三章 鳴動

三章一話

 三人は未だ血を流し続ける青年の死体を、白苑の屋敷に運び込んだ。近くに馬のいない厩舎の馬房に板を敷き、そこに寝かせる。

「うわ! 何て格好をしてるんですか!」

 珊瑛は死体を担いだせいで血塗れの彼らを見て、上ずった声を上げた。

「珊瑛、湯でも水でも良いから、何か洗えるものがほしい。桶いっぱいに頼むぞ。それから白苑殿下と史門様をここにお連れしろ。あと、一応警備を固めるように通達を出せ。ネズミ一匹通すな!」

 背中側が血塗れの朱真がそう言うと、彼は慌ただしく走り出した。

「全く、これだから慣れとらんガキは困る」

 死体の刀を確かめているイーケンの隣で言えば、イーケンは不思議そうに問う。

「朱真殿、あなたは一体いくつなんだ」

「俺か? 確か今年で二十八。史門様よりも年上だ。アンタは?」

 答えた朱真は血を吸った上着を脱ぎ捨て、近くの棚に置いた。

「二十六です」

 イーケンは刀の袋を壁に立てかける。

「大して歳は変わらんな」

 男二人が話していると、アルンが無言で手を動かせと訴える。それに応じながら朱真はアルンに問いかけた。

「そっちは?」

「十六ですが。何か?」

 彼女は両手を使って死体の腰帯を取った。脇に置いて、さらに靴を脱がせにかかる。

「やたら肝が座っているから年が気になった。十六とは思えねえ」

「子どもの頃から人を殺す方法や異国の言葉、戦い方だけを教わってきました。慣れているだけです」

 そのとき複数の人の足音が聞こえて来た。馬屋の中にその足音が侵入する。

「朱真! 首尾はどうだ?」

 史門の尊大な声に彼は立ち上がった。

「一匹ネズミを捕まえました。汰羽羅武士だったから、腹かっさばいて死んじまいましたがね」

 柵に身体を乗せ、朱真はのんびりと言う。白苑と史門、珊瑛が馬房に敷かれた板を見た。

「これがネズミ?」

 かがみ込んだ史門は青年の顔を見下ろす。

「ええ。我々が向かった装飾品の店の屋根裏に潜んでいました。それを追い詰めましたが、目の前で腹を切って死んでしまったのです」

 イーケンが説明すると、白苑と珊瑛は深いため息をついた。

「汰羽羅武士の恐ろしいところだな」

「まだ若いですよ、彼」

 珊瑛の後ろから桶を持った下男が数人やって来て、置いて立ち去る。するとアルンが立ち上がって、その一つを引きずって中庭の方へ向かった。

「私はこの紙を洗うのでそちらは任せます」

「紙を洗う?」

 イーケンが聞き返す。紙を洗えば破れてしまうだろうと言ってやると、彼女は不敵に笑った。

「天竜乗りの技術です」

 残された男達はぐったりとした死体をしげしげと眺める。

「とりあえず、服を脱がせましょう。まだ何か仕込んでいるかもしれません」

「分かった。殿下、史門様、汚れるので離れてください」

 朱真は手近な短刀を使って上の服を切った。血を吸ってじっとりと濡れたそれを引きはがしてから、今度は手早く下の方を脱がせにかかる。

「大した手際ですね」

 イーケンが言うと朱真はからからと笑う。

「傭兵上がりだって言ったが実際は盗賊みたいな感じだったから、人様の服を剥ぎ取るのは慣れてんだよ」

 思わず閉口したイーケンに史門が声をかけた。

「私の父が殺されかけて、逆に生け捕りにしたのだよ。それから私の麾下に入って、今では牙月一の槍使いだ。私に仕える武人は多いが、こやつの軍功は他の追随を許さぬ。序列こそ第六席だが実力はそれ以上だ」

 人生は何があるか分からぬものよな、と付け加え、史門は呆れた顔をして見せる。すると朱真が

「お?」

 と言った。全員が目線を向けると彼は上着の一部を裏返した。中から薄い木の板が転がり落ちて来る。その表面には何かの模様が刻まれていて、その模様に男達は呆然とした。

「これは桐生家の家紋だな。殿下、どうぞ」

 手渡された白苑は眉を寄せる。

「隠密としては不慣れなようだな。普通、このように身分を特定する手がかりとなるものは持ち歩かないだろう」

「桐生ということはやはり真奏まかなか。あの女、どこにでも現れよる!」

 史門は苛立ったように唸った。珊瑛も顔をしかめている。

「その真奏というのは何者なのです?」

 イーケンの問いに、男達は一斉に答えた。

「人妖だ」

「人妖?」

「年若く優れた軍師で、最後の戦いの後に汰羽羅の宗主であった相良家の存続のために我らと和睦した。そのときにはフラッゼの海軍は本国に戻っていたから、恐らくそなたは知らぬであろう」

 白苑はそう続けてからさらに口を開く。その秀麗な容貌には隠せない憎しみと悔恨が見て取れた。背後と隣にいる男達も一様に屈辱に耐えるような表情を見せている。白苑に至っては激情に身を震わせていた。

「むごくおぞましい策をためらわずに繰り出してくる。最北端の戦線では山地を生かした軍略を展開され、我らは大損害を受けた。犠牲となった騎兵は三千。歩兵に至っては四千だ! 油の入った樽を崖から突き落とし、火矢を射かけ、さらに爆薬までも投げ込んだ。今でもあの地獄は思い出せる!」

