ステップ・バイ・ステップ~秘密を抱えた女子大生と僕とのピュア・ラブストーリー~

和希

第一章 スモール・ステップ

第1話 SNS上のお友達

『はじめまして。りつといいます。〇〇大学の一年生です』


 身体にこたえるほど蒸し暑い、夏休みのある午後。

 僕、松本律は、クーラーの効いた自室のベッドに仰向けになり、スマートフォンを掲げ、文字を打ちこんでいた。


『大学に通おうと千葉で一人暮らしをはじめましたが、大学に行けず、友だちができません』

『もし僕と同じような思いをしている人がいたら、友だちになりませんか?』


 僕はこの春、夢色のキャンパスライフを夢見て千葉にやって来た。

 けれども、僕に待ち受けていたのは、パンデミックのせいで大学に通うことが許されない、理不尽な現実だった。


 一人部屋にこもってリモート授業と向き合う日々。

 見知らぬ街で一人きり、誰とも口を利かないまま迎える夜が何度も訪れた。


 寂しさを紛らそうとスマートフォンに手を伸ばし、意味もなくトレンドを検索したり、長時間ぼんやりと動画を眺めたり。

 ソーシャルゲームにのめりこみ、自分でも思いがけない額を課金してしまうこともあった。


 いったい、なんのために一人で千葉までやって来たのだろう? 

 胸いっぱいに膨らんでいた、明るいキャンパスライフへの期待感はすっかりしぼみ、虚しさばかりが募っていく。


 夏休みには実家に帰る気でいた。

 けれども、母に電話でそう伝えると、


「そりゃあ、かまわないけど。ところで知ってる? お隣の川島さん。お婆ちゃんが入院するんで、息子さんが東京から帰ってきたのよ。そうしたら、息子さんが万一ウイルスに感染していたら大変だからって、お婆ちゃんまで二週間は病院に来ないでくださいって言われて。おかげで入院も先送りになったそうよ」


 と教えてくれた。

 母の声のトーンが、やんわりと「帰って来るな」と告げている。

 こうして、僕は帰省をあきらめ、大学の長い夏休みを一人でやり過ごしているというわけなのだった。


 画面に打ちこんだ文字を見上げ、いざSNSに投稿しようとして、ふと指が止まる。

 もし変な人とつながってしまったらどうしよう。SNS上のトラブルは後を絶たないと聞くし。

 そんな不安や警戒心が、僕にSNSへの投稿をためらわせる。


 けれども、このまま悶々としていてもらちが明かない。

 僕はこの世界をおおう暗い閉塞感から抜け出したい一心で、画面に指を伸ばす。

 そして、祈るような、半ばやけっぱちのような気持ちで、ついに投稿ボタンを押してしまった。


 返信はすぐには来なかった。

 そりゃそうだ。素性も分からない僕の書きこみに興味を示す人なんて、そうそういるはずがない。


 僕は納得しつつも軽く落ちこみ、上半身を起こした。

 そして、暇を持て余すくらいなら教習所にでも通おうか、などと考えはじめた矢先。

 突然、短い着信音が乾いた部屋に響いた。


『同じ大学の一年生です。直接お会いすることはできませんが、SNS上のお友だち、ということでよければ』


 それが、彼女との初めての出会いだった。






 彼女の名前は綾さんといった。


 彼女、といっても、会ったわけではないのだから、ほんとうのところは女性かどうか分からない。

 けれども、綾という名前と、SNS上で交わす文章の柔らかさから、相手が女の子だという確信を少しずつ深めていった。


 綾さんは、僕が暮らす街のとなりの駅周辺に住んでいるらしい。

 綾さんは実家暮らしで、ほとんど地元だということもあり、街に関するいろんな情報を僕に教えてくれた。


『体調が悪い時は、あの病院に行くといいよ。親切だし、わりとすぐに診察してくれるから』

『律くんの家からだと、駅前の郵便局より、反対側の中央郵便局のほうが近いんじゃないかな』


 綾さんのアドバイスが、初めての土地で一人で暮らす僕にとってどれほど心強かったか、想像に難くないだろう。


 また、思いがけず会話が弾んだりすると、しぜんと心がときめいた。


『綾さんに教わったカレー屋さん、行ってみましたよ。美味しかったです』

『でしょう。昔からある有名店なんだ。一度店をたたんだんだけれど、ファンだった方が引き継ぎを申し出て、復活したんだって』

『お店の外に列ができていたので、すぐに分かりました』

『いつもそうなの。律くんと話していたら、なんだか私も食べたくなってきちゃった』


 交わす文章から、綾さんの楽しげな息づかいが伝わってくる。

 そのことが、ずっと孤独だった僕にとってどれほど救いだったか。



――もしよかったら、今度一緒に行きませんか?



 そう返事を書きかけて、親指がぴたりと止まる。


 綾さんと僕とは『SNS上のお友だち』で。

『直接お会いすることはできません』と言われていて。


 もし、綾さんが出してきたその条件を破ってしまったら、もう二度と綾さんとやり取りができなくなってしまう気がして。


 そう思うと、綾さんを誘う勇気もわかず、会話も途切れてしまうのだった。


 その後も、綾さんは僕が困っている時には必ずアドバイスをくれた。また、なにげない言葉でもちゃんと聞き入れ、共感を示してさえしてくれた。


 綾さんは、同じ一年生とは思えないくらいしっかりとした人で。

 それでいて、親近感を抱かせる、とても可愛らしい人だった。


 いつしか、綾さんとの会話がなによりの癒しとなっていた。

 僕のなかで、綾さんの存在がどんどん大きくなっていく。


 綾さんが僕に最初に出した条件と、それでも綾さんに会ってみたい衝動――この二つの間でしだいに僕は苦しみ、大きく揺れていった。






 そして、夏の終わり頃。

 ついに葛藤に耐えかねて、僕は綾さんに申し出た。


『綾さんに会ってみたいです。もしご迷惑でなければ、僕と会ってくれませんか?』


 ……沈黙。

 時間をおいて、ようやく返信が届く。


『分かりました』


 その一言で、僕の心は跳ね上がり、思わずガッツポーズをしかけた。

 けれども、綾さんの文章にはまだ続きがあった。



『でも、私に会えば、がっかりするかもしれません。私はそれが怖いです』



 文章の最後には、しょぼんとした犬のキャラクターのスタンプが添えられていた。



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