二章二話
「正気か⁈」
朱真の身支度が済むまでの間、イーケンは待機用の部屋で大人しくしているアルンに問いかけていた。
「何がです?」
「全くの部外者だろう!」
「朱真殿のことですか……。それなら、問題ありませんよ」
アルンは靴の紐を締めながら答える。イーケンは不満そうに声を荒げた。
「私はこの件に関してある程度の権限を与えられています。それに朱真殿は信用しても問題無いと判断しました」
「判断材料は何だ! それを聞くまで俺は引かんぞ!」
「彼の主です」
アルンはそう言い切って立ち上がり、イーケンと目を合わせる。アルンは至って冷静であった。
「牙月には皇帝の下に
「主が有能だからその部下も有能だと言うのか?」
噛み付くように言い返せば、アルンはうんざりだと言いたげな顔色で応じる。
「先程あげた三将軍は、一度戦となれば一人で万単位の軍を率います。それを様々な側面から支えるのが彼らの抱える部下達です。少なくとも馬鹿では務まらない立場でしょう」
「馬鹿でなければ良いと? 情報をもらさないという保証は?」
「あなたも軍人ならばお分かりなのでは? 情報を流せば大罪です。軍規に引っかかる」
叩き潰すように言われ、イーケンは思わず押し黙った。
「仮にも銀虎将軍の下にいる人間ならば腕は立つでしょう。情報に関する部分もある程度はまともなはず」
「……もし、情報をどこかに流されたら?」
アルンは温度の無い目線をイーケンに向け、ぞっとするほど冷ややかな声を聞かせた。
「私は天竜乗り。国益のために生き、死ぬ存在です。フラッゼ神王国に害をなす者と判断した瞬間に、その場で一切のためらいなく殺します」
腰に帯びた短剣の鞘が冷たく光る。短い銀髪も心なしか冷ややかであった。イーケンが言い返そうとしたとき、廊下の反対側から朱真が歩いて来る。イーケンは口を閉じて腕を組んだ。
人数の増えた一行は、当初の予定通り商人組合へと向かう。その間も馬で移動したが、朱真の馬の操り方は見事であった。人混みの中でも手綱を一切使わず、足の動きだけで制御したのだ。
(さすがは牙月人と言ったところか……)
イーケンはそう思いながら、商人組合の馬丁に馬を預ける。一足先に中に入っていたアルンが、職員と何かを交渉していた。
「装身具を扱う店の一覧?」
「もしくはそれに準ずるものを見せていただきたいんです。少し、調べ物をしていまして」
「調べ物……。何を調べてらっしゃるので?」
眼鏡をかけた初老の男に問われ、アルンはしれっと大嘘をついた。
「私の姉が大切な耳飾りを失くしてしまいました。亡くなった婚約者からもらった品で本当に大事にしていたのです。その婚約者のことを姉はまだ深く愛していて、彼が亡くなったときにはこの世の終わりのように泣いておりました。その傷も癒えぬうちに耳飾りを失くしてしまって、すっかりやつれてしまって。以前の様子は見る影もありません」
アルンは暗い面持ちでそう言う。涙を拭うような仕草まで見せられては言われた方はすっかり騙されて動揺した。
「おお……、それは」
「似たような品を贈って元気になってほしいと思っています。愛していた婚約者からの贈り物とは比べ物にはなりませんが、せめてできることをしたいのです。どうかお力をお貸し願えませんか?」
その芝居を見た朱真はイーケンにヒソヒソと囁く。
「あの娘、大した役者だな」
「まさかこんなことまで出来るとは……」
半ば呆れ気味なイーケンの言葉を聞き、朱真は小声で言った。
「やはり女は恐ろしい……。もう二度と敵には回したくないな」
「敵に回したことがおありなのですか?」
「あるとも。一度な」
その苦い表情に、相当手酷くやり返されたのだろうと察する。イーケンも似たような経験があるので、あまり詳しくは聞かないことにした。