 整った眉は中央に寄せられ、真珠のような奥歯を軋ませる音がする。握り込んだ右手を覆っていた革の手袋を外し、それをイーケンの目の前にかざした。手の甲には醜くただれた肌がある。一国の王族の手にあって良い火傷痕ではない。

「これがそのときの火傷の痕だ。弓を引くのに苦労するようになった。だが私はまだ軽い方よ。史門は私を庇って油と火矢を受け、右肩から首にかけてを焼かれた! 珊瑛の兄は焼け死んだ! 私の乳兄弟の雨元うげんは失明し、馬に乗れなくなった!」

 わなわなと震える声には確かな怒りがこめられ、怒りのあまりにかすれていた。史門はそれをなだめるような仕草を見せ、白苑は深く息を吸って吐く。

「取り乱してすまなかった。あの女は軍略と策謀の達人だ。だが、同時に非道な面もある。和睦の場に現れた真奏は、手元にあった木桶の蓋を開いた。そこにあったのは、相良家先代当主の相良親久さがらちかひさの首だったのだ」

「主君の首を?」

「ああ。そして言った。これから先、汰羽羅は我々が上手く治めていく。戦を吹っかけた先代は道すがら殺したから、これで帳消しにしてはくれぬかと」

 イーケンは呆気にとられて口を開けた。白苑から史門が引き継ぎ、話し出す。

「裏切らぬ証拠がどこにある、と我らは問うた。そうしたらあの女、私の手の者でいらぬ者、逆らう者は皆殺しにするゆえご心配めされるな、などとほざきおった」

「だが、本当にやりおったのよ」

 朱真は馬房の床にあぐらをかいて座り込んだ。心底嫌そうな表情で、この上なく不快そうな声音である。

「数日後に、我らの陣地に荷車が五台来た。その中には山のような箱と桶が積み上がってた」

 中身を察したイーケンは顔を曇らせた。汰羽羅の武士達は時々彼らの予想外の行動に出る。切腹はその典型的な例だが、この話はあまりにむごすぎた。徹底的な姿勢の決意の現れとしては当然だろうが、そのやり口は凄惨という言葉で修飾することしか出来ない。

「話はまだあります。真奏はまだ幼かった前宗主・相良親久の息子を傀儡として操り、己の息のかかった者を動員して恐怖政治を始めたのです」

 険しい表情を見せた珊瑛の言葉に、白苑は重々しくうなずく。

「あの女に権力が一点集中しているのは確かだ。今の真奏の下には過激で優秀、さらに汚れ仕事を厭わない人間が集まっている。さながら、火薬庫の近くに油を保管しているようなものだな」

 そのとき、アルンが外から戻ってきた。

「何か情報は掴めましたか?」

「家紋つきの板を持っていた。普段隠密をやっていないのではないかと思う」

 イーケンの返事にうなずき、死体の横にかがみ込む。

「なるほど。なら、天井に忍び込むという発想は入れ知恵でしょう。どうやってこちらの動向を掴んだかというのが問題ですが、それは一度放置しましょう」

 かがみ込んだアルンは受け答えをしつつ、死体の衣服や足の傷痕を確かめる。

「加えて身のこなしから汰羽羅の気配が消えていなかった。隠密としては超のつく三流ですね。隠密の真髄は、他者の目を引かぬことです。本物ならばあんなに汰羽羅の気配は感じさせないでしょう」

 隠密行動を本分とする者としてそう思います。銀髪の娘は最後にそう言って考え込む仕草を見せた。

「紙はどうなった?」

 朱真が聞くと、彼女は淡々と答える。

「とりあえず朝まで放置です。乾かないと何も出来ませんから」

 アルンは答えながら死体の口を大きく開いた。中を見たかと思うと、自分の顔を近づけて何かを調べている。それからむき出しになっている腹を押した。しばらくそんなことをしていると、白苑に歩み寄る。

「殿下、この屋敷で普段使うことが少なく、なおかつ風通しが良い部屋はございませんか? 腑分けをしたいのです」

「ふ、腑分け?」

 白苑が明らかに狼狽する。腑分けとはいわゆる解剖のことだ。労力も精神的な負担も大きいため、普通の人間はまずやろうとは思わない。白苑の反応は当然のものである。

「この男に刺さった短剣には即効性のある強力なしびれ薬が塗ってありました。ですが何ともなさそうに走っていたのです。何かしらの解毒剤を飲んでいた可能性がありますが、同時に今回の火種の薬を摂取していた可能性もあります。報告書に記載のあった症状が見られました。看過すべきではないと存じますが?」

「そなた、腑分けの心得があるのか?」

 若干引きつった声音にアルンは冷静にうなずいた。

「天竜乗りは血を流させずに殺す方法を教わります。そう言った技術を身につけるにあたり、人体の腑分けは避けては通れない道です」

 白苑は迷ってから珊瑛を見る。軽く目を伏せて短く命じた。

「西の離れの空き部屋を用意するように伝えよ」

「は。すぐに」

 アルンはぐっと身体を伸ばすと、イーケンと朱真に

「お二方にも手伝ってもらいますよ」

 と告げたのであった。

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