スプリング・スプリング・スプリング #09

 共同制作のために富士山について調べたら山岳信仰というものを知った。

 日本の約七十五%が山と森でできていて、そんな身近な存在を神聖化して崇める対象にする。全然知らなかった。もっと広く見れば自然崇拝というものもある。今回は山の話。水源になる大切な山や命を奪う畏れられる火山、神様がいる山、人が死後に行く山などが対象になっていた。富士山にも神様がいる。富士山そのものを神様として崇拝されてもいる。さらに仏様もいる。思っていたより崇高だった。

 富士山の拝み方には、遠くから富士山を仰ぎ見る「遥拝」、山頂を目指す「登拝」、富士山にゆかりある場所を巡る「巡拝」の三つがある。八班の私たちは一種の遥拝をしたわけだ。神様を見たことになる。

 昔の人は大変な思いをしてまでも願いを叶えたかった。今だって安全なルートはあってもいつどこで落石や雪崩が起きるかわからないと思う。私たち三人は富士山に登ったことはない。ひので君も真生君も体力があるから登れそうだけど私が行ったら無傷では帰れなさそうだ。でも登ってみたい気もする。願いが叶うかは置いておいて日本一を登るのはいい経験になりそう。とりあえずしばらくは遥拝で我慢。

 私たちはテーマを「祈っている」に決めた。講堂か体育館での展示を希望してとりあえず制作過程報告書を提出した。するとまもなく職員室へ呼び出された。どれだけ大きな作品にする気だと先生に笑われた。残念だけど文化祭の展示は美術科の教室で行われるからそのサイズまでしか許されないらしかった。

「広重や北斎を超えてね」

 先生に楽しみにしていると言われた。私たちは妥協して少しずつ制作に取り掛かった。


 ある日、真生君が学校の近くに銭湯を発見した。参考になるだろうと銭湯の富士山を見に行くことになった。放課後の寄り道は学校で禁止されているので私はとってもどきどきしたのに二人とも何ともないような顔をしていた。悪い人たちだ。

 銭湯は学校の一駅先にあった。歩いて行ける距離だというのに迷ってしまった。歩き回って汗だくになる。春とは思えない暑さのせいで頭がぼーっとして三人とも地図を見ても自分たちがどこにいるのかわからない。ここが山だったら八班は壊滅だ。交番があって助かった。

 銭湯の暖簾をくぐれば二人とはしばしの別れ。いざ女湯へ。タオルだけは持ってきたので頭と体を洗うものは買うことにした。小さいシャンプーとリンスのセットを手に取る。体を洗うのはどうしようか迷ってると透明の箱に入ってるきれいな石鹸に目を奪われた。四角形のルビーに六角形のエメラルド、ブリリアントカットのアメジストが一つずつ並んでいる。

「きれい~」

 声が漏れると番台のおばちゃんが私を見て笑った。

「それ初めて見る?昔からあるやつなんだけどね、顔用だけど体も洗えるよ。そこらのドラッグストアより安くしてあるよ」

 こんなこと言うんだもん。一番お手頃な赤い石鹸を買ってしまった。思わぬ出費だ。お小遣いで石鹸を買うことになるとは。


 脱衣所にも浴室にも誰もいない。肝心の富士山もない。一枚の大きな富士山は男湯側に構えていた。女湯と男湯を分けるために真ん中にもちろん壁があるんだけどそれが邪魔だ。浴室をうろうろして富士山が見えやすい角度を見つけた。どうせなら近くで見たい。お願いして男湯に入れてもらえないかな。事前に取材の約束もらってたら違ったなぁ。

 富士山の観察は二人に任せてお湯を頭から被った。暑さに勝る熱さが気持ちいい。頭を洗ってお待ちかねの新品の石鹸を使う。真新しい物を使う時っていつも少しだけ慎重になる。箱から出した石鹸はスパイシーな華やかな香りがした。昔どこかで嗅いだことがある。親戚の家かもしれない。好みがわかれる匂いかも。泡立てるとふわっと香る。私はそのうち好きになれそう。

 体を洗って匂いが移ったようだ。腕から石鹸の香りがした。


 熱い湯舟に浸かって壁の絵を見る。同じ大きさで描きたい。でも教室には入らないだろうし半分?三分の二?それでも大きすぎる?何号?

 相変わらず女湯には私以外人はいなくて男湯のにぎやかさが際立つ。多分、ひので君と真生君がおじさんたちに話しかけられている。きっと近所の人が多いんだろうな。この時間に見慣れない若者がいるのが珍しいのかも。

 大きいお風呂は好きだけど一人で入るには限界があったみたい。のぼせる前に湯舟から出ようと右足を出す。次に左足を出せばすっ転んだ。体がひっくり返って思いっきりお尻を打った。人がいなくて助かった。一人なのにこんなに恥ずかしいんだから誰かに見られてたらおかしくなりそうだ。鏡でお尻を見たら真っ赤になっていた。


 男子たちはまだ出てこなそうなので脱衣所でコーヒー牛乳を飲んで時間を潰す。ドライヤーで髪をしっかり乾かしたかったけど有料だった。回ってる扇風機の前を陣取る。

 中学生から伸ばし始めた髪は胸まである。そろそろ小さい時みたいに短くしてもいいかな。梳かすのも乾かすのも大変だし男の子に間違えられることもないはずだ。髪を伸ばして女性的な印象を与えようとしても私のやんちゃさは消えなかった。ショートでもいわちゃんみたいにフェミニンな女性もいるんだから。髪だけではどうにもならないのだ。


 ようやく八班が揃った頃、私の髪はまだしっとりしていた。扇風機で涼んだ私と違って二人とも頬がほんのりと赤くなってる。ほかほかだ。ひので君の髪から水滴がぽたっと落ちた。

「髪濡れてる!拭かないの?傷んじゃうよ」

「母ちゃんかよ」

 不機嫌な息子がいたもんだ。家でもこんな感じなのかな。

「風呂から上がったら女の子が待ってるよ~っておばちゃんが言うから俺たち急いで出てきたんだぞ。牛乳も飲まず」

「そうなんだ…」

「じいちゃんたちに兄ちゃんたち友達なの、どこの子なの、何歳なのって質問攻めされたしゆっくりできなかった」

「でも楽しかった」

 真生君は上機嫌だ。本当に楽しかったって顔してる。物静かな印象だけどこの子は意外とお喋りが好きなんだろうなぁ。湯上りってどんな表情をしても色っぽいなどと思ってしまった。

 帰り際、番頭のおばちゃんが割引券をくれた。次は女の子の友達も連れておいでって二枚も。クラスにも友達はいるのにいわちゃんを思い浮かべた。誘ったら来てくれるかな。お風呂に入ったほかほかないわちゃんが見れたりしないだろうか。ほんのちょっとだけまた熱くなった。

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