戮の手段が静かすぎるのだけっていうのはつまらないよねえ」


 ふふふ、と笑う少年。

 明らかな異常性に気づきた始めた観客達が、その表情を不安で染め始める。そんな有象無象を眺めながら、少年は更に笑みを深めた。


「これで僕も『最高眷属』かな。手持ちの傀儡の質は、僕が上回っただろうし」

「何者ですか」

「んん?」


 ──と。

 そんな少年の背後に、一人の青年が降り立った。その表情は険しく、周囲に振り撒かれる殺意も相当なもの。


「あ、なんか見たことあるなあ」


 だがそれを、少年は特に気にした様子もなく受け流す。そうして暫く唸っていた少年は両手を合わせると、なんでもない風に口を開いた。


「そうそう『龍帝』じゃないか。表の大陸最強の一角だったよね。君と君の竜も欲しいなあ。ねえ、竜はどこ?」

「意味の分からないことを……なんですか、その力は。そんな力は、この世界に存在してはいけない」

「それは君の理屈だよねえ? 現にこの世界に在る以上、存在してはいけないなんて道理はないんだよ。この力が理解できないなんて嘆かわしいよね。魔王様が降臨できないこの世界の土壌は、本当に最悪だよ」

「……魔王?」

「魔王様を知らないだなんて、可哀想に」

「……訳が分かりません。もういいです。あの二人を解放しなさい」

「解放? ははは! 面白いことを言うねえ!」


 無邪気な笑みだった。虫の羽を毟りとりながら笑う、子供のような無邪気さ。


「……なるほど。破綻していますね」


 少年の精神性を読み取ったシリルが舌を打つ。この手の手合いに、説得は不可能だと理解したがゆえに。かといって実力行使でどうにかできるかも不明瞭だ、とシリルは歯噛みする。


 大陸有数の強者たるヘクターと老執事を同時に、抵抗すらさせずに呑み込んだ謎の力。あれに果たして、自分達の理が通用するのかどうか──と、思考を巡らせるシリル。


(……もはや友好試合どころの騒ぎじゃありませんね。まったく、次から次へと理外な状況が舞い込んでくる)


 大国である自分達に匹敵する戦力を小国が複数揃えているわけがない常識は、つい先ほど打ち破られた。

 老執事とヘクターの激突により、大国としての最低限の威信は保たれただろうが──完敗というほかない。


(小国と大国のパワーバランスは凄まじい。結果論でしかないですが、戦争であればこのような結果にはならなかったでしょう。偽神という分かりやすい最強の鬼札だけを警戒しすぎた、こちらの采配ミス。……おそらく、こちらの思考を誘導させるよう、全て計算尽くで振る舞っていたのでしょうね。まさか自分自身の埒外の実力さえ、囮にするとは……)


 小国なんぞ大国と比較すれば大したことはないという常識と、大陸最強をも超越する絶対者の存在。この二つの情報をうまい具合に開示することで、ジルはシリルの思考を縛ってみせた。


 ジルとしても、大国との戦争自体は避けたかったのだろうとシリルは思う。ジル自身が生き残っても、国が滅べば王としてのジルは敗北。試合に勝って、勝負に負けたという状況に持ち込まれてしまう。


 自分に絶対的な自信を有し、なおかつプライド高いジルとしては──個人としてだけではなく、王としてもこちらの上を行く策を練ったのだろう、とシリルは結論を出していた。


(プライド高かったり、自分を崇めさせたりといった状況から、個人のスタンドプレイを好むと予想していましたが……国全体の利益も見据えていたとは。情報不足だけではなく完全に、慢心)


