035:黒死天斬

 採取場近くにある怪の村を壊滅させて貞治さんの家に戻ると、ちょっとした問題が発生した。


 俺が風呂から上がると瀬那が影の中から出てきて『私のために本当にありがとう。だけど……今の私には何もできないのがツライ』と言いながら泣いてしまったのだ。


 自分のために誰かが危険な目にあっている。

 自分のためにたくさんの人たちが動いている。

 だけど、自分だけ安全な影の中で傍観するしかない。


 この状況に瀬那の心が疲弊してしまったのだ。

 俺は瀬那とのコミュニケーションをあまり取っていなかったことに、この時点でようやく気付いてしまった。



「ごめん。瀬那が辛い思いをしていることに気付いてやれなかったな……」



 声を掛けると瀬那は駆け寄ってきて、俺に抱きつきながら嗚咽を漏らした。

 無力な俺は瀬那が泣き止むまで頭を撫でることしか出来なかった。

 それから少しすると泣き疲れたのか、瀬那はスースーと寝息を立て始めたので、俺の布団に寝かせる。


 ちなみに黒衣は凛音と同じ部屋で寝ている。

 さすがに若い男女が同じ部屋で寝るのは、鞠さんが許さなかったのだ。

 もし、黒衣がこの光景を見ていたら、止めることは無かったと思うが、頬っぺたをパンパンに膨らませていたことだろう。


 俺はその姿を想像してくすりと笑うと、そのまま床に横になって眠りに着いたのだった。




 ―




 翌日布団の中で目を覚ますと、俺の隣に瀬那が座って頭を撫でていた。



「おはよ、瀬那。って、あれ? なんで布団で寝てるんだ?」


『おはよ。私がお布団まで運んだのよ。――全くバカなんだから。私は幽霊なんだから、別に床でも問題なかったのに……』


「いや、女の子を床に寝かせて、俺が布団でヌクヌク出来るわけないだろ」



 瀬那は優しい目をしながら「ふふっ」と笑みを零して、俺が起きてからも頭を撫で続けている。

 俺はなぜ頭を撫でているのか尋ねたら、『撫でたいからよ?』と言われてしまった。

 さすがに気まずくなりどこうとすると、残念そうな顔をするので、諦めてそのままボーッとすることにする。

 すると「また昨日も迷惑掛けちゃったわね」と瀬那が悲しそうな声で呟く。



「迷惑なんて思ってないから。俺たちは仲間だろ? 仲間を救う方法があるなら、それに対して全力で取り組むのは当たり前のことだから。瀬那が俺の立場だったら絶対に頑張ってくれるだろ? そういうことなんだよ」