「帳面の写しをもらってきました」
アルンが受付から戻って来たかと思うと、外に出て数枚の紙を手渡す。
「交易品と女物を中心に扱う店に行きましょう。それなりに数は絞れるようです」
「大した芝居だったな。身分を明かしても信用されにくいからか?」
イーケンが言うと、アルンは当然と言わんばかりの顔で応じた。
「芸は身を助く、ですよ」
初めに向かったのは、王都の真ん中にある宝飾品の店だった。優美さと厳格さを併せ持つ構えが、上層の人間しか相手にしないと伝えて来る。しかしアルンは、全くのためらいを見せずに敷地に足を踏み入れた。
「おい、こんな普通の服装でつっかえされないのか?」
イーケンが聞くと黙って頷く。
「ここの店主は私の上官と知り合いなので、顔さえ見せれば問題ありません。それにここに一度顔を見せることで他の店への紹介状をもらえます。帳面の写しも使えば今後の動きが円滑になる」
アルンがズンズンと進んで行く後ろで、朱真は鞘を被せた槍を担ぎ悠々と歩いている。
「お待ちを!」
後ろからの声に振り向くと、細身の女が慌てて追いかけて来た。アルンはその細身の女に問いかけられる。
「どちら様でしょうか?」
「店主に、ヴァローの部下が来たと伝えてください」
女は怪訝そうな顔を見せて、違う部屋へと走って行く。そのときになってイーケンはこの店の中の妙な部分に気がついた。
「この店で働いている者は女しかいないのか?」
見える範囲の部屋で客の対応をしているのはいずれも女達だ。それを手伝って忙しげに立ち回る若い娘達もいる。
「ここの店主は老齢のご婦人です。軍人だったご主人を亡くされ、その後にご実家の店を継いだんだとか。それ以降、未亡人や身寄りのない若い娘を中心に店を経営しているんですよ」
すると細身の女が戻って来て、一行を違う部屋に通した。アルンは適当なところにあった長椅子に腰を下ろす。しばらくすると、細かい刺繍の入った深紅の服に身を包んだ老齢の女が歩いて来た。アルンと同行者二名を見てから少し目を見開き、彼らの方へと歩みを進める。
「おやまあ、あの小さかった子が随分と大きくなったものね」
「ご無沙汰しております、メルマさん」
アルンは深く一礼し、彼女に椅子を譲る。メルマは声にも顔にも若々しさがあり、実年齢の予測がつかない。
「あなた、いくつになったの?」
「十六です」
その答えに驚いたのはイーケンと朱真だった。思わず互いに目線を交わし合う。それからメルマは彼らを手近な部屋に通した。並外れた長身の朱真は頭を下げて入り、窮屈そうに壁の近くに収まる。
「わざわざヴァローの部下と名乗ったということは仕事なんでしょう?」
アルンに隣に座るように促し、近くに控えていた下女に対しては下がるように言う。
「はい。二つほどご協力いただきたいことが。まずはこちらの品をご存知ですか?」
耳飾りを手渡すと、メルマは耳飾りに目線を落とす。日にかざしたり表面を指で触ったりしてから口を開いた。
「これだけ精緻な紋様があるのは、コージュラのものに限定されるわ。残念だけれど、うちの店では扱わない」
コージュラという名前に、三人は怪訝そうな表情を見せた。コージュラは大陸随一の規模を誇る隊商組合を基盤とした商業的な連盟だ。西から東へ、北から南へと彼らは渡り歩き、様々なものをもたらしていく。
「コージュラは職人工房を多数抱える工房都市という側面もあるの。うんと昔からギッシュ族よりも北にいるシェーラン公国からガラスを輸入して、それを加工していたのよ。それはそちらの殿方お二人もご存知かしら?」
話を振られた男二人は、慌てて頷く。メルマは彼らにも近くの籐製の椅子に座るように仕草で促した。気がつくと、近くの卓に人数分の発酵茶と焼菓子の乗った盆が置かれている。アルンはためらいなく手を伸ばし、白い器に口をつけた。
