4-4


 スマホを押しあてたまま僕は待った。もういいから部屋に戻って寝ちゃおうかな。そう考えてもみた。なんでもないことをさわぎ立ててるだけに思えたのだ。しかし、怖れはくすぶりつづけてる。


「もしもし?」


 ぶとい声が聞こえてきた。画面を見ると、《篠崎カミラ》と出てる。


「もしもし? 聞こえてるの?」


「はい、聞こえてます。――ああ、もしかして『先生』ですか?」


「先生? カミラがそう言ってたの? まあ、そうね。そういうことでもあるわ。で、また街灯が消えたんですって? それもだんだんあなたの部屋に近づいてるって聞いたんだけど。あなたは怖くなって電話をかけてきた。そういうことなんでしょ?」


「はい」


「ま、その辺のことについては、――こんな時間に電話をかけてきたってことよ、私は寝てるところをたたき起こされたんですからね。まったく、カミラにも困ったもんだわ。後先考えないんだから。まあ、それだけあなたを助けたいって気持ちが強いんでしょうけど」


 寝てた? 同じ家で? あの女はうちみたいな生活をしてるのか? そう考えてるところに声はかぶさってきた。


「なに言ってるかわからなくなっちゃったわね。ごめんなさい。ま、あなたにはいろいろ言いたいことがあるけど今はやめておきましょう。で、街灯が消えたってことよね? でも、カミラから聴いてるんでしょ。それはしゅれいさまのなさったことよ。けいこくなの。悪い働きではないわ。いえ、悪い働きが強まってるのをしらしてくださってるの。思い当たることある?」


「はあ、思い当たることですか? ――いや、特にないですね」


「そう。だけど、これも言われてるでしょ。女に気をつけろって。それでもあなたは逆の方へ行こうとしてるんじゃない?」


 僕はひたいおおった。そういえば合コンへ行くって言ったな。行くなと言われてたのにそう宣言した。


「思い当たることがあったようね。それにたいする警告よ。気にしなくていいわ。すぐに悪いことが起こるってわけじゃないから」


「ということは、すぐじゃないけど悪いことは起こるってことですか?」


「そうねえ。直接見てないから絶対とは言えないわ。一度お会いしたことがあったわね? ほんの一瞬だけ。そのときに見えたことからしか判断できないのよ。後はカミラからしつこく聴かされたことがあなたに関する情報なんだもの、こうやって声を聞いてるだけじゃ、きちんとしたことは言えないわ」


「はあ」


 僕はまたもやそう言った。どういう仕組みになってるかわからないのだからそうとしか言えないのだ。


「だけど、わかってることもあるの。あなたにはひどく強いれいいてるわ。それが悪い方向へ導こうとしてるの。主に女性問題であらわれるようになってるはずよ。それだって思い当たることはあるでしょ? あなたはある女にだまされ、お金と幾つかの物をられた。そうよね? それは私に見えたことなの。カミラにはまだそこまではっきり見えないのよ。ま、あなたに関しては私以上に感じる部分があるようだけど」


 そこまで言うと『先生』はあからさまな溜息をついた。僕にはもう「はあ」と言う気力もなかった。


「切りがないわね。いい? あなたもこんな時間に電話かけてくるくらいだから気になってはいるんでしょ? だったら、私のもとに来なさい。そうした方がいいわよ。じゃ、そういうことで私は寝るわよ。あとはカミラとしゃべりなさい」


「あっ、あの、」と僕は口走っていた。あの女と同じ台詞せりふを言うことになったわけだ。


「なに?」


「い、いえ、あの、ありがとうございました」


「ま、カミラにとって大切な人なら、私にとってもそうなる可能性はあるものね。だったらこれくらいのことなんでもないわ」


 は? どういうことだ? そう考えてるとおみになった声が聞こえてきた。


「あっ、あっ、あの、」


「なんだよ」


「い、いえ、す、すこしは、お、お役に、た、たちましたか? わ、私だけでは、ちょっ、ちょっと、ふ、不安だったので、せ、先生に、お、起きてきて、も、もらったんです。で、でも、か、か、かえって、び、びっくりさせて、し、しまったのでは、な、ないでしょうか?」


 声を聴いてるうちに落ち着いてきた。この女を通すと恐怖はやはり薄まるのだ。


「ああ、いや、ありがとう。それに悪かった。いまキツい言い方をしてたよな? ちょっと混乱してて、その、なんだ、」


「い、い、いえ、そ、そんなこと、な、な、ないです。わ、わ、私は、ま、ま、まったく、そ、そんなふうに、お、お、思いませんでしたから。そ、そ、それに、こ、こ、こうやって、お、お電話、い、いただけて、う、う、嬉しかったんです。さ、さ、佐々木さんが、わ、私の、い、言ったことを、し、し、信じて、く、くださったって、こ、こ、ことですから」


 緊張のせいか、どもり具合は激しくなっていた。だけど、いらいらしなかった。できることならずっと耳許でどもりつづけて欲しいとすら思った。その方が安心できる。しかし、もう二時だ。


「ん、よくわからないけど、きっと君の言ったことを信用しはじめてるんだろう。いや、もちろん全面的に信じてるわけじゃないけど」


「は、はい。そ、そ、それでも、か、か、かまいません」


「部屋に戻るよ。それでもう寝る。そうできる気がしてきた。ほんと助かった。ありがとう」


 電話を切ると僕は深く息をいた。いかなる悪意が取り囲んでいても、そんなのは気にしなくたっていい。そのように思えた。


 酔いがまわりはじめたからかもしれない。あるいは彼女の声がまだ耳の奥に残っていたからかもしれなかった。しかし、いずれにしても僕は守られてる。二重三重に守られている。そう思えた。

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