女に憧れた俺は、男になりたい君のそばでずっと

田中ケケ

第1話 運命の出会い

 ――そなたはオーロラよりも美しい。


 なんて言葉は期待していないし、自分でもそこまで美しくなれているとは思っていなかったが。


「おい、なんだよ、……あれ」


 入学式の朝。


 新入生たちの緊張と期待の声でいっぱいだった昇降口の空気がぴんと張り詰めたのは、俺のせいと言うべきか、私のせいと言うべきか。


 冷たく尖った新入生たちの好奇の視線は、まるで氷柱のようだった。


「ちょっとやばくね、この学校」

「入るとこ、間違えたかも」


 靴を脱いでいるだけなのに、どうしてこんな目に遭わなければいけないんだ。


 背中からねっとりとした汗がにじみ出し、無重力空間に放り込まれたみたいに、足元がふわふわと落ち着かない。


 自分は自分なんだ。


 そう強くあろうと決意した心が、ごそりごそりとものすごい勢いで削られていく。


「ってかあいつ……本当に男、でいいんだよな?」

「たぶん」

「じゃあなんで女子の制服着てんだよ」

「ウケ狙いだとしてもさ……さすがに引くわ。あれは」


 ごめんなさい。


 被害者面しましたが、周りの人間の方が真っ当なことを言っています。


 男がセーラー服を着て学校にいたら、そりゃあいろいろと言われるに決まってるよね。


 この格好が許されるのは、渋谷のハロウィンぐらいだもん。


 きっといま、俺の顔は胸元の赤いリボンと同じくらい真っ赤になっていることだろう。


「マジで、あんなやつと一緒とか、最悪」


 ごそりごそりと、また心が削れる音がする。


 だが、俺はこの居心地の悪さを受け入れるしかないのだ。


 それに、ひとつだけ事実を述べておくが、この松園学院高等学校まつぞのがくえんこうとうがっこうに、男子がセーラー服を着てはいけない、という校則はないからな。


 そんなのがあったらブラック校則だ、服装選択の自由を侵害してる、って訴えてやる!


 俺は男を捨てて、女になりたいのだ。


 だって男は、いつだって誰かを傷つける、醜悪な存在だから。


「でもさ、見てみろよ。意外とあいつの足、綺麗じゃね?」


 どうだ! すね毛はちゃんと剃ってあるのだよ!


 ははは見たか!


 恐れ慄け!


「なに見惚れてんだよ。男だぞ」

「見惚れてねーし意味わからんしは?」


 しかしまあ、どれだけ強がってみても、恥ずかしいものは恥ずかしい。


 春休みに女装の練習、結構やったんだけどなぁ。


 今朝だって早起きして、メイクに二時間かけたから、それなりの姿にはなっているはずなんだが。


 いざこうして衆目にさらされると、全裸で街を歩いているような気分になる――――


「――え?」


 などと、心の中で悶々としていた時だった。


 目の前の廊下を、一人の学生がさっそうと通り過ぎて行く。


 俺は――いや、いまこの場所にいる全員が、今度はそいつの堂々とした姿に目を奪われていた。


「あいつ、男の……」


 中性的な顔立ちに、男と見間違うような長さの髪。


 胸には……さらしでも巻いているのだろうか?


 それとも、ただまな板なだけ?


 実は本当に男……なわけないよな。


 どれだけ学ランで着飾っても、顔が中性的であっても、髪型が男っぽくても、俺が男だとバレてしまうように、彼女からも強烈な違和感がにじみでている。


 お尻の大きさとか、指先の細さとか、女として生きてきた時代に身についた歩き方とか。


「ヤバくね、この高校。女装男子だけじゃなくて男装女子までいるじゃん」

「男装女子の方が圧倒的にリアルでレベル高いけどな」

「言えてる。女装男子の、とりあえずスカートだけ穿いてみました感な」


 そんな揶揄の言葉すら、どうでもいいと思えてしまう。


 俺はただひたすらに、男装女子の堂々とした背中を目で追っていた。


「……すげぇ」


 称賛の声が口から零れたことにすら気づいていなかった。


 俺と同じことをしているのに、からかいの言葉と好奇の視線の中を、あんなに堂々と歩けるなんて。


 羨ましいと憧れる。


 格好いいと尊敬する。


 我が道を、威風堂々と、自信をもって突き進んでいる彼女は、本当の意味で強い人間なのだろう。


「でもなんで、わざわざ……男なんかに」


 ただ、それ以上に。 


 どうして彼女が男になろうとするのか、理解できなかった。


 男なんて、地球史上最低最悪のモンスターだというのに。

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