1章 箱庭④


 翌日。いつもより早い時間に起きてザッと勢いよくカーテンを開ける。本当は侍女の仕事だけど今日は自分でしたかった。

 大きな窓の外にはキラキラ輝く朝日とけるような青い空。

「天も私に味方しているのね」

 雨が降っていたら今日の作戦は実行できないことになる。私は決めたらそく行動するタイプの人間なので、ここで出鼻をくじかれたらたまらない。

 気合いを入れるためにもドレスを入念に選んだ。クローゼットに所狭しと並べられている色とりどりのドレスを順番に見る。

 これからの作戦も考えて、簡素なドレスを選んだら侍女たちにしぶい顔をされた。簡素と言っても、私からすると十分派手なのだけれど。仕方なく、私はスキル『令嬢のまま』を発動した。このドレス以外は断固きょであると示すため、ドレスを握りしめて「これにするわ」とはっきり告げる。

 渋々着せ替えてくれた時は勝ちを確信したが、いつも以上にしょうられた。

 そんなあつりしなくても、ベルティーアは元がれいだと思うんだけどな。納得いかない。


 三回深呼吸をして、げんかんまえで使用人たちに混じって王子を待つ。私が王子をむかえるのは実は初めてだ。いつもは屋敷の中で待っているが、今日は作戦を成功させるためにも、こうするのが一番有効だと考えた。何事も先手必勝。ふうっと息をついてから、もう一度胸に手を当てた。

 しばらくは大人しく待っていたけれど、だいに落ち着かなくなってくる。とうちゃくの時間がせまるのを感じるほど心臓がばくばくと音を立てた。

 もしも、ここで王子に嫌われたら、二度目のチャンスはない。ここに来る回数も少なくなる。そりゃ、嫌いな相手と好き好んで一緒にいたいとは思わないだろうし。

 そこまで考えて、ん? と首を傾げた。

 待てよ、もし王子が家へ来なくなった場合、彼は王宮にいることになる。でも王宮には兄がいるし、婚約者も嫌いで……となったらいたばさみでなおさら拗らせるのでは?

 いもづる式に不安要素がどんどん増えていく。結局、私が今日の作戦を成功させるしかないのだ。行動しなければ何も改善しないし、誰も幸せにならない。なら何かやってぎょくさいした方がまだマシというものだ。

 頑張れベルティーア、当たってくだけろ!

 砕けたくはないけれど、と心の何処どこかでそっとつぶやいた。

 自分を必死にしていると、がらがらと馬車を引く音がしてあわてて背筋を伸ばした。控えていた執事たちと同じように深く礼をする。

 ドアの開く音が聞こえて、黒いくつが目の前で止まった。

「どうしたの、ベル。お出迎えなんて珍しいね」

 顔を上げるとじゅんすいに驚いた顔をした王子がいた。

「はい。今日は我が家の庭を案内させていただこうかと思いまして」

「庭を?」

「ええ」

 にっこりと、王子を見習って意図を悟られないように笑う。多分できてる。一瞬王子が不可解そうにまゆをひそめた。

 しかしそれは本当に一瞬で、またすぐに笑顔に戻る。

「そっか、だから待っていてくれたんだね。ありがとう。じゃあさっそく案内してくれるかな?」

「……こちらです」

 私ができるせいいっぱいの笑顔で王子を見ると、彼も私を見ていた。目が合って、おたがいに微笑み合う。はたから見ればなごむ光景だが、当事者の私たちは違う。

 王子は思いのほかけいかいしているし私も戦う気満々。視線の間には火花が散っているに違いない。

 脳内でゴングの音がひびいた。


 庭案内は今のところ順調で、王子はなにも言わずについてきてくれる。花の種類を一つ一つ説明すると、この花は春になると赤い花をかせるんだよね、などと豆知識をろうしてくれた。が、正直手応えはいまいちである。

 花を見て、立ち止まることはあってもほんの数秒だけ。これでは思ったよりも早く案内が終わってしまう。

「殿下、あの……楽しくありませんか?」

 のアーチを見ている王子に声をかけた。彼がゆっくりとこっちを振り向く瞬間、金色の髪が日に照らされて天使の輪を作った。相変わらず美しい方だ。

「そんなことないよ? ほら、この薔薇だってこんなに綺麗。よく手入れされているね」

 そう言ってまた薔薇に視線を戻した。

 ああ、どうする。このままでは現状が変わりそうにない。彼も警戒したままだ。ここはやはり一発ぎょくさいするしかないのか。

 思案していると、王子がある場所に足を向けた。

「ま、待ってください! そこは……!」

「あっちはだめなの?」

「だ、だめです!」

「へぇ……そう言われるとのぞきたくなっちゃうな」

 いつものように優しく微笑んでいるはずなのになんか変なかんがする。細められた瞳が意地悪そうに歪んでいた。なんとなく感じてはいたけれど、王子って何気にサディストのけいこうがある気がする。ドS設定のキャラなのだろうか。

 微笑みをとおしてあやしげに笑っている王子を見て、逆に彼の警戒心がうすまっているのに気が付いた。焦った私に対して自分の優位性を感じたがゆえのゆうな気もするけど、王子のげんがいい今ならいけるかもしれない。

「殿下、お願いがあるのですが」

「え? お願い?」

「私と、友達になってくれませんか?」

 あせがべったりついた手のひらを強く握りしめる。腹に力を入れてしっかり王子の目を見て言った。王子はぽかんとほうけた後、今度は今までにないほど警戒を強めて笑った。

 私は怯むことなく続ける。

「私、貴方あなたと仲良くなりたくて」

「どうして僕と仲良くなろうなんて思ったの?」

 今度は笑顔を一転させて真顔で問う。いつものにゅうな笑みはどこかへ消え、冷たいそうぼうが私をらえた。

 まさか真顔になるなんて予想もしていなくてきょうがくし、言葉を詰まらせる。美少年の真顔というはくりょくがありすぎる表情に体がこうちょくした。

「俺の過去を聞いてあわれになった? ただの同情かなにか? あ、それとも単純な興味かな。自分の婚約者が王宮でじゃけんにされているなんて気にならないはずないもんね。俺みたいなのにくだらない理由で選ばれるとか、君も不運だよ。可哀想に」

 いちにんしょうが変わった。多分こっちが本来の彼に近い。

 怖いけど大丈夫。いかりをぶつけられるのは前世の弟で慣れている。

 大丈夫、大丈夫と心中で呟きながら私は王子の一挙一動をのがさないように目をそらさずだまって話を聞いていた。

「同情なら、いらない。馬鹿にするな」

「馬鹿になんかしていません!」

 思わず言い返してしまったが、王子が反論しないのをいいことに構わず続けた。

「ましてや同情でもありません。私が殿下に同情できるような立場でないことはちゃんと分かっています」

 今度は私が睨みつけるように彼を見つめる。

「すべて、自分のためなんです」

 用意していた言葉を頭から引っ張り出した。

 同情なんかじゃない、と分かってもらうために、自分を引き合いに出す。しかし、王子はよどんだ瞳を細く歪めた。

「ああ、知ってるよ。君みたいな、ぜんを生きがいにしているような子。おかしいよね。そもそも俺は助けなんか求めていないし君に助けてもらおうとも思わない。そういう自分勝手な正義感は他人を受け入れられるほど余裕のある奴を相手にしてくれない? 迷惑だよ」

 微笑んで皮肉をく王子に図星をつかれた私は固まってしまった。

 弟でもこの時期はまだ素直だったのに。思っていたよりも根が深かった。これを攻略するヒロイン、だいすぎ。

 私が委縮して黙っていると、彼はハッとして唇を嚙む仕草を見せた。

 どうやら、言いすぎたことは自覚しているようだ。

 もんの表情でうつむいた王子は、地面を見つめつつも時々ちらりとこちらを見た。私と王子の視線が交わると、王子は気まずそうにすぐまた目をそらす……といったもじもじとした仕草がかえされた。先ほどと全く雰囲気の違う王子に思わず心の中で笑ってしまう。子どもらしい一面があって安心した。

