三章三話
「何? 真奏からの命令書?」
「はい。そこに、河野利昌という名前がありました」
朝餉の最中だった白苑は顔を上げる。アルンの差し出した紙を受け取り、目を走らせた。
「間違いない。この花押は真奏のものだ。史門、お前も確かめよ」
史門に手渡し、白苑はアルンを見る。
「河野利昌というのは、真奏の腹心だ」
汁物の椀を置いた白苑は続ける。
「相良親久を殺した男でもある。今では政権の中核をなす重鎮として恐怖政治の一端を担っているはずだ。まさか、ここにいるとは思わなんだ」
「どういう男なのでしょうか?」
イーケンの問いかけに史門が応じた。紙は朱真へと回される。
「忠実な番犬だ。真奏の身辺から離れることは少ない。敵の多い主君の傍からは離れられぬといったところだろう」
「その命令書の中の赤穂家とは何なのです?」
「真奏に一番初めに協力を約束した家だ。汰羽羅諸島を統べていた相良家の勘定方だった。今は次男が家を継ぎ、これまで通りに勘定方としての仕事を果たしているが、それだけではない。赤穂は常人離れした精度の射撃が可能な弓兵隊を所有している。その弓兵隊は従わない者を殺して回っていると聞く」
その隣にいたアルンはまた違う情報を追加する。
「海軍からの報告では、今回横流しされた痛み止めは倉庫から持ち出された分と回収された分が一致しないそうです。要するに一部は相手が持ち去ったということです。その一部は恐らく汰羽羅本国に送られると踏んで良いでしょう」
「もしかすると蜂谷公康はその輸送関係の話をしに来たのではないでしょうか?」
史門の背後に控えていた珊瑛が突然そう言い、口元に手を当てて考え込むように話す。
「そう考えると、命令書以外の紙の内容も納得出来ます」
床に紙を広げた珊瑛は、その上を指に這わせた。紙には絵と文字の中間のようなものが記されており、他の者には意味が分からない。
「ご覧の通りにぱっと見ただけでは意味の分からない記号が並んでいますが、もしかしたらこれらは痛み止めの分量や船の数を表しているのではありませんか?」
部屋が静まって、珊瑛の顔に冷や汗が伝う。彼は慌てて付け足した。
「も、申し訳ございません! 出過ぎたことを申しました!」
「良い。その考えがあっているかもしれぬであろう」
白苑がなだめるように言い、史門も頷いて見せる。
「今は少しでも情報が欲しい。話してみよ」
高位の二人に言われればさすがに態度も変わり、堂々とした声を発するようになった。紙に乗せた指がぐるりと円を描く。
「汰羽羅との戦の前に、汰羽羅文字の発祥についての書物を読んだことがございます。汰羽羅には三種類の文字がありますが、あれらの文字は元は一つのものだったそうです」
汰羽羅文字と一口に言っても、実際は三つに別れている。支配階級の男達が使うのが
「この紙にはそのいずれもが使われておりません」
「確かに。使われておらんな」
「支配者階級の男達が使う真名と呼ばれる文字は記号が変化したものです。その後真名を元にして仮名と片仮名が作られました。伝えようとしていた内容が本当に輸送関係だとすれば、暗号代わりに記号を使用したとしてもおかしくありません。このようなもの、何も知らぬ者が見ればただの紙くずとして捨ててしまうでしょう」
史門は感心したようにうなずき、指先で顎先を数回撫でる。
「珊瑛、一度書物を全て読んだということは内容は覚えていよう。解読出来るな?」
「はい」
「なるべく早く、全てをフラッゼ語と牙月語に直せ」
「は、お任せください!」
そのやり取りにアルンは目をむいた。慌てて史門と部屋から立ち去ろうとする珊瑛を止める。
「お待ちを! 記憶頼りの解読は不確実です。実際に行動する者として認められません!」
「問題無い」
悠然と白苑は言い、珊瑛には紙を手渡す。食い下がろうとするアルンを片手で制した。珊瑛は颯爽と部屋を立ち去ってしまう。
「珊瑛の記憶力は常人のそれではない。三百行に渡る建国の詩もそらんじることが出来る。一度見聞きしたことは忘れない。実際にその力で助けられたこともある。一度や二度ではない」
そうだろう、史門と白苑は問い、問われた方も頷く。