 総括すれば、情報不足と慢心によって生まれた失態──であれば同じてつを踏むわけにはいかない。

 大陸最強の一角の身であろうと、目の前の少年に警戒しなければとシリルは目を細め──


「僕は『魔王の眷属』。伝道師の命令でさ、強い連中を傀儡にするために動いているんだ。そして、この二人はもう既に終わったよ。いや、始まったのかな?」

「……」

「今の僕は間違いなく『最高眷属』にも匹敵する! いや、こんな傀儡を手に入れたんだから、『最高眷属』よりも強いかも! ははははははは!!」




「ほう。随分と面白いことを言うではないか。して、その傀儡とやらはどこにいる?」




 目を細め、内心で思わず笑ってしまった。

 ここで動くのか、と。


「え?」


 一瞬にして全てを理解したシリルとは別に、少年の方は理解が及ばなかったのだろう。キョトンとした表情を浮かべて、響いた声に対して言葉を返そうとして。


「え? 何言ってんの? 見てなかったの? それはもうここ、に……?」


 ピシリ、と少年の動きが硬直した。いつの間にか闇は完全に消えていて、空の色も元に戻っている。

 パクパク、と餌を求めるこいのように口を動かしていた少年は、勢いよく声のした方向へと全身を向けた。


 そこに。


「なっ、なななな」


 そこに、傀儡にしたはずである青年と老執事がなんの変質もない状態で立っていた。老執事の方は少しばかり青ざめているが、青年の方は特に問題なさげに佇んでいる。


「な、なんで……」


 あり得ない事態。あれから逃れるなど、人間では不可能なはず。それをよく理解している少年にとって、目の前の現象は受け入れがたいもののそれ。

 だが、それ以上に──


「貴様ら『魔王の眷属』は、余程私に滅ぼされたいと見える」


 だがそれ以上に、空間そのものを歪めながら君臨する『絶対者』から少年は全く目が離せない。

 アレはいけないものだ。アレは、アレはダメだ。単純な強さ以上に、致命的にアレと相対するのは良くないと体が訴えてくる。

 自らが『核』としているものが、アレの身に内包されているものに触れては終わると告げている──!


「な、なんなんだお前! お前みたいな奴は、存在してはいけない!」

「おや、先ほどあなたは『この世界に在る以上存在してはいけないなんて道理はない』と仰っていましたが?」

「うるさ──」


 そしてまたも、少年は硬直した。

 『龍帝』とその背後に君臨する巨大な黒い竜。闘技場の大地の半分以上を埋め尽くし、建物すら凌駕する高さを誇るその『超越者』に少年の胸中にはもはや絶望しかなかった。


「僕の相棒の真の姿です。ジルがあなたに対して怒りを覚えているように───僕も、身を引き裂かれるような怒りを抱いている。生きて帰れると思うな」

「ふん。それは私の獲物だ、と言いたいところだが……同じく上に立つものとして、貴様の気持ちは理解しよう。同時にやるぞ、シリル。貴様に私と共に戦う栄誉を与える」


 天が裂かれ、地が割れる。


 結末は、呆気なさすぎるものだった。

 大陸最強を同時に相手にして、少年程度の存在がどうにかできるはずがない。二人の本気のひとかけらすら引き出せず、少年はあっさりと退場した。


 ◆◆◆


 骸を依り代にしてエーヴィヒが現れたら俺の計画が完全に破綻するため、俺は念入りに、念入りに『魔王の眷属』を消し飛ばしておいた。

 シリルと同時に攻撃したことで、一応周囲の目は誤魔化せたはず。力の異質性自体に気付くのはシリル──というより彼の相棒の『竜』くらいだろうが、それも所詮野生の勘の域を出ないもの。


 よって、俺の実力はシリル以外にはバレていない。

 まあ万が一バレていたところで、邪魔者の『魔王の眷属』を倒した後の観客達の歓声が全てを物語っているが。


(ヘイト管理の大事さが改めて分かる)


 人間というものは、共通の敵を打倒すれば連帯感が生まれるものである。今回で言えば『魔王の眷属』は非常に良い仕事をしてくれたかもしれない。まあ、俺のヘクターに『呪詛』を使ったことは非常に腹立たしいが。


(『加護』も元々は『神の力』だったおかげで、やはり『呪詛』に対する耐性があるらしい)


 『レーグル』が『呪詛』で傀儡になる可能性はあまり考えなくて良さそうだ。不死の力を有している『最高眷属』相手には分が悪いかもしれないが、それでも最悪の結末は避けられそうで何よりである。


(それにしても、エーヴィヒは俺について伝えていないのか……?)


 先の『魔王の眷属』は、完全に俺のことを知らなかった。

 ……何故だ? 部下に対して情報伝達を行わない理由はなんだ? 俺の力は、『魔王の眷属』に対して天敵のようなもの。どう考えても、真っ先に伝えておくべきだろう。


 エーヴィヒの頭は悪くないはず。あんな技術を生み出した時点でそれは明白だし、奴の考察はかなり的を射ていた。

 そんな奴が、何故。


(まあ良い。情報が足りないからな。頭の片隅には入れておくとして……とりあえずは、目的を果たせたことを喜ぶとしよう)


 今回の件で、ドラコ帝国の民衆達に俺達の存在は深く刻み込まれた。

 多少なりとも、俺に対して畏敬の念を抱く存在は生まれただろう。闘技場から立ち去る際に周囲に視線を巡らせたが、堂々たる俺の姿に目を離せない存在は一定数いた。


 レーグルによる快進撃に加え、それを従える俺という存在を堂々と晒す。畏怖や畏敬も一種の信仰であると考えれば、今回の目論見は大成功。

 更にこの種が芽吹くことで、竜使族に虐げられていた者達の一部は俺の国への移民なんかも希望するはず。そうすれば俺に対する強い信仰が集まり、必然的に俺の能力は向上する。


(……数日後が楽しみだ)


 帝国を立ち去りながら、俺は内心でほくそ笑む。


 俺の配下が『龍帝』の配下を下したことにより、『龍帝』の持つ戦力に対して向けられていた畏敬の念はそのまま俺の配下に、そしてその配下を従える俺へと向けられる。


 全て、全てが計算通り。

 原作知識という絶対的なアドバンテージと、人間なら誰しもが持つであろう常識による先入観。そして、ジルというダークホース。

 これらを総動員して隙を突けば、人類最高峰の頭脳を有するシリルを相手でも、一度は上回れる。


(シリルは俺のことを同格かそれ以上の頭脳派と認識しただろうが……残念ながら、それはない。ジルの頭脳そのものはシリルと同格だが、操っているのは俺だからなあ)

 

 所詮、ハッタリだ。

 向こうは互いにある程度の余力を残した状態で策を巡らせたと考えているだろうが、俺は全力の全力をぶつけた。原作知識による隙を突く初見殺しなんて、誰が予想できるものか。

 更には一度しか使えない伏せ札を複数切った以上、今後も通用するわけではない。


 おそらく、次にシリルを上回るのはかなり骨が折れるだろう。それこそもしかしたら、上回れないかもしれないが──問題ない。

 一度でも上回ったという事実が大事だ。今回完全に上回ったことで向こうが勝手に俺を多方面から警戒してくる以上、激突することがそもそもあるまい。

 

 ようは、勝ち逃げ作戦である。向こうが警戒して勝負を挑まないだけで、逃げていないのでなんの問題もない。俺がナンバーワンだ。


「えー。帝国の観光したかったー」

「口を慎めよ娘。ジル様が帰国すると仰ったのならば、即座に帰国するのが従者の務めだ」


 ごねるステラの首根っこを引っ張るキーランを尻目に、俺は足を進める。


(順調、順調だ……!)


 そして勿論、この地に眠る『神の力』も入手した。帝国は複数の小国や民族を支配して成り上がった国という性質上、複数の『神の力』が眠っているため非常に美味しい国である。


 そしてこの大国は起源が「力を持った『民族』による進軍と略奪」という性質なためか、そもそも『神の力』に関して把握していないので窃盗にはあたらない。

 ようは、歴史の影に葬り去られたというやつである。元々この辺を支配していた国の王族だとかは、全て死んだからか。


 シリルでさえ『神の力』に関しては殆ど無知という時点でお察しだ。いやむしろ、民族の長たる『龍帝』だからこそ無知にならざるを得なかったというべきか。


 『人類最強』を擁する大国が『神の力』を研究しているという情報を得ていればある程度調べるだろうが、あの国は元から魔術大国以外とは元々交流を持っていないが故に、シリルが得られる情報はほぼ皆無。よって、その線から『神の力』に関する情報を得ることはできない。


 まあ仮に『神の力』の情報を得たとしても、神という存在に対して猜疑的なシリルでは乗り気にはならないかもしれないが。

 どちらかというとシリルは、神々の存在を嫌う側だ。世界の在り方にすら、疑問を覚えている。


(いずれにせよ、ある程度の舞台は整った。精々胡座あぐらをかいているがいい、神々。俺は、お前たちを確実に殲滅する……!)


 だがまずは、他国の人間を歓待するための準備を始めるとしよう。

 俺なりの歓待の準備を、な。


 ◆◆◆


 城の一角で、シリルは額を抑えながら思考を巡らせる。


(……何故、僕に何も要求をしない?)


 あの後、自分達は同盟を結んだ。

 だが、向こう側からの要求は何一つなかったのである。これでは本当に、ただの同盟だ。

 実質的に自分達はかの小国に敗北していて、その気になれば大抵のことは要求できたはずなのに。あの王は、何一つ要求してこなかった。


(分かりません。何が狙いなのですか? まさか本当に、同盟が目的……? 大国と対等の立場を得ることだけが、目的だとでも?)


 いやそんなはずはない、とシリルは頭を横に振る。その程度で収まる器でないことは把握している。にも関わらずなにも要求してこないからこそ、全く意味がわからないのだ。


(あれほど個性的な集団をまとめあげるカリスマの持ち主。『粛然の処刑人』に、魔術大国の少女。セオドアという研究者に、『千人殺し』のヘクター。そして半裸の集団……)


 あの王が従えるのは、個性派集団という言葉すら生ぬるい様々な価値観を有した狂人たち。

 普通に考えれば空中分解するに決まっているのに、なぜか彼らは集団として成立している。


(様々な意味で強力な個を複数、それもそれぞれの個性や価値観を一切封殺させることなく従えるなど、正気の沙汰とは思えません。思えませんが、現実問題それを成しているとなると話は別です。真に王に忠誠を誓いながら力を持つ兵士は、間違いなく強力ですからね……)


 まるでかつての帝国と真逆だな、とシリルは自嘲する。ジルの国は、個性豊かだ。豊かすぎるが、よく言えば多様性に富んだ国である。

 自分達のように、他の民族や価値観を力でねじ伏せていた歴史を持つ国とは大違──


(──まさか)


 ぞくっ、とシリルは背筋が凍りつくのを感じた。

 ジルの国は多様性に富んだ国家だ。まさしく、多民族国家としての理想郷と言えるかもしれない。あれほどまでに何もかもを受け容れる国など、世界中どこを探してもありはしないと断言できる。


(まさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさか)


 そしてそうなると、一つの仮説が生まれる。生まれてしまう。

 当たり前の話だが、人間の価値観や常識というものは生まれ育った環境で大きく異なる。世界中の人間全てが同じ価値観なんてことはあり得ないし、あり得ないが故に支配する側とされる側という関係さえも生まれる。


(そしてそうであるが故に、全てを受け入れるというのは……)


 もしもこれが奴の狙い通りだとすれば、それはとんでもない事態ではないかとシリルは目を見開く。


(一体、どこまで読んでいたというのですか……ッ!?)


 ジルの狙い。それは。


(全て、全て計算のうちだったとでも……!?)


 誰もが受け容れられる理想郷。

 それは、虐げられてきた過去を持つ民族からはどう映る?


 ──答えは単純、理想郷だ。


 少数であるから弾圧されてきた者達にとって、少数派ですらきちんと受け入れる国は魅力的に違いない。

 勿論、全員が全員そういう風に感じる訳ではないだろう。何人かの人間は自分や部下のように気味が悪いと思うに違いない。


 しかしそれでも世界的に見て少数派すぎる宗教団体を抱えている点と、魔術大国の少女ですら受け入れている事実によるアピールとしては機能している。

 全員ではなくとも元々帝国に対して嫌悪感を抱いていた以上半数くらいであれば十分に取り込まれる可能性は高く、それだけ取り込めたのであれば向こう側しては十分すぎる成果だ。


(半裸の集団以上に大多数から見た時に少数的な価値観を有した集団も然然(そうそう)ない……! そういう、そういうことですか……!)