「なぜコージュラでガラス細工が? それにシェーラン公国は四百年ほど前に滅びたでしょう」
イーケンの問いにメルマは一呼吸置いた。器を卓に置き、両手を重ね合わせて話し出す。
「コージュラは砂漠の真ん中の街を中心に発達した。でも砂漠の中は生きていくのがやっとの世界。だから、彼らは貿易の仲介をすることで財を築いた」
メルマの鈍い金色の目がイーケンを見る。
「そのうち彼らは交流のあった国の職人の亡命を手伝うようにもなった。五百年くらい前の三十年大戦の時期のことね。これについて、そこの牙月の殿方はご存知かしら?」
朱真は顎に手を当てて目を閉じる。困ったように眉を寄せてからメルマに答えた。
「ご婦人、申し訳ないが、俺は傭兵上がりなもんで学が無い」
「北方のギッシュ族の身内争いが他国を巻き込み、泥沼化した戦争のことよ。その時期にシェーラン公国からは多くの職人が逃げ出し、大陸全土に当時最先端とされた工芸技術が広まった。そして、一部はコージュラの地域に根を下ろしたの」
「なるほど。だからコージュラとやらには職人工房があると?」
朱真の言葉にメルマは頷く。
「よく見て。この紋様は並外れて精緻だわ。こんなものを作れる職人はそう多くはない」
メルマの手の上に収まった耳飾りのガラスには、細やかな紋様が刻まれている。蔦の上に止まって歌う鳥の姿や、その足元で咲く大輪の花々があった。よく目をこらさねば見るのも難しい。恐ろしく小さく繊細で、並大抵の人間がなせる業では無かった。
「シェーラン公国の子孫であるコージュラの職人達でなければこれは作れないわ」
彼女は目線を上げて、アルンを見る。一瞬光った瞳の鋭さにイーケンの首筋が震えた。
「ところで、二つ用があると言ったわね? もう一つは何かしら?」
「紹介状をいただきたいです」
「どこへの?」
茶器を手に取ったメルマにアルンは即答する。
「交易品と女物の装飾品を扱う、王都にある店全てです」
「全て? まためちゃくちゃなことを」
メルマの声が裏返り、彼女は目をむいた。渋りそうな気配を感じたイーケンは、アルンが口を開く前に無理やり割り込む。
「無理を承知でお願いに上がりました。どうかお力添えいただけないでしょうか」
深々と頭を下げる。他の三人が驚いた気配があったが、イーケンはその姿勢のままさらに言葉を重ねた。
「この事態の性質上、細かいことは申し上げられません。ですがこの国の安寧を守るため、お力をお貸しいただきたいのです」
少し黙ったメルマは、イーケンの肩に手を乗せた。
「どうか顔をお上げになって。あなた方軍人が
イーケンは驚いてメルマを見る。彼女は柔らかく笑い、口紅で彩られた口元を和らげた。
「なぜお分かりに?」
「天竜乗りは、国の安寧なんて言葉は言わない。それにね、首元を一目見れば分かったわ」
「首?」
「士官の軍服は首まで覆う。だから、首のところに日焼けが残る。首の見える服装をすれば分かるわ。あと、海軍士官には特有の雰囲気があるのよ」
死んだ夫もそうだった、と足して彼女は椅子から立ち上がった。そして華やかな笑顔を見せる。
「良いわ。勇猛な海の守護者に免じて、紹介状を書きましょう」
武装している三人は顔を見合わせて頷き合い、アルンは立ち上がってメルマに一礼した。
「ご協力感謝します。この件が落ち着きましたら、しかるべきお礼を致します」
「言われなくてもそうするつもりだったわ。高くつくわよ。覚悟なさい」
メルマは不敵に笑い、しばらく待つように言ってからその場を立ち去った。
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