9:転がり続ける運命

 目が覚める、そして即座にカレンダーを確認する。

 赤い丸を付けられた日――今日。

 誘拐事件は別に特別難しいものではない、ただ、不安要素は極力排除していきたい。それが中村への協力要請、手が空いたら助っ人にくると言っていた。が、短い付き合いながら、

 ――彼は確実に来る。

 お守りみたいなものだろうが、人に頼ることに抵抗がある自分にとって気兼ねなく頼ろうと思える『変な人』、ジャック・オーグレーンに通ずるものがある。


「……朝ごはんを作ろう」


 強張った体をほぐしてベッドから静かに立ち上がる。

 冷蔵庫を確認して献立を考えてから米研ぎ、水道水の温度が季節を感じさせる。

 今日の朝食はベーコンエッグとお味噌汁、父さんが大好きな味が濃ゆいたくあんがあるから質素ながら普通の朝食。

 お米が炊きあがるまでに厚揚げの油抜きや豆腐を切ったり、出汁は鰹節。

 お味噌汁の芳しい香りが漂い扉が開く音が響く、体内時計的に七時ちょうど、このみが起きる時間帯だ。

 さて、炊飯器が先か、それともこのみが先か、どっちだろうか?


「おは「ぴーぽーぴー」あう……」

「うーん、今日は炊飯器くんが一枚上手だったな」


 このみが恨めしそうに炊飯器をデコピンしてムッとしている。

 石鹸で手を洗い備え付けてあるタオルで水気を取ってこのみの頭を撫でる。

 機嫌が治ったのか「えへへ」と顔を桜色に染めながら朝食の献立を聞いてきた。


「今日はベーコンエッグとお味噌汁だよ」

「お兄ちゃんのベーコンエッグ好き! 絶妙なカリカリ感が」

「ふふっ、じゃあ、お義母さんに朝の挨拶をしてから一緒に食べようか」


 

 父さんは店がランチタイムからのスタートということもあり、近所の農家さんからキャベツを調達してから仕事に入る。土日は家族との時間を大切にするために定休日、仕事人間の真逆の存在になれるのは素直に尊敬できる。

 このみと一緒に正座し、義理の母にお線香をあげて静かに手を合わせる。

 ……笑顔の写真が更に笑みが増しているように見えた。


「仏壇の果物が古くなってきたね、新しいのを買って古いのは今日のデザートにしようか」

「えっと……お仏壇の果物って食べていいの……?」

「こういうのは一緒に食べるって意味もあるんだ。一人で食べると寂しいからね」

「お母さんと一緒に食べる……そうだね……」


 フラッシュバック、何度も繰り返している存在にとって仏壇と顔を合わせることは多い。それが……一人じゃないのが……。

 そうだな、人間って死ぬってことが最大の「謎」の恐怖を覚える。死ぬことを繰り返している存在にとって死はRPGのセーブデータを消して新しいキャラクターを作ってプレイするようなものだ。

 だからこそ、ゲームじゃない現実になれば冷たい顔を撫でる……それは……。

 ――寂しい。

 身勝手なことだが、このループが終わるのなら誰よりも先に骨になりたい。



 放課後、いつものようにこのみ、さくら、結衣との下校。

 緊張感を気取られないように静かに歩くが、どうにも協力者を立てたという変化に少しだけ、いや、大きく期待と不安が入り混じって困惑に近い感情が巡る。


「明広? どうしたのよ……暗い顔より暗い顔してる……」

「あ、いや……卵のストックあったかなって! 親子丼を作ろうと思っててさ」

「卵のことだけでそんな顔になるんだったら、それ以外のことだと死んじゃうじゃないの? 男の子なんだからシャキッとしなさい!」

「そうだ――」


 川沿いに建設されたアパートの一室、そこに反射する光――CDやDVDなんかのカラス避けじゃない。確実に!

 炸裂音は響かない、だが、確実に引き金を引いた。

 咄嗟に結衣を押しのけて凶弾を回避する。

 地面に着弾する銅と鉛の塊、視線をもう一度だけ光の方向に向ける。ボルトアクションじゃなくセミオート……!


「みんな逃げッ!?」


 左足に響く鈍痛、支えを失ってその場に崩れるように倒れる。

 ……小学生の細足なんて引きちぎるか……!


「明広!」

「逃げろ! はやく――」


 凶弾に踊る少女達。

 鮮血で彩る夕焼け、薄れていく意識の中で這い進む。


「嘘だろ……誘拐の筈じゃ……」


 このみの亡骸を抱き寄せる。

 ぐちゃぐちゃだ。


「くそぉ!!」


 世界は黒に染まる。



 ……白と黒が交わる世界。

 また……代わってもらったのか……。

 視線を上げると煙草を咥えて紫煙をくぐらせているもう一人の自分。


「……また変化した」

「……そう、ですね」

「私の世界線との違いが顕著に出たな、共通点はあるが……より理不尽な部分も目立つ……」

「答え合わせみたいに言わないでください! 俺は――」

「全力とでも言いたいのか? 違うだろ……君は何度も繰り返した過程で全部理解している筈だ……」


 理解? ああ、そうだった……相沢明広という存在は理不尽に立ち向かう存在、だからこそ、理不尽を事前に察知し、それの打開策を誰よりも早く打ち立てる。

 ――それができないなら見殺しにするしかない。

 地面を何度も殴りつけ慟哭。


「……その気持ちはわかる。だが、運命を捻じ曲げるならそれ相応の覚悟は必要、それができないなら新しい自分に擦り付けるしかない」

「……俺は、俺は!」

「慣れないのはわかる。私もそうだった……」

「……貴方だったらどうしてました?」


 もう一人の自分が静かに考えて煙草を地面に落とした。黒に吸収され、煙も消えていく。


「多分、同じ結果だろう……咄嗟の決断が出来たとしても……」

「――貴方は俺よりずっと繰り返してるでしょ!!」

「繰り返したとしても……知らないことは適応できないのが人間だ……」

「――それだったら! またみごろ――ッ!?」


 殴り飛ばされる。

 痛みは存在せず、ただ、彼との距離が遠くなるだけ……。


「何度も見殺しにしてきただろ! いい加減になれろ!!」

「慣れるわけないだろ! 目の前で人が死んだんだぞ!!」

「なら……慣れるまで見殺しにしろ……」

「そんなの……できるわけ……」

「……それが出来るようになったら私と同じさ」

「ッ!?」


 その言葉で自暴自棄だった自分の心が凍った。

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