 まさしく神算鬼謀の持ち主、とシリルは顔を青ざめさせる。

 半裸の集団をそういう意図を持って生み出したなど、一体この世界の誰が想像できる? 一体あの男は、どこまで見据えているというのだ? 


 全て、全て掌の上だったのか?


(なんと、いう……このような形で、国益を……)


 武力ではなく、宗教面での支配とはこういうことかとシリルは机に手を叩きつけた。

 竜使族を打倒した戦力を有することは、間違いなく帝国に住む他民族の一部に広がっている。であれば彼らはジルの国を目指し、そして半裸の集団を見ることになるだろう。


 そうなれば、あとはジルの思うままだ。

 半裸の集団を当たり前のように受け容れている国であれば、自分達も受け容れられるに違いないと涙を流す連中の姿が目に浮かぶ。


(……終わり、ですね)


 ジルが、特に何も要求してこなかった理由も掴めた。

 ジルにとって必要な人材は全て、引き抜かれたに等しいのだ。そして不必要な人材は、シリルの手でこれまで通り手綱を握らせておく。

 あえて敵国の長を殺さず、放し飼いにするのと似たような理屈。面倒ごとは全て、シリルに押し付けようという魂胆。


 一体どこまで見ていた? とシリルは自重気味に笑って、天井を見上げる。

 その顔には、ただただ諦観の色が浮かんでいた。


 ◆◆◆


 『魔王の眷属』の最高眷属が一人、レーヴェン。

 彼女は現在、地に伏せていた。


(な、ぜ……!?)


 まったくもって理解不能だった。

 とある大国に忍び込み、そこで人類最強を傀儡にする手はずだった。

 如何に人類最強と呼ばれる存在であろうと、人類を超越している自分に不可能ではないはず──そう思っていたからこそ、彼女にとって今の現実は受け入れがたいものだった。


「試験結果はどうだ?」

「まだ馴染まないな。だけど成る程。これが『───』を取り込むということか」

「そうか。直接取り込むことが不可能ということで──を介するという発想は、悪くなかったようだな」

「けどこれは、自分以外には不可能な方法だ。汎用性はない」

「構うものか。人類最強のお前が更なる進化を遂げた、これが重要なんだ。───お前が完成すれば、もはや他の大国なんて相手にならない」


 何故、自分は地に伏している?

 何故、ちぎり取られた腕が再生しない?

 何故、何故自分の力が通用しない……!?

 なにより、


(なにを、なにを言っている……!?)


 目の前の会話が全くもって理解できない。所々ノイズが混じって聞き取れない単語が、彼女に焦燥感を抱かせる。

 だがしかし、彼らが自分を実験動物扱いしていることだけは分かる。少し離れた場所に転がった自分の腕を興味深そうに眺めていた二人組は、その無機質な視線を再度こちらに向けてきた。


 それは──


「『氷の魔女』が暴れたおかげで、糸口が掴めた。あれは非常に、非常に良いタイミングだった『───』の解析を進めていたところで───」


 それは、非常に屈辱tgwmdzzz











「面白い話をしているじゃないか。そしてその『力』……あの男の用いていた力に近い波動を感じるな? さあ、俺様にも教えてくれよ。それにしてもどうやらあの男への突破口、思っていたより早くに掴めそうだぞ」


 紅色の髪の青年、エーヴィヒの降誕。それを見ても『人類最強』と称される青年の表情は揺るがない。

 その事に少しばかり訝しんだエーヴィヒだが、しかし気にすることなく彼は虚空に血槍を装填する。


「……」

「フム……何やら状況が変わったが。──結果は変わらない。やれ、人類最強。そして、何も伝えるな」


 人知れず、世界を一変させる衝突が始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る