第3話 牛飼のシノ
お腹すいた。
一人の牛飼が牛を使役して荷物を運んでいる。運んでいるのは兵糧米なのでちょっとだけくすねたい誘惑にかられる。しかし武士たちが恐ろしすぎるので恐怖と理性がそれを押しとどめる。
貧弱な体つきとぼさぼさの髪を適当に結ってるだけの子供の牛飼いだ。
お腹すいた。
博多の各寺院や広い屋敷に物資を運ぶ。それに最も適しているのは船による輸送になるが、しかし川船というのは流れに逆らって漕ぎ進めるほど穏やかではない。下りが半日だとして、上りに四日とかかることもあった。また武士団の移動にも川船が必要になるから、物資の輸送に適しているとは言えなかった。
そこで大宰府は牛を大量に使用した兵站輸送網を構築することにした。つまり九州全土、可能なら西国一帯から牛飼いたちを連れてきて、数万に膨れ上がるだろう軍勢を養えるように整備したのだ。
「みんなに置いていかれた……お前のせいだぞ」と牛を撫でながらため息をつく。
「も~」この牛は人一倍いや牛一倍のんびりな牛で、他の牛飼集団から大きく後れを取っていた。そのせいでまだ昼飯を食べていない。
「くんくん、この焼ける臭いは!」
牛飼が川沿いで荷物を運んでいると、獣が焼ける臭いがした。そして騒がしくなってくる。
大抵の人は武士を恐れている。〈島国〉の二大宗教はどちらも肉食が忌避されていた。さらに貴族たちは潔癖症かのように死を感じられる物を忌み嫌っている。
つまり肉を焼くのは貴族ではない。
牛飼いは肉を焼くのが誰なのかおおよそ見当がついていた。
武士だ!
質実剛健を良しとする鎌倉武士たちは武芸を磨くために野生の動物を狩る。そして狩った動物の肉を食すのは名誉あることだと言い切って食していた。
「すごい、おいしそう……ごくり」
屈強にして大柄の武者が五十名、肉を喰らい、米をかきこむ。その光景を大宰府に住む住人たちは遠くから見ることしかできなかった。怖いのだ。恐ろしいのだ。
遠巻きに武士を見ている者たちは皆思う、なぜこれほどまでに異なる者たちが存在するのか理解できなかった。
牛飼も少し前までは同じだった。ただその武士団の中に知っている人がいたので怖くはなかった。
「おお、牛飼じゃないか」と竹崎五郎が言う。
「こんにちは五郎さん」
「なんじゃ牛飼いの小僧か」
「ああ、こっちに来てから知り合ってな。この子に馬の世話をしてもらっている」
この牛飼いは厩舎で牛の世話をしているが、ついでに馬の世話もしていた。
「なにせ毎日十頭以上の馬がやってくるので、大工たちが総出でほったて厩舎を立てて――」
「ほうほう、それで世話人がいなくて代わりに牛飼いの小僧に任せているのかのぅ」
「そういうことになります」
「五郎さんこちらの御家人様は知り合いですか?」と牛飼が訊く。
「おう、今日初めてお会いした同族の江田殿だ」
「え、始めて!?」
「うむ、我ら菊池一門は菊池川を中心に川上の嫡流、川中と川下の庶流で別れておるのじゃ。普段の交流などは一部の者しかしとらん」
「ほぁ?」
「うーむ、つまりだ。遥か昔に山の幸と海の幸は違い過ぎるから別れて土地を治めようとなったのだ」
「あぁ、なるほど!」
「なんじゃい、食いもので例えんと理解できんのかい。うちの若い者と同じじゃな」
「ごほん、ごほん」江田又太郎が連れてきた若者の一人焼米五郎が咳払いした。
「食べ物――」そう呟くと『ぐ~~』とお腹の虫が鳴る。
「わははは、なんだ腹を空かせているのか」と竹崎五郎がいう。
「うぅぅぅ」牛飼いは恥ずかしくなって座り込んでしまう。
「ならばこれも何かの縁、この焼米五郎の作った焼米をご賞味あれ」
「……
「うむ、我が名の由来は糧秣(兵の食糧)を担って朝から晩まで焼米を作ることで、
「へぇ~あ、いただきます」そう言って焼米から飯をもらった。牛飼いは武士たちと共に食事をするが、そこは肉食が嫌忌されているので焼米を食すだけにした。そして彼らが優しいのは自分が子供に見えるからだと知っていた。だから少しだけご飯をもらったら早々に別れるべきだと考えた。
「呼び止めといてなんだが、牛飼は仕事中じゃないのか」
「大丈夫だよ五郎さん、牛が草を食べ始めちゃったから、その間に食事をしたかったんだ」
五郎が牛を見るとたしかに草を食べていた。この時代の道草を食うとはまさに言葉通りの意味であり、それを咎める者はいない。家畜を酷使して潰れたら損になるからだ。
「この焼米おいしい」と感想を漏らす。
「ほれほれもっとたくさん食べるがよい」と焼米五郎が嬉しくなってどんどん飯をわける。
「やった、けどいいの?」
「お主ら百姓の腹は小さいからな。問題ないわい」と又太郎が笑いながら言う。
武士たちは一度に食べる飯の量も尋常ではなかった。百姓たちが一食一合の米を食べるとするなら、一食に五合もの米を食べるのが鎌倉武士だ。それほどの肉と米を食し、鍛錬に精を出すのだから百姓とは身体つきからして一回り以上も違った。
百姓たちを子供の体格のまま老けた存在だとするのなら、武士とはまさに巨人のような大男たちだった。
「みんな大きいなぁ……」五郎や周りの武士たちの体格を見ながら牛飼いはそう呟いた。
