第14話

 月曜の朝練を始める前に先生から部員全員に連絡があった。ここ数日で体調不良を訴える運動部員が増えたので陸上部ではしばらくの間、休憩時間を増やして部活を早く終わらせることにするそうだ。

 さらに今週末に気温が上がる予報が出て土日の練習はなくなった。先輩たちも驚いていた。今年の夏は危ないらしい。

 私の体調に変化はなくてむしろとっても元気だったから帰ってからも走った。週末に何をしようか。何をしたいか考えながら近所を走っていた。


 水曜日。帰りの電車で長山さんに両親の結婚記念日のことを話した。それから改めて入学式の写真のお礼を伝える。

「写真そんなに喜んでくれたんだ!お兄さんかわいいね!」

「えぇ?かわいい?」

「家族のこと大好きなんだもん。かわいいよ。一人暮らししても家族のこと気にかけるのは偉いと思うな。お兄さんに反抗期あった?」

「なかったんじゃないかな。親もうるさく言わないし朋律もしっかりしてるし。長山さんは?」

「絶賛反抗中だよ」

「本当?意外だね…」

 この路線で一番大きい駅に着くと人がたくさん乗ってきた。私たちは学校の最寄り駅から座れていたのでラッキーだった。

「あたし、甘えん坊に見えるでしょ?実際そうなんだけどね。何歳になっても構ってもらいたいんだもん。もちろん構ってもらいたい時だけね」

 飼っていた猫を思い出す。よく猫じゃらしをくわえて目の前をうろうろする子だった。私から相手をするとキャットタワーの一番上へ行ってしまうこともあった。

「うちね、叔父と叔母が多いの。父方に五人、母方は四人いる 」

「そのうち二人が入学式に来た人?」

「そうそう。両家にとって私は初孫だったから祖父母だけじゃなくて叔父も叔母もみーんなかわいがってくれたんだ。週末は私を奪い合ってたんだって」

 想像がつく。人懐こいし危なっかしいし目を離せないかわいい子供だったはずだ。

「でも今は結婚して子供いる人もいて、あたしはもう一番じゃなくなったの。あたしが構う側になった。みんな変わらず優しくしてくれるし、イトコたちもかわいいから文句なんて言えない」

 冷房の風が長山さんの前髪を揺らす。

「だから内心、拗ねてる」

 話し方や髪型は幼さを際立たせるのに長山さんの声は少し低めで不思議だ。

 もう子供じゃないから抑えられる。でも抑えなきゃいけない気持ちを持ち続けてる子供でもある。大人になれないと長山さんは言った。それでは駄目なのだろうか。

「私が、長山さんを構ってもいい?」

「え?」

 不思議と勇気がぽつぽつ湧いてくる。

「今週末、珍しく部活が休みなんだけどどこか遊びに行かない?」

 貴重な週末をどう使うか私は考えていた。自主練するか、ずっと寝てるか。珍しく勉強してみてもいい。何か価値のあることをしたかった。

「予定空いてない、かな?」

「行く!暇!暇!暇!暇!嬉しい!」

 力が抜けてほっとした。自然と口がゆるむ。

「どこ行こうか!?いわちゃんは行きたいところある!?」

「行きたいところ…」

 何も考えず誘ってしまった。映画?遊園地?服でも見に行く?正直、長山さんと遊べればどこでもいい。長山さんが楽しめる場所であれば──

「び、美術館、とか…?」

 私の思いつきに長山さんは驚いて喜んだ。

「本当!?いわちゃんから言ってくれるとは思わなかった!行きたい展覧会があるの!?どこかな!?」

「具体的には考えてない…」

「そっか!じゃあ、これとかどう!?」

 長山さんがカバンからクリアファイルを出した。そこから一枚紙を抜いて私に見せる。

 美術館のチラシだった。池の絵と画家の名前が大きく印刷されていた。私でも知ってる有名な絵画とその作者だ。

「今やってる展覧会の中でも規模が大きくてね。近場だし、あたしもこのフライヤーの絵が好きで絶対見たいって思ってたの。どうかな?ここ行かない?」

 私はどこでもいいから美術館に行ってみたい。長山さんには行きたい美術館がある。ならそこへ行く他ないだろう。

「うん。ここにしよう」

「やったー!いっぱい美術館の空気吸おう!」

「空気?」

「落ち着くんだ。自然とは違った良さがあるよ」

「美術館そのものが好きなんだね」

「うん!大好き!」

 元気な返事だ。美術館は愛されてる。

「私でも楽しめるかな」

「いわちゃんは美術館を相当格式高い場所だと思ってるね?」

 その通りだった。私のような無知な人間にはハードルが高い。もったいなくも感じる。

「貴族のパーティーに行くんじゃないの!映画館で映画を見るのと同じだと思うけどなぁ」

 腕を組んで長山さんはあれこれ考え始めたようだ。

「でも、そうか。あたしも初めての美術館は緊張したかも。行ってみたいって少しでも思ってくれてるなら行くべきだけど、楽しめるかどうかはいわちゃん次第になるのかな…」

「私次第?」

 美術館に行ってみなきゃ楽しいかどうかわからない。当たり前だ。おもしろそうな映画を見に行ったらつまらなくて寝てしまったことも、その逆も経験がある。何より長山さんがいるんだから美術の知識がなくても無条件に楽しいと思う。

 黙ってそう考えていたら長山さんは私の手を突然きゅっと握った。

「ごめん。無責任なこと言った」

「え!?」

「美術館の中から好きを探すの。どれか一つでいい。出会えたら最高だよ。自分の部屋に一枚だけ飾るならどれがいいか考えながら見て回ったりしてもおもしろいよ。いわちゃんもきっと楽しめるはず」

 長山さんの説得は気迫がこもっていた。私はうなずく。

「うん。私もとりあえず美術館の空気吸ってみたい」

「いひひ!ありがとう!」

 まるで小さい子のように長山さんは喜ぶ。親戚の人たち、きっと長山さんが大切なの今も昔も変わらないと思う。長山家のこと何も知らないんだけど。

「楽しみだなぁ」

「絶対に楽しいから楽しみにしてて!」

 週末まであと二日。暑さに負けてらんない。

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