彼岸の花に寄せて
冬が訪れる前の、狭間の季節。
少し寂しさを含んだ風に吹かれながら、女は歩いていた。
足取りはゆったりとしていて、小さな手さげかばんを片手に。
柔らかそうな髪はゆるく束ねられている。
時折風にあおられるのか、そっと片手で抑える。
その仕草は、どことなく憂いをはらんでいた。
昼間だというのにその道は人通りがすくなく、静かだった。
歩いていた彼女の視線が、道の曲がり角へと吸い寄せられた――
そこには赤を揺らめかせている彼岸花。
花の側には、小さな地蔵もあった。花の側へと近づいて、しゃがみこむ。
そうして彼女は、葉のない花へと手を伸ばした。
葬列のように並んで咲く彼岸花。毎年気がつくと、道端でこの花が揺れている。
子供のころは、その毒々しい色と形が不気味で。
今は、その鮮やかさも花弁も、綺麗だと思えるようになった。
愛しい……あの人との思い出が香るから。
この花が咲く季節に出会って恋をした。もう別れてから何年が経っただろう。
彼は居間もどこかで、幸せに暮らしているんだろう。一度だけ。
去年の夏だったかな。彼から一通のはがきが来た。
見知らぬ女性と嬉しそうに並んで微笑むあの人。
その人と結婚をしたそうだ。
今年の春には子供が生まれるとあったから――今は数ヶ月くらいだろうか。
どうして私に送ったのかは、わからない。
あの人なりのけじめの形だったのかもしれない。
特別、ねたましいとか、羨ましいとは思わない。
彼は自分の幸せをその手で選び、掴んだだけだから。
花を見ながら思う。そんな風に私も生きられたら、素敵なのに。
どうしても、その一歩が踏み出せなくて。
私自身が動かなきゃ、いつまでもこの場所からは離れられない。
偶然訪れた恋が去って、私の時間は色褪せてしまった。
見るものすべてが、あの頃とは違う。
どんなに願ったって、戻れないのはわかっている。
それでも過去が懐かしくてたまらない。
初恋は実らないだけじゃなく、胸に痕だけを刻んで溶けた。
季節が巡り時間が流れても、私はここに立ち尽くしたままで。
細い花弁に触れて、もてあそぶ。
この花と一緒に、この思いも流してしまえたらいいのに。
そうしたら、知らないどこかで、小さな芽を吹いてくれるかもしれない。
でも私は、花を握りつぶすことも、散らすこともできない……中途半端。
咲き乱れる花をいくつか手折って、私は一人の家へと向かって歩き出す。
家につくと、コップを一つ取り出して、水を注ぐ。
そのまま花を入れようとして……手が止まる。
たしか、切花には砂糖水がいいって、どこかで聞いた。
これは、切花でもないのだけれど。
もうしわけ程度の砂糖を水に溶かして、手折った花を入れる。
こんな適当なやり方じゃ、数日で枯れてしまうのはわかりきっている。
それでも毎年私は、花をこうして持ち帰ってしまう。
道でふらふらと揺れる彼岸花を見ると、どうしてももって帰りたくなってしまう。
自分と、重ねてみてしまっているのかもしれない。
枯れてしまったら、庭に埋めて、土に還してあげないと。
彼岸花は葉がないときでも美しく咲き誇れる。
私という花は、すぐに枯れてしまった。
あの人という葉が落ちて、それでも恋を維持できるほど……慣れてはいなかった。
朽ちた花弁は何処へも行けず、胸の奥深くに沈んでは積もっていく。
いつかは、私も彼の事を割り切れる日が来るのだろう。
そうして、また別の誰かを好きになる。
誰かと結ばれても、きっと私は思い出し続けるのだろう。
毎年毎年、道端に花が姿を見せるたびに。
赤い彼岸花が風に揺れて。幾度もそれを手にとって、土へと還す。
流しきれない思いも一緒に行けるように。
寄せた思いがやがて巡って、また花を咲かせることができるように。
私はそうやって、生きていくんだろう。
彼岸の季節に咲いた恋は 死人の花に 寄せて揺れて
枯れ朽ちた恋はやがて、 小さな小さな芽を伸ばす
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