竹崎五郎たち武士の一団と別れた後、本来の仕事に戻る。そして日が暮れてから筥崎宮にほど近い家に帰って来た。家といっても見た目は小汚い掘っ立て小屋になる。
「だれだ……」中から男の人の声がした。
「おっとー帰ったよ」
「おお……シノか」
「ん、今日焼米が手に入ったんだ」
「そうかそうか、すまんなぁ……ごほごほ」
「無理しないで寝てなきゃ」
小屋の中にはひどくやつれた男、牛飼のシノの父親与作が寝ていた。
「すまんなぁ。お前につらい仕事をさせて、しかも男のような恰好までさせて」
「ううん、別にいいよ」
「シノ、お前が女だと知られたら武士たちに何をされるかわからんからな」
「ん~五郎さんは優しいよ」
「あの人はそうかもしれんが……全体の話だ。あの御家人というのはワシらとは何から何まで違う。あまりに違い過ぎる」
――たしかに今まで会った武士は牛飼仲間たちと全然ちがった。みんなは口では〈帝国〉に怯えているけど、本当はどんどんやってくる武士に怯えていると何となくわかる。彼ら武士はクマを簡単に倒してそしてその肉を食べる。それなのに寺院を建てて仏を信じる。……へんなの。
「ゴホッ……お前の本当の親を見つけたかったんだが……この体ではなぁ」もう先は長くない、そう町の薬師に言われている。
「ううん、ワタシの親はおっとーだけだ。だから早く寝て元気になって」
「そうだな……今日はもう寝るとしよう」
昔から聞かされていた話だが、シノはとある川辺に捨てられていた。流行病で死に瀕していたときに捨てられたのだと思われる。それを不憫に思い引き取って育てたのが与作だ。
できれば本当の親を見つけてやりたかった。それだけが与作の心残りだったが――そのまま微睡む。
夜遅く、百道原の漁村に住む一人の男が浜辺に来ていた。彼の名は浜左衛門。皆からは「浜殿」「ハマドン」と呼ばれている。
彼は〈帝国〉が来たらすぐに知らせるためによく浜辺から海を眺めていた。深夜に来たのは何か胸騒ぎがしたからだ。
そしてそれは当たっていた。
「あれは……船か、それもたくさんの船なのか!」
月明りにうっすらと船影がそれも、とてもたくさんあるのに気が付いた。ハマドンは急いで漁村に戻った。そして村長の家に行った。村長といっても掘っ立て小屋なのは変わらないので中に土足で入り込んで寝ている村長を叩き起こす。
「村長、大変です。船がたくさんの船が来てます!」
「…………」
「村長早く起きて…………ひぃ」
よく見ると村長は喉を掻っ切られて死んでいた。
驚きのあまり小屋を出ると、さきほどの浜からうごめく影がぞろぞろとやってきている。来たんだ〈帝国〉が上陸して来たんだ。
ハマドンは助けを求めて走ろうとした時、暗闇からぬっと手が伸びて口元を塞ぐ。
「ん~~んっ!?」
手に刃物を持つ見知らぬ男。
その刃物が首元に近づいて――。
「――っは!」
牛飼のシノは目が覚めた。のど元を確認する。何ともない。
何か、何か怖い夢を見た気がした。――けど忘れた。
外を見ると月明りが照らす深夜だとわかった。
そのまま寝ることもできたが遠くで牛や馬の鳴き声がした気がした。気になったので父を起こさないようにゆっくり外へ出た。
厩舎にいくとやはり牛や馬たち鳴いている。見張りの武士たちが戸惑っていた。
「誰だ!」後ろから声がした。
「あ、怪しいものではありません。ただの牛飼いでひゅ」
かみかみになりながら答えて振り向くと竹崎五郎がいた。
「……あ、五郎さん」ほっと胸をなでおろす。
「なんだ牛飼くんか。どうしたんだこんな時間に?」
「ん、なんか牛たちの様子がへんだから気になって」
「そうだったのか。実は拙者も胸騒ぎがして少し歩き回っていたところだ――何もなかったがな」
「うん、ちょっと牛の世話をしてきていいかな」
「そうかそれなら少し手伝おう」と五郎が言ってくれた。
「うん!」すこし嬉しかった。
厩舎の家畜たちをなだめると、すっかり時間が経ってしまった。
「それでお父さんの調子はどうなんだ」
「ううん、昨日よりも弱ってた」
「そうか――馬たちが世話になっているから何か体にいいものを持っていきたいのだが、お主の父は頑なに貰ってくれないからな」
「うん……牛飼いとして半人前なのにおっとーが亡くなったら、どう生きていけばいいのかわからない」
「そうだな、もし身寄りがないのなら竹崎郷に来るといい」
「え!? それって――ッ」
『カーンッカーンッカーンッ』
その時、鐘の音が鳴り響いた。
それは寺院に置かれていた銅鐘による警鐘の音。
それが博多の町から筥崎宮一帯まで鐘の音が鳴り響く。
「牛飼はすぐに家に戻るんだ」五郎はその意味を察した。
「う、うん」シノは従うことにした。
シノの背が小さくなるのを確認してから空を見上げる。
「ついに来たか」竹崎五郎はつぶやいた。
周囲の仮家で寝泊まりしている武士たちがぞろぞろと出てくる。皆、その時が来たと察する。
10月20日、〈帝国〉博多に襲来。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます