第82話 敵情視察?




 遠ざかっていく船を見送って、しばしの間。

 俺は、誰もいなくなり静かになった港で、寄せては返す波音を聞きながら目を閉じていた。


 ついに行ってしまった。

 自らお願いしたこととはいえ、飛べばすぐに会える距離とはいえ、テンマへ来て彼女を召喚して以来、長く離れることになるのは、はじめてのことだ。


まるでぽっかりと自分に大きな穴が開いたような、そんな感覚だった。

そしてその穴の内側を漂うこのもやもやはたぶん、喪失感だ。


いつのまにか彼女の存在は、俺の中で大きなものになっていたらしい。それはたぶん、他の英霊たちに比べても特別なものとして。


 そういえば、王都を去ったときもこんな感覚になったっけ。テンマに来るや、魔物に襲われてそれどころではなかったが、感傷的な気分だった。

 今度は見送る側だが。



「ディルック」


 俺が変わらず海の先に目をやっていると、後ろから声がかかる。

 振り見れば、そこにはナターシャがいた。


 長い髪を海風になびかせながら、浜辺を不安定な足取りで歩いてくる。


「来たんだな、結局」

「うん。敵情視察」


……敵? 俺がよく理解できず怪訝な顔をしていると、彼女は切り替える。


「随分長く見送ってた。船、もう見えない」

「……見てたのかよ」

「だって、声かけづらい雰囲気だった」


 ……たしかに、海を見て黄昏れている人間には、声をかけづらいかもしれない。

 俺が少し反省していたら、


「ねぇディル。あの子と私、どっちが大事」


 いきなり、とんでも発言が飛び出てきた。


「な、なにを言ってるんだよ」

「? 最初からそう。そもそも私は、あなたを貰いに来た。でも、あなたはあの子のこと、とても大切そうだから」


 ナターシャはまっすぐ怜悧な瞳をこちらへと向ける。

 はぐらかすことはできなさそうだった。というか、こうまっすぐに聞かれたら、それをしたくない思いもある。


 ただだからといって、難しい問だ。

 どちらも大切なことには違いない。けれど、それに優劣をつけるのは、とても難しい。

 

答えらしきものが、まったくないわけじゃなかった。

でもそれは、口にできるほど確かなものではない。


 少し先に変わっていても、おかしなものじゃない。

 俺がなにも口にできずにいたら、


「今の質問、なし。やっぱり今は答えを聞かない」


ナターシャが質問を撤回する。


「…………悪い」

「全然いい。私にとってはむしろ、そのほうがよさそうだから。今からが勝負」


彼女はそう言うと、踵を返して、先々と歩き出す。

俺はまたしても彼女の発言の意味をつかみ切れず、その後ろ姿を見送って少し、早足で彼女に追いつく。


「黄昏れてなくていいの?」

「おいおい。あんまり言ってくれるなよ。まぁなんだ、シンディーを行かせたのは俺だから。いつまでも、こうしちゃいられないだろ」

「……そう」


 いつまでも、感傷に浸っていてもなにも生まれない。

 シンディーが頑張っているなら俺の方だって、頑張らなくてはならない。


 やるべきことは、山ほど残っているのだ。


「それで、まずはなにをするの」

「そうだなぁ……。とりあえず、朝ごはん? 今朝はばたばたして、取ってないし」

「……うん。分かった。じゃあ作る」

「え」

「え、じゃない。本気。まずは胃袋もらう。それからそのあとは家事をやる」

「……まじか」

「大まじ」



 ……結果、胃袋は貰われるどころか、潰されかけた。

 ありえないくらい砂糖漬けにされてしなしな、べたべたのパンと、これまた変に甘いお肉の煮込み。


それでもどうにか【調味料生成】で味を調えながら食べ終えて、すぐに行動へと出た。




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