 俺は起き上がり、さっきと逆に瀬那の頭をワシャワシャと撫で回す。



『もう、髪の毛が乱れるでしょ』と言いながらも、ちょっと嬉しそうに頬を染めながら、頭に置かれた俺の手を両手で抑える。

 そして、『うん。そうかもね……』と独り言のように呟くと、気持ちの良い笑顔になって『今日も頑張ろうね』と声を掛けてきた。




 ―




 その日の朝食を食べ終わったあと、俺と黒衣は怪の国にある無垢砂鉄を日国に運ぶ作業を開始した。

 方法はシンプルで、黒衣が詰めて俺が運ぶというのをひたすら繰り返している。

 霊扉の奥では、村に入って最初に話し掛けてくれたたたら師のおっちゃんが、無垢砂鉄を運んでくれていた。


 しかし、途中でおっちゃんが疲れてダウンしてしまったので、俺が日国にある無垢砂鉄を保管する場所まで運ぶことになった。

 10kgの砂鉄を抱えて何往復もするのだから、普通の人間には流石にキツいだろう。

 俺と黒衣は夕方まで作業をして、必要な量の1/3は運ぶことができた。


 コツを掴んだ俺たちは、2日目も何事もなく終わらせることができて、いよいよ最終日の朝を迎えた。

 予定では恐らくお昼くらいには完了することが出来るだろう。

 それを貞治さんに伝えたら、予備としてあと10トンあると嬉しいと言われたので、それも集める予定になっている。


 しかし、調子が良いことばかりではないのが、世の常というものである。

 作業をしていると黒衣が急に建物の外へ出たので後を追うと、驚愕した表情を浮かべて立っていた。



「詩庵様! 怪が来ます! 数は約10体ですが、その内の1体は恐らく2等級の上位になるかと思います」


「マジか! どうする、一度日国へ戻るか?」


「いえ、ここで逃げてしまうと、この村の防御が強固になり、もはや無垢砂鉄を回収することができなくなるでしょう」


「――分かった。じゃあ、村の外まで出向いてそこで戦おう。死角が多い村の中よりは良いだろうからな」


「そうですね。敵は相当強いと思います。お気を付けてください」



 俺は凛音にコネクトを使用して、緊急事態のメッセージを送ると黒天を握りしめて村の外まで駆け抜けていった。

 すると、前方から土煙がどんどんと近付いてくるのが目に見えた。

 どうやら怪たちは地竜に跨って、この村まで来ているようだ。


 俺は黒天を中段で構えながら怪の到着を待っていると、一体の怪が隊から外れてこちらに飛び出してきた。



「貴様は何者だ! 我々の採取場を荒らすとは良い度胸だな。俺の刀の錆にしてくれるわ!」



 怪は地竜に乗ったまま、手に持った刀を振り下ろした。

 俺はその刀をなんとか交わして、下段から刀を振り上げるようにして地竜ごと怪を叩っ斬った。



『この怪は3等級相当でした。別格なのは隊の中心にいる、あの怪でございます』



 その怪の姿を見た俺は、完全に動揺をしてしまった。

 霊装を肉眼で見たことで、その怪の強さというのは理解することができた。

 しかし、そこに驚いたわけではない。

 怪の姿が完全に人間と同様だったのだ。

 日国でその怪とすれ違ったとしても、見た目だけで怪だと見抜ける自信が俺にはない。



「なかなかやるではないか、人間。それにしても、まさか人間がこんなところまで来ているとはな。貴様は一体何者なのだ?」



 話している姿まで完全に人間と一緒とはな。

 くそ。やりにくいったらないな……。

 何も反応性ずに黙っていると、怪は俺のことをつま先から頭の上までジロリと見て「くくっ」と喉を鳴らした。



「貴様なかなか強そうではないか。久しぶりに面白い戦いができそうだな。――おい、お前たちはここで待ってろ。俺がこいつを殺して魂を喰らってやる」



 周りにいる怪は「ははっ」と答えて、俺の周りを取り囲んだ。



「俺の名は破坐はざという。貴様はなんと言う名なんだ? お前の魂を美味く喰らうためにもお前のことを俺に教えろ」


「詩庵だよ。残念だが、お前は俺のことはもちろん、これから人間の魂を喰うことなんて出来ないぞ。――お前はここで消滅するんだからな」



 破坐はニヤリと笑いながら腰にぶら下げていた鞘から刀を抜くと、真っ赤な霊装を纏って揺らり揺らりと切っ先を動かしている。


 ――この怪強いな……。


 黒衣が言うには、2等級と一括りにしても強さには差があるのだという。

 というのも、昔の陰陽師たちが怪の等級を決めたときは、アプレイザルのような細かく数値化できるものがなかった。

 そのため、人間でいうレベルが60から80までの怪が2等級という感じで、言い方悪く言えばざっくりと等級が決められているらしいのだ。


 ちなみに、瀬那の仇だった2等級の怪のレベルが60くらいだとしたら、目の前にいる怪は確実の70以上はありそうだったということだった。

 しかも、この怪の佇まいを見る限り、恐らく剣術の心得がありそうだな。



「――怪も剣術なんてやるんだな」


「あぁ、これか。俺が人間だった頃の名残り……ってやつだな」


「人間だった頃の記憶が残っているのか?」


「いや、残ってはいないな。だが魂が覚えていたんだよ。――さて、話はもう辞めにして戦おうじゃないか、詩庵」



 そう口にした瞬間に、怪は俺の目の前に移動して刀を振り下ろしていた。


 ガキィィィン!



「防いだか。ではこれではどうだ!」



 初手の攻撃をなんとか防いだが、破坐はすぐさま刀を横凪に払って俺の胴を狙ってくる。

 これもなんとか黒天で受けることが出来たが、完全に後手に回ってしまった。

 俺はなんとか距離を開けようとして後方に飛ぶが、読んでいたのか怪が間合いをすぐに詰めてくる。



 ヤバイヤバイヤバイヤバイ……。

 このままじゃ、いつか良いのをくらってしまう。



 俺は怪の刀に意識を集中させていると、唐突に腹に衝撃が走って吹き飛ばされてしまった。



 け、蹴りだと!

