第49話 蜘蛛と爆炎と

 視界が真っ赤に染まる。


 炎の噴射はおよそ三秒間だけ。だが、それが永遠と思えるほどに長い。


 手足の先から頭まで、余すことなく炎に包まれている。


 がらがら、と屋根が崩れ落ちる音が、やけにくっきり聞こえる。ドラゴンが飛んだ拍子に突き破ったのだろうか。


 俺がこのまま焼き殺されれば、ドラゴンが外に出てしまう。

 だが――。


「熱く、ない……ッ!」


 それは、ドラゴンが炎を吐くために口を開けた瞬間だった。

 口の中にわずかに残るドラゴンの血と薄皮を呑み込んだ時、“魔物喰らい”の効果が発動したのだ。


 新たに取得したスキルの名は、“ヴォルケーノドラゴンの鱗甲”。


 脳内に旅神の声が聞こえた瞬間、他のスキルを全て解除し、咄嗟に発動したのだ。


「これが“鱗甲”の力……!」


 全身をびっしりと埋め尽くす赤い鱗が、炎を完全に防いでいた。


 軽く触ってみると、身体の表面が硬くなっているのがわかる。顔も同様だ。

 爪ほどのサイズの鱗が重なり合うように、綺麗に並んでいる。


 リュウカに作ってもらった装備は全部燃え尽きてしまった。せっかく貰ったのに申し訳ない。

 裸なのはまあ、誰もいないしいいか。一応、局部を隠すために“刃尾”を発動して巻き付ける。


 そんな確認と思考をしているうちに、炎が止まった。


「ララァ?」


 初めて、ドラゴンの余裕が崩れた。

 戸惑ったような声を上げ、目を見開く。案外、表情が豊かだな。


「どうだ? 最強の攻撃が防がれた気分は」


 いやまあ、絶対絶命だったけど。

 スキルが発現しなければ、そしてそのスキルが炎を防げるものでなければ、俺は確実に獄炎に焼き殺されていた。


 だが、運は俺に味方したようだ。


「ララァアア」


 依然として、俺が不利なのは変わらない。

 しかし、炎を防がれたドラゴンが選んだのは、逃走だった。


「……っ! まずい!」


 おそらく、およそ生物なら耐えることが不可能な炎が防がれたことで、俺を脅威と認識したのだろう。

 ドラゴンは最初から一貫して、油断せず慎重だった。あるいはそれが、強者たる由縁なのかもしれない。


 そして今、天井には穴が空き、空が見えている。瓦礫は俺に当たらなかったか、炎が消し飛ばしたのかは不明だ。

 ともあれ、さっきまではなかった逃走経路が作られてしまったのだ。


「待て!」

「ララァアア」


 ドラゴンは巨大な翼を羽ばたかせて、浮かび上がる。


「くそ! “銀翼”“天駆”“健脚”」


 改めてスキルを発動し、跳躍する。

 ドラゴンの血を“吸血”したことによって足の傷は塞がったが、まだ本調子ではない。

 いや、それでなくとも、ドラゴンの飛翔速度に勝てるとは思えなかった。


「ここまで来て取り逃がすのか……!?」


 手を伸ばして、上空のドラゴンに追いすがる。


 その時、夕焼けの空に影が差した。


「え?」


 空になにか、大きな物体が飛んでいた。


 その物体は、中心にある球体から、細長い棒が八本生えたような形をしていた。

 どこかで見たことがあるような……。


「ラァ?」


 ドラゴンが素っ頓狂な声とともに上を見上げる。


 空から降ってきた影はどんどん大きくなり、その巨体がはっきりと見えた。


「あれは……! って、ここにいたらやばい!」

「とりゃぁああああ」


 慌てて横に退避する。


 聞き覚えのある元気な声が聞こえたかと思うと、その巨体は真上からドラゴンに激突した。

 そのままドラゴンを押し、地面に叩き付ける。


「それ、飛べるのかよ……」


 上級職人兼下級冒険者、リュウカ。彼女のギフトである“魔導工房”だ。蜘蛛のような形をしている。


 そのサイズは、足まで含めるとドラゴンよりも大きい。

 動くとは聞いていたけど、まさか飛べるとは……。あるいは、跳躍してきたのか。


 ドラゴンを押さえつけていた工房の上部がぱかりと空いて、リュウカが顔を出した。


「す、す、すごぉおおおおい! これ、ヴォルケーノドラゴンだよね!? なんでこんなところにいるの!? わぁ、来てよかったー! かっこいぃぃ」


 この状況でも平常運転だな……。

 なんか、安心した。


「リュウカ、なんでここに?」

「迷宮都市から緊急依頼が発令されたんだよ~。それに私だけじゃないよ。さすがに中級以上の冒険者はまだ間に合わないけどね」

「え? そうか、エルルさんが!」


 エルルさんがここを出てから、どのくらい時間が経ったのだろう。

 戦闘に集中していたから、時間の感覚があやふやだ。


 けど……ついに援軍が到着したんだ。


「ふん。炎のドラゴンだと? くだらん。俺の炎が世界一熱いと証明してやろう」

「キース!」


 普通に入口から入って来たのは、“炎天下”のキースだ。


「どけ。俺が焼き殺してくれる」

「……たぶん、ヴォルケーノドラゴンに火は効かないぞ?」


 鎧を得た俺が完全に無効化したくらいだし。


「俺の炎はただの火ではない。爆炎だ」


 なるほど、爆発を伴う炎なら、衝撃でダメージを与えられるかもしれない。


「俺たちもいるぞぉおお!」

「待たせたな! 万年最下位! ……いや、エッセン!」

「ここまでされたら認めねえわけにはいかないな、万年最下位さんよぉ!」

「でもエルルさんは俺が貰う!」


 続いて入ってきたのは、下級冒険者たちだ。ちらほらと見たことがある顔もある。

 中には、万年最下位だと俺を馬鹿にしていた者の姿も。


 そして、その後ろには。


「エッセンさぁあああん!! お待たせしました!」

「エルルさん……!」

「信じてましたよ! さあ、トドメを!」


 “炯眼”で見なくてもわかるくらい、エルルさんの笑顔が輝いている。


 そうだ、まだドラゴンは倒したわけではない。


「もう、押さえられない……っ」


 リュウカの乗る巨大な蜘蛛のような“魔導工房”が、見た目に似合わぬ俊敏さでドラゴンから飛びのく。


「ラララァアアアアアアアアアア」


 苛立った様子のドラゴンが身体を起こし、雄叫びを上げた。


「剣士系は近づくな! 魔法系のギフト持ちは、一斉に最大威力の魔法を!」


 俺は素早く指示を出し、スキルをあれこれ発動して走りだした。


 工房の激突と地面への衝突でかなり疲弊したとはいえ、ドラゴンの傷は未だ浅い。

 完全にトドメを刺す必要がある。


「おうよ! お前ら行くぞ!」

「うぉおおおおお!」


 背後から頼もしい声が聞こえて、色とりどりの魔法が俺を追い越してゆく。水、氷、雷、火、風……多種多様な魔法の弾丸がドラゴンに襲い掛かる。


「ララァ」


 ドラゴンは煩わしそうに身体を捩るだけで、大したダメージには至っていないようだった。


 だが、それも想定内だ。

 目的は目くらまし。


「ララァアアア」


 ドラゴンが俺に向かって、炎を吐きだした。

 だが、俺は避けない。


「それはもう、俺には効かねぇ!」


 足を止めずに走り続ける。


「リュウカ!」

「はいさ!」


 炎を吐いている間、ドラゴンは無防備になる。

 その隙を突いて、リュウカの工房がドラゴンの背中に飛び乗った。


 あまりの重さに、ドラゴンが呻く。

 その間に、俺はドラゴンの目の前まで接近していた。


「ラァアアッ!」


 ドラゴンは咄嗟に、口を大きく開けて俺に噛みつこうとする。


「キース!」

「ふん……“プロミネンス”」


 側面から接近していたキースが、ドラゴンの頭を真下から殴りつけた。

 ドラゴンもだいぶ余裕がなくなっている。俺を最大の脅威と認識しているから、キースの攻撃に気づかず、もろにくらった。


 顎が強制的に閉じられ、顔が上に跳ねる。


「トドメは譲ってやる」

「はっ、予想以上に炎が通らなかっただけだろ、キース」


 一瞬だけキースと視線を交わしてから、俺はドラゴンに肉薄した。


「やっとここまでたどり着いたよ、ドラゴン。――首ががら空きだ」


 使うのは、左腕の“リーフクラブの大鋏”。そして、俺が最初に取得し、その後もほぼ全ての魔物に使ってきた“フォレストウルフの大牙”。


「これで終わりだ! いただきマスッッ!」


 さしものドラゴンも、首の下は柔らかいらしい。顔と前足が危険すぎて、ここまで一人じゃ来られなかったけどな。


 “大鋏”はドラゴンの首筋を容易く破った。そして、露出した内側の肉に、“大牙”を突き立てる。


 一度では終わらない。


 何度も、何度も、何度も。


 ハサミで削り、“鋭爪”で切り裂き、麻痺毒を流し込み、“刃尾”で突き刺した。

 戦術もなにもないインファイト。だが、俺の背中はキースが守ってくれる。


 全身血だらけになりながら、ドラゴンの首筋を貪った。


 ヴォルケーノドラゴンの肉は……最っ高に美味しかった。


「はぁ……はぁ……」


 半分以上の肉を食い破ったところで、ドラゴンから離れる。


 ドラゴンの目が、一瞬だけ俺を捉えた気がした。


「ごちそうさん」


 ドラゴンが口を少しだけ開けた。だが、その口から炎が出ることはなく……完全に沈黙した。だらりと首が垂れる。


「勝っ……」


 俺ももう限界だったのだろう、

 全てのスキルが勝手に解除され、思わず膝を突いた。


 ふぁさり、と背中に布が掛けられる。キースのローブだ。


「お前の勝ちだ。エッセン」


 キースが手を差し伸べてきたので、ローブに袖を通して、その手を取った。


 ふらつきながらも立ち上がり、入口のほうを向く。拳を高くつきあげた。

 声は、出なかった。


「うぉおおおおおおお!」

「やったな!! エッセン!」

「Aランクの魔物を倒しちまうなんてな! 強くなったよ、ほんと!!」

「お前は英雄だ!」


 冒険者たちから、歓声が上がった。


 その後ろで、エルルさんがしきりに涙を拭いている。


「ねえ、エッセン……さっきの鱗、もう一回見せて? お願いっ」


 リュウカは、相変わらずだけど。


 俺は、勝ったのだ。圧倒的に格上の魔物に。


 街を守れたんだ。


「よしッ!」


 小さく拳を握りしめる。


「エッセンさん!」


 エルルさんが冒険者の間を通って、駆け寄って来た。


「エッセンさん、私、あの、ほんとうに……」


 俺の胸に顔を押し付けて、エルルさんが言葉にならない気持ちをぶつけてくる。

 言いたいことは痛いほどわかった。


「エルルさん……」


 本音を言えば、このまま喜びを分かち合いたい。

 でも、俺にはまだ、やることがある。


「エルルさん、頼みがある」


 決着をつけるために。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る