13:日本語は難しい 【挿絵あり】

 アリスが転校してきてまだまだ週すら跨いでいない。何度も繰り返してはいるが他の人に何かを教えるという行為は本当に難しい。勉強というものがどれだけ簡単で小さい努力で解決できるものなのかを再確認させる。


「オバサンゴザイマス!」

「どうしておばさんが商品化されてるんだ」

「オジサンゴザイマス!」

「おじさんまで商品になってるよー」


 日本語は世界で一番難しい言語と言われている。世界のランキングだとアフリカの部族が使う言葉の方が難しいと紹介されているが、大国の言語としては世界一位だろう。そんな難しい言語を使ってて誇らしい、なんて思うわけもない。

 日本語は日本以外では通用しない言語、標準語は英語、英語と言うがイギリス英語ではなくアメリカ英語が基本だ。英語を使う国は多く、その地域独特の訛りがある。もう、それは英語と呼べるものなのだろうか? ある意味では地域英語はその国の新しい言語なのではないかと評論家ぶる今日。


『日本語難しいよぉ……』

『日本で母国語を使っても大使館くらいしか取り合ってくれないよ。英語でもバス以外の公共機関でしか使えないんだから』

『スウェーデンが世界征服したらいいのに……』

『怖いこと言うね……』


 その後は何度もおはようございますの練習をするのだが、なぜだか新商品が大量発注。名前からして倉庫で永遠に眠る在庫だな……。


「オハヨウゴゼイマス!」

「なんか悪役っぽい挨拶だけどギリギリセーフで」

「おはよー……って、相沢早いわね。あ、アリスちゃん! へい!」

「オハヨウゴゼイマス! ユイ」


 悪人のようなおはようございますに固まる結衣、おはようございますと言っていることはわかっている。だが、ゴゼイマスの部分に違和感を持ったみたいだ。

 あれ、なんで俺を睨みつけるの?


「外国の人に間違った日本語を教えるなんて……最低!」

「いや、違うから!?」

『アキヒロ? どうしてユイ怒ってるの……』

『貧血なんでしょ』


 息を切らしたさくらも登校してきて第一声は置いていかないでよ、こいつアリスに会いたくて早めに学校に来たな……。

 憐れむような目で見つめてやると鋭い拳が腹に向かって飛んでくる。


「ゴハッ!? ……暴力反対、ラブアンドピース」

「女の子をバカにしたら鉄拳制裁、OK?」

「ポンポン痛いでち……」

「ふふっ、相沢くん……変わったね……」


 呼吸が整ったさくらが最初に言った言葉。クールを演じていた俺が普通の男の子のように冗談交じりで会話することを示す。

 そうだな、今ではいじめられることもない。演じることをやめる時期。

 ゲームの相沢大先生はクールな性格というわけではない。どちらかと言えば社交的で誰からも信頼されるような明るい人物だ。俺も彼になってから長い……違うな、彼を演じてから長い。もうそろそろ……。


「そうかな? いつもと同じだよ」


 確かに俺は彼を演じてきた。でも、彼はもう俺を眺める存在ではない。俺は彼を欲しているが、彼は俺を捨てて消えてしまった……。

 それじゃあ、相沢明広とは誰だ? 確かに彼は相沢明広だ。でも、彼はもういない。今の相沢明広は俺だ。

 オリジナル本物が居ないのであれば、レプリカ偽物がオリジナルの猿真似をする理由がない。

 ――自分らしく自分になる。

 それが嫌なら戻ってくるさ、相沢大先生が。


「さーて、次はこんにちはを教えないと。挨拶は大切、古事記に書かれてある」

「それ古事記じゃなくて道徳の教科書だと思うんだけど……」

「そうか? ……それもそうか、挨拶は道徳だな」


 道徳……ただのエロゲプレイヤーだった。えっちなゲームをすることに何も罪はない。親兄妹に見られたら若干の痛い子として見られるくらいだろう。でも、俺はこの場所にいる子達、ゲームの世界のこの子達を非合法な薬物や洗脳という形で人間以下の存在に落とした。

 それは……俺が倒すべき敵と同じじゃないか……?

 ――俺は加害者プレイヤーじゃないか!?


