3 デジャヴ
そんなささやかな幸せは続いてはいたけれど、年が明けて、春になって美羽も俺と同じさくら川高校に進学してきたのと同時に、お約束通りに俺の受験生ライフが始まった。
学校帰りにふらっと大手予備校に通える都会の受験生に負けるものかと、俺は必死で勉強した。
美羽は隣家の幼馴染の裕香がよく面倒を見てくれた。
裕香は俺と幼馴染なら当然妹の美羽とも幼馴染だ。学校ではまるで姉妹だと噂された。さらには例の愛菜までもが美羽に親切なちょっかいを出して、かわいがっていた。
そして美羽はいつの間にか、愛菜の文芸部に入っていた。
そして一年後、俺は東京に近い方の隣の県の国立大学に合格した。
自分の県ではなく、少しでも難易度の高い大学に挑戦したかったし、ちょっとでも東京に近づきたかった。
当然のことながら自宅通学は無理なので、俺は親元を離れて安いアパートでの一人暮らしが始まった。
親元離れてと言っても、自宅の最寄り駅から大学の最寄り駅までぜいたくに新幹線を使っていちばん乗り継ぎがスムーズにいって一時間半、在来線だけで来ても二時間ちょっとで着いてしまう。
もっとも家から最寄り駅までバスで三十分、大学の最寄り駅から大学までもバスで十分かかるので、それぞれ待ち時間も含めれば所要時間はアップしてしまうが。
アパートは、大学のそばに見つけることができた。
歩くとちょっとあるしバスに乗るのも面倒なので、俺は引っ越し荷物の中に自転車を入れておいた。
ここは田舎ではなく一応政令指定都市なのだが、実に落ち着いた町だ。
いい意味でちっとも都会を感じさせない。
俺の実家の町と同じような二階建ての民家が立ち並ぶ。違うのは、空き地や畑とかがその間になく、ぎっしりと家が立ち並んでいることだ。
そしてどの方角を見ても、山がないのも新鮮だった。
大学はとにかく広い。
まるで大学だけで一つの町のようだ。
明らかに周りの住宅街とは空気が違うエリアに、適当な間隔を保ちながら校舎が建っている。
そしてキャンパス内に車道があって車が走り、横断歩道とかもあったりするのだ。
緑の樹木も多い。
最初はとにかく迷子にならないようにということに必死だった。
高校と違って、自分の教室というものがない。
学校に着いたらその日の最初の授業の教室に直行し、終わったら、次の教室を探さないといけない。
どの授業も週一がほとんどなのでなかなか覚えられず、毎回探していたのだ。
履修説明会で何人か顔見知りもできたし、ともに行動する仲間も少しずつできつつはあった。
だが、高校と違って、そのメンバーでいつも同じ授業を受けるわけではない。
さらには、同じ新入生の仲間が同じ年ではないというのも不思議だった。浪人して入ってきた人、中には二浪、三浪で入ってきた人もいる。そういった人達でも年は上だが同級生で、ため口をきいていいことにも違和感があった。
とにかく何から何まで高校と違いすぎて、俺は面食らっていた。本当に右も左もわからないという状況だ。
こうして新緑の季節を迎えつつあった。
あれほど激しかったサークルの新入生勧誘イベントもひと段落ついてきているし、大学でも帰宅部でいいやと思っていた俺はそれらを何とかかわしているうちに、ゴールデンウイークの足音も聞こえるようになってきていた。
この日、俺は寝坊した。
なにしろ起こしてくれる人がいないのである。
俺はすごい勢いで自転車を飛ばし、自転車置き場から最初の授業の校舎に向かって、キャンパスの中の道路を疾走していた。
俺の所属する教養学部の建物は、駐輪場からは割と近い。周りは平然と歩いている学生も多かった。授業に遅れるからと言って疾走するのは、もしかしたら新入生だけなのかもしれない。
そして教養学部の校舎の入り口で、俺の全身にものすごい衝撃がぶつかってきた。
といっても硬い何かがぶつかって来たのではなく、むしろそれは柔らかかった。
俺は仰向けに倒れた。曲がり角からすごい勢いで飛び出してきて俺とぶつかった相手も、小さな悲鳴を上げて倒れている。
「いてえ」
俺は何とか立ち上がると、向こうは俺よりも先に立ち上がっていた。
「ごめんなさい。けがはないですか?」
見ると、女の子だ。小柄だがけっこうかわいい。
「いや、大丈夫です」
「ああ、よかった」
女の子はにっこりと笑った。
その笑顔を見た時、俺の心の中に鐘が打ち鳴らされた。既視感半端なかった。いわゆるデジャヴというやつだ。
でも、どう見ても初対面の人である。それなのに、沸き上がる懐かしさに俺は戸惑っていた。
「チャコ……」
俺は思わずつぶやいていた。どうしてそんな名前を言ってしまったのか自分でもわからない。
俺の知り合いに、そんなニックネームの子は今も過去にもいないはずだ。
ところがそんな戸惑いよりもさらに衝撃的だったのは、その女の子の驚いた顔だった。
「なんで、私の名前を知ってるんですか?」
「へ?」
もしかして、いきなり当てちゃったってこと? しかも、何の脈絡もなく口をついて出た全く覚えのない名前なのに……?
「私、教養学部一年の朝倉由紀乃ですけど、高校時代にはチャコって呼ばれてました」
「え? 高校、どこ?」
もしかして同じ高校で、それで懐かしさを感じたのかなと思ったのだ。でも、その懐かしさは決して見覚えがあるというレベルには達していない。やはりどう見ても初対面だ。
「あ、柏木南高校、県内です」
「ああ、じゃあ違うなあ。俺、栃木県だから」
やっぱ気のせいか……。同じ教養学部の同じ一年生だから、どこかで顔を見ていたのかも……。
でもなんで咄嗟にその名前を……?
不思議な気持ちは彼女も共有しているようだった。
「あ、授業!」
突然俺は思い出して叫んだ。
「あ、私も!」
聞くと、同じ語学の授業だ。
俺たち二人はともに同じ方向へと走り出した。
《「地の巻」おわり》
(「
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