「史門は私に嘘はつかぬ。珊瑛を昔から知っているこの男が反論せぬのが何よりの証よ。それとも天竜乗り」
黒曜石の瞳がアルンを捉えた。
「私が信じられぬと?」
有無を言わせない響きに、アルンは不服そうに黙り込んだ。
アルンはフラッゼの王家に仕える立場であり、表立って他国の支配者階級の者に逆らえるような立場ではない。それを分かって厳しく言った白苑はその場から立ち上がって部屋を去った。残されたアルンは、苛立った表情を隠しもせずに腕を組む。
「白苑殿下は生まれながらの皇族でいらっしゃる。だからご自分の要求は無理やりでも通るということをご存知というわけさ」
高貴な生まれの方の心持ちは大したモンだ、と朱真は腕を広げて言った。アルンは顔を手で覆ってから、軽く呻く。
「とりあえず、メルマさんからいただいた紹介状を持って他の店に行かないか? 訳すのにはそれなりに時間もかかるだろうし」
イーケンの提案に額に青筋を浮かべたままアルンは頷いた。全身から納得いかない、という空気を吹き出しながら立ち上がり、近くの漆喰の壁に向かって立つ。目を閉じて息を吐いてから、右の拳を一発叩きつけた。ぱらりと漆喰の破片が落ち、深く息を吐く。
「行きましょう。支度が済んだら門のところ集まるということでいいですか?」
年長者二人はそれに返事をし、その部屋を去った。
「今のところ、三つ連続で外れだな」
朱真はそう言って首を傾げる。
「あと五つか。全部で八つ。それなりに数がある」
「行くたびに店主に話を通すのが面倒ですね」
それぞれが文句を言いながら商人達が店を連ねる通りを歩いて行く。メルマから渡された紹介状の効果は絶大であった。詳しく素性を明かさずともそれを一読させるだけで、店の帳面を見せてくれる。店が窮地に陥ったときにメルマに助けられたという店主もいた。彼女はただのやり手の商人ではなく、人望のあるやり手の商人だったのだ。
「さて、お次はこちらのタロス商会ですね」
大きな門を見上げ、アルンは敷地に足を踏み入れる。建物の入口近くにいた若い男に声をかけ、店主への取り次ぎを頼んだ。不審そうな顔をした彼だったが、主の命に従ってすぐに奥へと通す。通された部屋で待つこと数分。タロス商会の主が姿を現した。
「タロス商会、会長のユスエラと申します。メルマさんからのご紹介と伺いましたが、いかなるご用向きですかな?」
貫禄のある男は膝の上で手を組んだ。切れ長の目は学者然としているが、その光り方が学者ではない。好機を逃さぬ機敏な商人の目つきである。
「我々はとあることについての調査を行っております。こちらの商会にご協力いただきたく参上した次第です」
イーケンが口上を述べる。アルンが自分では信用されにくかろうと言ってその役をイーケンに振ったのだ。
「調査? 一体何をお調べになっていらっしゃるので?」
「交易品の王都での購買層についてです」
「わざわざお調べにならずとも予想はつくのではありませんかな?」
「近年、他国からの旅行者、交易品の輸入量などが増加傾向にあることはご存知かと思います。それもひとえに海路の安全が確保されるようになったからと言われておりますが」
「左様ですな。大陸最強の海軍が厳重に警備しているとなれば、賊どももおいそれと暴れられぬでしょう。我らも安心して商売が出来る!」
ハハハと笑い、ユスエラはさらに続ける。
「手前には息子が三人いるのですが、下の二人が最近海軍士官学校を卒業したばかりでしてな。東方司令部に配属されたのです。親としては多少心配ではありますが、ぜひとも女王陛下の御為になってほしいものです!」
「東方司令部は海路警備の先鋒ですね。何よりも交易の安全性を高めることを使命としています。まさにこの国の生命線と言えましょう」
「おお、お詳しいのですな」
「知り合いが東方司令部におりましてね」
しばらく雑談を挟んでから、イーケンは本題の続きを始める。
「近年の情勢を鑑みて、我々は変化しているであろう王都における需要の調査をしようということになりました。その結果、まずは交易品の主な購買層について調べることになり、王都の店を中心に回らせていただいております」
「なるほど、そういうことでしたか!」
「購買層の詳細が分かれば、需要の方もより詳しく分析出来るかもしれません。そうなった暁にはその結果をお知らせ致します。ぜひとも商いの方に役立てていただければと思っているのですが」
イーケンの薄青と焦げ茶の目が柔らかく笑う。厳格で誇り高い軍人の姿はどこへ行ったのか、完全に別人だ。その様子を見てアルンは肩をすくめた。
「もちろん構いませんとも! それで、どのようにすればよろしいのです?」
「ここ半年で売った商品と、購入者の分かる帳面などを拝見したいと思っております」
「そうは申されましてもここで取り扱っているものは多いですからな。耳飾りから首飾り、指輪など多岐にわたっていますが」
「ではひとまず参考までに耳飾りのものから拝見出来ますでしょうか?」
少し考える素振りを見せたイーケンは、聞かれる前から決まっていた答えを返した。
ユスエラが店の者と立ち去ってからしばらくすると、アルンと朱真が苦笑いを零しながら言った。
「大尉、名役者ではないですか。知り合いがいるどころか、ご自分が軍属なのにあのように仰ったのには驚きました」
「上手い嘘のつき方は、本当のことを混ぜることだ。その配分には気をつける必要があるがな。それに俺は手段を選ばん」
軍人は悠然と言ってのけ、長い足を組む。今日のイーケンの服装は首元まで隠す、学者風のものだ。軍服は目立つ上に嘘の内容からあまり軍属の気配がしては怪しまれるというアルンの意見によってこうなった。後ろに控える二人は「用心棒」ということになっているが、どちらも非常に特徴的な容姿である。よってアルンは髪を薄手の外套の頭巾に収め、朱真はなるべく肌の見えないものを着ていた。
「知り合い、と言ったのは弟のことだ。東方司令部に以前所属していたが、今はもう違う」
「異動ですか?」
「二年前に死んだ」
その言葉に朱真の呼吸が詰まった。薄暗く物悲しい声音が床に落ちる。
「街中で暴れた馬から近くにいた三人の子ども達を庇って、後ろ足で頭を蹴られて死んだそうだ」
小さなため息をついて目を伏せたイーケンはさらに続けた。
「死に目には会えなかったが戦死よりはずっと良い。戦死すれば身体は帰って来ない」
イーケンがそう言ったときに、部屋の扉が開いた。
「こちらが帳面になります」
ユスエラの差し出した分厚い帳面を一瞥し、イーケンは頷く。
「ありがとうございます。拝見します」
「私はこれから商談があるので、こちらではなく隣の部屋をお使いください」
「お忙しいところ申し訳ございませんでした」
三人は揃って礼をして、隣の部屋へ移る。扉を閉め、すぐに帳面を机の上で開いた。
「よし、コージュラの耳飾りで購入者が妙なものを見つけるということで大丈夫だな?」
イーケンに問われ、残りの二人が頷く。一番初めから日付を遡っていく。膨大な量の情報をさばいていると、とある場所でアルンがイーケンと朱真を押さえるように手を出した。
「あったか?」
「ここ、購入者の住所が妙です」
アルンの指が示したのは住所の欄である。しかしその住所を見てもイーケンと朱真には一体何が妙なのか見当がつかない。
「何が妙なんだ?」
「この地区は今は廃墟同然なんです。人は住んでいますが数も少ないですし治安も良くない貧民ばかりの地区です」
それを聞いたイーケンは首を傾げる。王都に住んでそれなりの年月が経つが、そんな場所があるとは全く知らなかったのだ。アルンはイーケンの表情から察したのか淡々と説明を重ねる。
「裏賭場や売春窟があるという噂もありますが、それはあくまで下層の民衆の間での噂。実際はほとんどはただの空き家で悪党にもなりきれないような小者の棲家になっています。大尉のような将校や一等地に店を持つ身分の人々の耳や目には届きません」
イーケンは自分自身の無知さを指摘されたような気分になって唇を軽く噛む。しかしそれを堪えて帳面の購入品の欄に指を這わせた。
「買ったのは、コージュラの耳飾り」
彼がそう言うと朱真は悪鬼のごとく笑う。
「大当たりの気配がするぜ」
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