「うっ……おえっ……!」

「ちょ!? 相沢!!」

『アキヒロどうしたの!?』

「救急車! 相沢くん顔色が!!」


 どうにか呼吸を整えてミキサーでかき混ぜられるような頭痛を掻き消していく。俺は悪くない。俺は正常。俺は加害者じゃない。

 どうにか正常な精神を取り戻して静かに立ち上がる。


「大丈夫。俺は正常だよ……」


 顔を洗ってくると言ってトイレに向かう。

 懺悔の意識、これは俺にしかない感情。相沢大先生はこの感情を持っていない。

 だから俺を後継者に選んだ。

 被害者でありながら加害者、そこまで織り込んだ。

 西暦と同い年、2000年と今の年齢の十歳を足し合わせたら俺はキリスト様とほぼ同い年になる。長い年月、または短い年月、それは……善悪という曖昧な定義を正しく理解するのに十分。


「嫌になってくる。俺は誰なんだろうな」


 トイレの蛇口をひねり大量の水で顔を洗う。鏡に映る自分の姿、それは正しく自分。俺のことを知る人間なら全員が相沢明広と答える。

 静かに背後を確認する。

 誰もいない。



コンバットニャンコ猫と和解せよ!」

「うっわ、撲滅する猫って……人類絶滅しそう……」


 おはようございますの次はこんにちは、でも彼女の日本語力は日本人の英語力以上に低いらしい。何やかんやで日本で定着した英単語が沢山ある。アリスにはそれすらないと言うわけだ。


コミュニストワンコ同志ワン!」

「共産主義者の犬って……冷戦じゃないんだから……」


 お昼休みになってからも日本語セミナーは続く。

 挨拶を教えるだけでここまでツッコミを入れられる存在は珍しい。この子に日本語を教える時は本当に退屈が無くなる。中学に入学する頃は不思議な解釈をした日本語を使いこなすのだ。いやはや子供の学習能力は恐ろしい。


「あの、お兄ちゃんいますか?」

「ん? ああ、このみちゃん。どうしたのー」


 一クラス下の妹が会いに来てくれた。忘れ物でもしたのだろうか? 教科書類は学年が違うから貸せないが、消しゴムや鉛筆くらいなら貸せる。


「えっと……お兄ちゃんの顔を見たくて、えへへ」

「おお、マイラブリーシスター……お兄ちゃんは嬉しいゾイ……」


 歓喜のあまり人目なんて気にしないで頭を撫でてやる。すると恥ずかしいよと言うが飼い猫のように目を細めて撫でられることを受け入れてくれる。いやはや、人間に必要なのは可愛らしい妹だ! 可愛らしい妹さえ存在すれば戦争なんて無くなる!!


「……うちの兄貴より重症ね」

「……お兄ちゃんがいたらあんな感じなのかな?」

「気持ち悪いだけよ」


 マイラブリーシスターはお兄ちゃん成分補給完了と言って足早に逃げていく。この場合、俺のほうがこのみ成分不足で酸欠になりそうだ。小学生って留年できるのかな? 留年していいよね、来年からこのみと一緒の教室で勉強するんだ。そうさ、俺はお兄ちゃんだけど義理だから妹とラブラブになっても許される。なんなら結婚さえ許される。世界は物凄く不条理だけど、これから二十年間、結婚生活となれば十二年間も楽しめる! ああ、そうだ。この人生はこのみと結婚しよう。そうしよう。俺は相沢代先生になったんだ。相沢大先生の意思を継ぐことに固執するのはもうやめよう。そうだね、そう、俺はこのみと死を分かつ時まで常に好き合うのだ。許してくれるよね大先生? 俺だって好きな子と添い遂げたいっていう乙女心もあるからさ!


「「気持ち悪い……」」

『叔父さんがサウナ入ってる時みたいな顔してるー』

「……悲しいかな人目」


 妹を愛でるだけでここまで冷たい視線を向けられるとは、日本はやっぱり兄妹愛に冷たい。俺はマイシスターを一人の女性として愛しただけなのに、酷い。


「こんにちは」

コンスタントニッシンお湯を入れて三分!」

「絶えず続く日清……カップ麺ばっかり食べると健康に悪いぞ……」


 どうやって日本語をマスターしたのかゲシュタルト崩壊しそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る