 こいつ戦い方のバリエーションがありすぎるぞ……。



 モロに腹に蹴りを受けてしまった俺は、腹の底から熱いものが込み上げて来て、その場に吐いてしまった。



「お前の力はその程度なのか? さっきまでの威勢はどこにいった?」



 破坐はゆったりと俺の元へ歩み寄ってくる。

 怪はよほどがない限り、あっさりと人間を殺すことはない。

 何故ならば、人間の苦しみや悲しみ、怒りに塗れた魂であればあるほど、奴らにとってのご馳走となるからだ。


 そして、それは破坐も例外ではないようだった。

 そうでないなら、俺に出来た隙を見逃さずにすぐに殺していただろう。



「以前お前みたいな勝ち気な奴が、俺にそんな舐めた口を聞いた時があったんだ。後ろにはそいつの子供もいてな。必死になって子供のことを守ろうとしてるんだよ。だからな、俺は子供の目の前でそいつの腕や足を捥いでやったんだよ。それで最後にな、苦痛に歪む父親の顔を、子供の目の前に持っていって、ブチッと引っこ抜いてやったんだ。その時の親子の魂は本当に美味かったなぁ」



 その当時のことを思い出しているのか、破坐の顔が狂喜に歪んでいた。



「お前の魂はどんな味がするんだろうな? どうやったらもっと絶望するんだ? その刀を折ったりしたら悲しむのかなぁ?」



 破坐は「へぎゃぎゃぎゃぎゃ」と気味の悪い笑い声を上げながら、舌舐めずりをして俺のことを見下ろしている。



「ふっざけるんじゃねぇよ! これ以上テメェの好き勝手させるわけねぇだろうが!」


「急に何をイキリ始めてるんだよ? 雑魚がいくら吠えても怖くないから……な!」



 一瞬で間合いを詰めて刀を振り下ろしてきたが、この行動を読めていた俺は横に避けてそのまま胴を薙ぎ払おうとする。

 しかし、途中で刀を止めた破坐が、鵐目で俺の横っ面を殴りつけてきた。



「ぐはっ……」


『詩庵様! 大丈夫ですか!?』



 戦っている最中は滅多に話し掛けてこない黒衣が、居ても立っても居られないといった感じで大きな声を出した。



『まだ、なんとか大丈夫だ。だが、このままだとちょっとやばいかもな……』


『わ、私にもっと力があれば……』


『今はそんなことを言ってる場合じゃない、目の前の怪に集中しろ! 黒衣は全力で黒天に力を注いでくれ』


『は、はい!』



 破坐に殴られた箇所から血が滴り落ちてきて、ポトリポトリと地面を赤く染めていく。

 マジでどうにかしないとな……。


 しかし、突破口を見つけることが出来ずに、俺は破坐の攻撃から身を守るのに精一杯だった。

 恐らく殺ろうと思ったら、すぐに出来るのにあえてしていないのだろう。


 ――くそ、完全に遊ばれているじゃねぇか……。


 俺は自分にムカついて仕方がなかった。

 最近は連戦連勝で、正直俺はかなり強いものだと思い込んでしまっていた。

 これがその報いかよ。

 目の前にいる怪は俺よりも圧倒的に強かった。


 このままじゃマジで一矢も報いることなくやられちまう。

 その時だった、凛音からコネクトで通話が来たのだ。



『良かった。無事だった』


『どうした? 悪い、今怪と戦っててゆっくり話してる余裕がないんだ』


『わ、分かった。じゃあ用件だけ伝えるね。――黒天のもう一つの号が分かったよ』


『もう一つの号?』


『うん。黒天というのは、刀本来の号なんだけど、黒衣ちゃんが入って神器になったときにもう一つの号がつけられたの。――その号はね……』



 凛音から教えてもらった、号の名前を聞いて俺は直感をする。

 多分この号を口にすれば、俺にも滅怪たちがやっていたあれが出来るのではないかと。

 もちろん俺の勘違いかもしれないが、不思議と失敗する気が全然しないのだった。


 ニヤニヤと笑いながら、破坐は俺の方に歩いて向かっていたが、先ほどまでと違う空気を感じたのか警戒をして歩みを止めた。

 俺は再び黒天を中段に構えて、ゆっくりと息を吐いて滅怪が口にしていた言葉を発する。



「葬送神器――――黒死天斬こくしてんざん

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