 このまま仮面笑顔でスルーされてたら私の心が折れる。

 そこで私は、もう一度背筋を伸ばしてあごを引く。ここが正念場だ。

「私も正直に言います。私は、殿下と仲良くなることに下心がないわけではありません」

 そう言うと、王子のかたおびえるように揺れた。私は深呼吸をして続ける。

「私には、友達というものがおりません。パーティーにも出席したことがないので当たり前かもしれませんが。兄弟もいないのでいつも一人なのです」

 一人、と言うと王子が少し顔を上げた。

「一人でできることと言えば、本を読むとかお勉強をするとかですけれど、さすがに一日中ずっとでは面白くありません。それにあと二、三年もすればおうの教育も始まって、本を読むどころか自由な時間もなくなるでしょう」

「……そうだね」

 完全に顔を上げた王子がそこで申し訳なさそうに顔をしかめる。

 私が一つ違いの王子と同じ十歳になった頃には、きっとたくさんの家庭教師と教材の山に囲まれていることだろう。仮にも王族に嫁ぐのだから仕方のないことではあるが、ゆううつである。きっとごくのような日々を過ごすに違いない。

 前世の大学受験の勉強けの日々が脳裏に浮かんだ。多分あんな感じ。

「そこで私は考えました。どうしたら今のうちに楽しめるだろうと。どうせなら二、三年後にできないようなことがしたいのです」

「例えば?」

「えぇっと、おにごっ……あ、いやかくれんぼ! かくれんぼがしたいです」

「かくれんぼ?」

 鬼ごっこと言いそうになって慌てて言い直した。庭で走り回って王子がでもしたら大変だ。

「庭とか、家の中とかで、一人が隠れてもう一人が探すゲームです」

「あぁ、なるほど。二人じゃないとできないんだね」

 王子は納得したように笑う。

「そうならそうと言ってくれれば良かったのに。ベルが王子妃の教育を受けなければならないのは僕のせいなんだから、言ってくれればいくらでも付き合うよ」

 いつもの調子に戻ったらしい王子はにっこり微笑んだ。

 違う。私が言いたいのはそういうことじゃない。王子とある程度親しくならないと意味がないのだ。ただ相手に合わせるだけの遊びなんて楽しいわけがない。王子が時間を忘れるほど楽しくならないと、寂しさから気を紛らわすことなんて無理だ。

「私たちが仲良くならないと意味がないんです!」

「え? どうして?」

「だ、だって殿下にはやっぱり気を使いますし、殿下だって私にお心を開いてくれているわけではないでしょう? 私たちはもっとお互いを知った方がいいと思ったんです」

 ちらりと王子を見ると、彼は大きな目をさらに大きく見開いて固まっていた。何かちがったかもしれないと慌ててつくろおうとするが、上手い言葉が見つからない。

「あの、生意気言って申し訳な……」

「ふ、ははは!」

 突然笑い出した王子を驚いて見る。

 目に涙を浮かべて、見たことがないほどばくしょうしていた。訳が分からずろうばいしてしまう。

「いやぁ、ごめんごめん。ベルがあまりにも必死だからおかしくておかしくて」

「なっ!」

 馬鹿にされたような気がして思わず顔を赤くして声を上げた。そりゃあ、必死に決まってるでしょう! 王子がこんなにごわいなんて思ってなかったんだから!

 恥ずかしさから顔を赤くした私を王子がさらに笑った。

「いいよ。友達……だっけ? でも、結局ベルは俺と仲良くなりたいんだよね? なら別に〝友達〟にこだわらなくてもいいじゃない。もう婚約してるんだし、なんでそんなにしょうしつするのか理解できないな」

 鋭すぎませんか。

 黙り込んだ私を見て王子はついきゅうするのをやめた。これ以上は不毛だと判断したのだろう。

「でも、まさかベルがこんなに俺のことを考えてくれてるとは思わなかったなぁ」

 初めて王子が嬉しそうに笑った。

「ベルとなら上手くやっていけそうだよ」

 ……大成功とは言えないけれど、前よりは仲良くなれたかもしれない。これを期に、もっと仲良くなれたらいいな。


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