第4話 暗い恐怖と過去の声

アラクネの顔が凍る。

その感情の真意をシンは計り兼ねていた。だが、それはすぐに純粋な驚愕に基づくものだと理解した。問題はその原因である。

罪悪感?

後悔?

何度自分に問いかけてもその答えは計り兼ねるものであった。

「……………………」

「……………………」

沈黙ですら、ガラスで隔てた二人に優しくはなかった。

沈黙ですら、ガラスを隔てた二人に残酷ですらあった。

沈黙はやがて破られる。シンの方から。

「こういうことが起これば、俺が出て来る。それはお前も覚悟したのだろう。でも、ここに来るのは想定外だったのか?ユキ…………」

「…………うん」

「…………こうして話をするのはいつ以来だ?」

「……ハイスクールの卒業後以来よ」

「そうか。……楽しかったな。あのときは」

「…………そうね。私もそうだった」

「…………」

「…………」

部屋の窓から光が射す。

光は優しいが、沈黙を癒すには不十分だった。

「…………」

「…………」

「…………ごめん。私はこんな人間なの。失望したかしら?」

「…………しない。まだ俺はお前を信じたい」

「………………そういうの嫌いじゃないわ。でも今は空気読んでよ」

「…………俺は空気を読むことは下手でさ。最悪のタイミングで人のピンチに居合わせちまうな。昔の習慣のせいか?」

「ぶ、くく、ふふふ。何それ。意味分かんないわ」

少し。ほんの少しだけ、彼女は笑顔になった。その笑顔は何も変わらなかった。普通の女の子の顔。普通の笑顔。特別なところは何一つない。特別なのはこの状況であった。

監獄と忍び寄る死。沈黙を続けるかつての相棒。何もかもが不自然でいびつだった。

「なぜ、あの男に」

「誰に何をよ」

「知ってるだろ?」

「さあ」

「……『智慧のライオン』だ」

「……仕事」

「何?」

「仕事よ」

「……それはどんな仕事だ」

「証拠を抑える。それだけだった」

「それがなぜあんなドンパチ騒ぎに?」

「警察のあいつらの仲間がいた」

「……あいつら?」

「三人転がってたでしょ?」

「……ああ」

「私。嵌められたの」

「……依頼主は?信用できる奴だったのだろ?」

「……そうね。国よ」

「国?」

「レオハルト」

「……え?」

「レオハルトよ」

「……ありえない」

「でもレオハルト以外には少数の人間にしか知らせていない。私は……」

「その少数があの三人なのだろう?」

「でも彼らはエリート警官よ」

「レオハルトを疑うよりかはマシな連中だ」

「信じるのね。レオハルトを」

「……付き合いは長い。君程じゃないが」

「そう」

レオハルトは時に人を騙そうとする一面はある。しかしどれも、救うために味方をも欺くといった一面が強かった。

本来のレオハルトは『尊い犠牲』とか『勇敢な最期』といったものを死ぬほど嫌悪する人物であった。シンからみてもその様子は疑い様もない。一見すると非効率的な事をすることすら珍しくない。

そして、あのときの顔。

「アラクネは助からない」

そう言った時のレオハルトの表情。

暗く。いらだち。後悔する。そんな顔だ。人間の心は分からないものだ。嘘をついているや演技する可能性も否定できない。

それでも、彼は、彼の顔が暗かったことが忘れられなかった。

「……だめね。私。失敗しちゃった」

「……すまないな」

「…………無理よ。『ライオン』は『リセット・ソサエティ』は一枚上だったわ。貴方まで動かせるのだから」

「……俺は何も知らない。ただ」

「ただ?」

「本当のことを知りたかった。お前はテロをする人物ではないそれだけが分かってよかった」

「…………ありがとう」

「……いつものことだ。俺は――」

刑務官が時計を見る。

「時間だ。そろそろ面会を終了するぞ」

刑務官が前に出ようとする。

「まって」

「……?」

「シン。アオイに会って」

「アオイってあの蜘蛛女か?」

「そう。私が言うのもなんだけど」

「本当の意味で『アラクネ』なのはアイツだからな」

「とんだジョークね。……彼女に会って」

「……そうか」

「絶対よ」

「ああ」

そうして、ユキは留置場の闇に姿を消した。






昼間のビルの最上階。人気のない屋上の上に彼女はいた。

アオイ・ヤマノ。人間の姿をした人ならざる存在。彼女もまたSIAのメンバーであった。『今は』見た目でこそ人間となんら変わりない姿であった。

童顔の美女。腰まで長い髪。引き締まりながらも豊かな肉体。

その優しそうな顔立ちの美女は、戦闘能力も情報収集能力も優れたエージェントの一人であった。

彼女の後ろに黒い影が現れた。

シャドウ。

アラカワ・シンのもう一つの姿だ。鴉のマスクは鼻まで覆われている。黒い戦装束、プロテクター。特徴的な出で立ちで彼は現れた。

「予想通りの到着ね。こんなことは予想外だけど」

ノートパソコンを打ちながら、彼女は後ろの方を向く。

「……『アラクネ』の、昨日のハッカーの任務について聞きたい」

「……相方のピンチだって事は分かるね」

「ああ」

「……ツァーリンのお偉いさんと合流し敵の情報を得る。それだけだったけど。不審な事が多過ぎた。だから我々は……」

「あいつに依頼した」

「そうよ」

アオイは毅然とした様子で答える。

「両国の事件でもあり双方の警察の協力が必要だった。だから、出来るだけエリートの人物を呼び寄せた」

「だが、その警察側の協力者にスパイがいた。今回の仕事は」

「そう、ツァーリン側にいるテロリストを捕まえて大量破壊兵器のデータを確保する。それだけの任務のはずだった。でも両方の警察組織にそれぞれスパイが忍ばされていたのは想定外よ」

「うまいこと、みんな騙された訳か」

「そう、あの状況じゃあみんな彼女の方を敵だと思うわ」

「……彼女はどうなる?」

「ツァーリン国内で処刑される。テレビ中継までされて」

「どこで公開処刑を?」

「首都アリーグラード」

「なら止めないとな」

「…………」

「情報ありがとう。後は自力でなんとかする」

「待ちなさい」

「なんだ」

「優先すべき任務がある。データの捜索よ」

「……そっちでやってくれ。俺は『相棒』を救う必要がある」

「……これは命令よ」

「………………逆らうと言ったら?」

「止める」

「やれやれだ」

二人は相対する。互角の殺気が確かに放たれている。十数メートルの広さ。ビルの屋上。限定的な空間が凍えた空気に包まれる。外は、すこし汗ばむ暑さだと言うのに。

「あんたは『世界がかかった仕事』と『相棒』どっちが大事なのよ?」

「どっちも。邪魔するなら仕事仲間でも容赦しない」

「……しょうがないわね」

アオイが迫る。殺気が迫る。

五メートルの距離が一瞬で無くなる。

手刀。弾丸より速い。

シャドウがひらりと回避する。彼の居た地点のコンクリートは無惨にも砕かれた。

「……足を切断する気か?」

「そうでもしなきゃ止まらないでしょ?貴方は」

「そうだな。わかっているじゃないか」

近接戦闘の状態になった二人は零距離での応酬を繰り広げる事になった。

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