6 カルマの付け替え
翌日も午前中はそのままベッドに横になっていた。
そして、昼前になってだいぶ回復してきたので、まだ少しふらふらするけれど学校へ行くことにした。
授業はどうでもいいけど、文化祭はもう目の前だ。その準備のため休んでいるわけにはいかない。
登校した俺はまずは職員室に行った。遅刻届を書くためだ。
見回して、担任がいれば担任のところに行く。授業中とかで不在ならとりあえず居合わせた先生に遅刻届をその場で書いて提出して、印をもらうことになっている。
すると、机の列の向こうに担任の青木先生の姿は見えた。
俺は足を引きずるように青木先生のところに行った。
「おお、どうした? なんか気分が悪そうだから休ませるってお父さんから連絡があったけど」
親父は俺がまだ寝ている間に、そう連絡をしておいてくれたらしい。
「はい、体中が動かなくて寝込んでました」
「風邪? ……とはちょっと違うか……」
「はい、風邪じゃないです。でもすごく苦しくて、死ぬかと思いました。頭が朦朧として」
「なんか思い当たることは?」
「あのう、ここじゃちょっと」
俺は声を落としていった。
授業中で多くの先生が出払っているとはいえ、やはりこの時間に授業がない先生たちもいて、会話は筒抜けになってしまう。
青木先生は黙って、職員室の隣接する面談室を顔で示した。
よく問題を起こした生徒が先生に尋問されることに使われる部屋なので「取調室」なんて言ってるやつもいるけど、生徒の方から先生に相談を持ち掛けた時にも使われるらしい。
でも中は狭く、たしかに警察の取り調べ室のようだった。
中で向かい合って座ると俺は、さっそく昨日の行き倒れの女性を目撃したところからすべてを話した。
先生はすごく何かを納得したようにうなずいていた。
「そうか。で、初めてその女性が倒れていると知ったときに、最初に咄嗟にひらめいたことは?」
「はい、正直に言うと、とりあえず今回はスルーしようと思ったんです」
「でも、その内面の声には従わなかった。あとから、でも、だって、しかしとじわじわと湧いてきた考えに従ったんだな」
「はい、それで遠くから回復魔法を、パワーの玉として投げました」
「そのあと、女性は回復したんだね」
「はい。救急車が来たときはもう立っていて、自分で歩いて救急車に乗っていきました。やはりあのパワーはすごいんですね」
「いや、すごいんですねじゃなくって、問題はそこなんだよ」
先生はいつものニコニコ顔だけれども、かなりの割合で厳しい表情が入っていた。
「いいかい。君は最初にひらめいた内なる声に従わなかった。まず、人が行動するに当たって、いちばん最初に一瞬にひらめいた声に素直に従うこと、これが人生開運のコツなんだよ。それこそが高次元からのメッセージなんだ。そのあとの『でも』『だって』『しかし』とじわじわと湧いてくる思いは、たいてい邪神の魔語、邪霊の操りなんだな」
「回復魔法をかけることが、邪神の魔語?」
「回復魔法自体は悪いことじゃないけれど、君はその縁もゆかりもない見ず知らずの女性に、本人が認識していないところでヒーリングパワーを送って癒してしまった。そこがまずいんだ」
「え? なんでですか?」
どうも納得がいかない。
「いきなりは難しいよね」
先生はやっとまたもとのように笑った。
「このヒーリングパワーは相手が自覚していること、さらにいえば相手から頼まれたときだけに使うべきものなんだ」
「そうなんですか」
「前に、世の中のすべてのものが一斉必然にして偶然なしと言ったよね」
「はい」
「その女性がそこで倒れたのも、偶然ではない。その女性が今世か前世かの罪穢があって、倒れたのはその清算、クリーニングのための現象だったんだ。これをカルマっていうんだけど、女性はカルマの浄化のためにそこで倒れて何日か苦しんで寝込む、あるいは場合によっては命を落とすという宿命だった。それでカルマが清算されてきれいな魂になるはずだった。でも、君が本人に無断で勝手にヒーリングしたことによって、そのクリーニングの仕組みが邪魔されたことになる」
俺ははっとした。寒気が全身を襲った。そんなシステムがあるなんて、知らなかった。
「君の行動の動機は正義感だっただろう? でも強すぎる正義感はかえって罪を積んでしまうこともある。仏教ではそれを『小乗の善』っていうんだけどね、そうなると、その女性が清算するはずだったカルマは清算されなかったわけだから、その清算されなかったカルマは邪魔をした君に付け替えられたんだよ。君が肩代わりをしなければならなくなった。だから体調を崩したたんだ」
そう言われてみれば確かに、ただの肉体的な病気ではなかった気がする。霊的なものだったのか……。
「まあ、君が死ななかったから、その女性もあそこで死ぬまでの宿命ではなかったのだろうけれど、場合によっては悲惨なこともある。よく水におぼれている人を見つけて助けようとして飛び込んで、おぼれていた本人は助かったけれど、助けようとした人が亡くなったなんて事件はよくあるだろ?」
「じゃあ、やはりスルーしてよかったんですか?」
「この場合はすでに救急車を呼んでいたということだから、それに任せればよかったんだね」
「水でおぼれている人を見つけた場合は? 見殺しにするんですか?」
「いや、その人が自力で助かるように木の板とか何かを投げてあげるとか手助けはかまわないし、まずはそういった人命救助で報酬を得ている人を呼ぶことだ。報酬をもらって人命救助を仕事としている人が助けてもカルマの清算のお邪魔をしたことにはならないから、カルマの付け替えは起こらない。もし自分で救ってしまった場合はその災難がカルマの清算であることをまず相手に伝え、罪穢を悟ってそのお詫びの行に徹することも伝えるべきなんだね。そうすればカルマの付け替えは起こらない。相手がそれを信じるか信じないか、受け入れるかどうかはどうでもいい。伝えたかどうかが大事なんだ」
「それで今度の文化祭でも、ヒーリングパワーはこちらからは勧めずに、来場者に依頼されたときに限定するっていうのもそういうことなんですね」
「その通り、正解!」
先生は人差し指を立てて、にこやかに笑った。
「そしてこれからは、いちばん最初の一瞬のひらめきを大切にすること。ひらめいたのならすぐにその実行を決断する、そして実行する。決断と実行、断行と遂行、これが本当の意味での素直だ。素直は得だって聞いているだろう?」
「はい」
「一瞬のひらめきがあったらその通りにするっていうのは、雨が降ったら傘をさすってのと同じくらい素直な行動だ。つまりはあるがまま、なすがままってことだよ」
先生は立ち上がった。
「じゃあ、そろそろもう教室に行って、授業を受けなさい」
俺は素直に従った。
放課後、部室で俺は昨日の夜からあったことや、今日先生に言われたことをみんなに話した。
「そうだよね」
島村先輩がしみじみと言う。
「イエス様も使徒たちに奇跡の業で民衆を救うように派遣したとき、『あなた方は行ってまず病めるものを癒しなさい。そのあとに福音を告げなさい』と言ったんだ。その福音を告げるということをしないで癒しただけではカルマの付け替えが来るってことを、イエス様もご存じだったんだね」
そういえば島村先輩は敬虔なクリスチャンの家庭に育ったと聞いていたことを思い出した。
そのことを聞こうと思ったけれど、目前に迫った文化祭の準備の作業がすぐに始まったので、それはまたの機会にと思った。
(「第9部 南高祭」につづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます