23縛 逆転

「まぁ、いいや。私、シャワー浴びてくる」

「……は?」



 身構えた瞬間、古谷はスッと引いて立ち上がった。なんだ、せっかく臨戦態勢を整えたのに。



「シャンプーどれ?」

「あ、あぁ。赤のヘッドがシャンプーで、黄色がコンディショナー。青がボディーソープ……」

「そ。それじゃ、お先に」



 何か、シャワールームに仕掛けでもするつもりなのかと目を光らせていたが、古谷は鞄からパジャマとタオルを取り出して廊下に出ただけだった。緩急のせいで、変に気が抜けそうになる。



「エッチ、何見てんの?」



 相手にして、また言い合いになると面倒だ。そう考え、シカトして京からも離れると、俺はタオルでゴシゴシと顔を拭いてからコップ4杯の水を飲んだ。



 しかし、まさか本当に終わってくれるとは。てっきり、しばらく甚振いたぶられるんじゃないかと思ったけど。

 何か、二人の中にルールのようなモノがあるのだろうか。この勝負を勝負として成立させる為の、たった10分程度で暗黙の了解を得たルールが。



「教えてあげませんよ」



 シンクに手をつく俺の背中に、京が突然言った。



「ねぇ、ナチュラルに俺の心読むのやめてくれない?」

「なんだか、最近は時生さんの心の内が透けて見えるようになったんです」



 もしも本当に読んでいるなら、半分は嘘だ。実際は、京が思う方向に俺の思考を誘導して、その先にある答えを口にしているのだろう。

 遂に、天才の本領発揮というワケか。勉強の知識を頭に詰め込んでいるだけの俺とは、格の違う応用力。寒気すらしてくる。



 つまり、京は俺を掌握し始めている、という事なのだろう。なんとか、思考をズラさなければ。



「な、なぁ。あのルールはどうなった?古谷と話す事は、セーフなのか?」

「いいえ。セーフではありません。ゲームオーバーです」

「……どういう事?」

「古谷さんと話をした時点で、『一生愛してるの刑』は決まったのです」



 う、嘘だろ?



「ただし、今の私には『古谷さんを倒す』という目標があります。このまま刑を執行しても構わないのですが、その後ろで虫に飛ばれては、せっかくの時生さんとの永遠も楽しめませんから」



 つまり、俺は執行猶予中で、その期間は古谷の手に掛かっているという事なのだろうか。



「そうです。情状酌量の余地はありますが、それはアラスカか日本かの違いにしか作用しません。無期懲役は確定です」



 信じたくない。



「なら、俺が全然関係ないところに行ったらどうするんだよ。学校辞めて、この家から出て行く事だって考えられるだろ」

「いいえ、あり得ません」



 そして、京は俺の背中へ抱き着き、背伸びをして息がかかる程耳元に近づいて。



「だって、あなたは薬師時生なんです。私が心の底から慕っている、この世界で一番かっこいい人なんですから」



 そう、淫靡な声で呟いた。



「信用し過ぎだ」

「そんな事ありませんよ。だって……」



 尚も、耳の穴に直接吹き込むように喋る京。背筋がゾクリと震えて、思わず体を強張らせてしまった。



「この世界で、ただ一人。私を見つけてくれた人。そんなあなたが、私を置いて逃げるワケがありません」



 ……それは、きっと願望だった。権力を振りかざすワケでもなく、自分のわがままを押し通すワケでもなく。彼女の、心の奥底に眠る本当の感情。寂しさを埋める、唯一の方法。



 何故なら、京の手は僅かに震えていたから。



「ズルいな」

「そうです。私、凄くズルくて悪い子なんです。だから、お仕置きが必要なんです」



 ただ、こういう事を言われてしまえば、俺が絶対に立ち向かってしまうという事を分かっての告白なんだろう。

 京も、古谷の持つ『歴史』とは違う、『才能』という強力な武器を持っている。どちらか片方ならまだしも、どちらも回避するのは不可能だ。



 ……分かった。



 なら、逆に考えよう。つまり、それはもう失敗を恐れる必要がないという事なんじゃないだろうか。



 悪あがきの為に、秋津さんや中根先生といった大人の女性にアイデアを求めたっていい。既に終わっているのだから、これ以上罰を受ける事はないハズだ。



 それに、こうなったら開き直って遥とも遊びに行っちゃうもんね。フフ。ほころんだな、京。お前の発言は、俺を縛る大きな鎖を解いてくれたぞ。なんて考えて。



 現実はそんなに甘くない事を、俺はすぐに思い知らされたのだ。



「お仕置き、早くください」

「え?いや、いいよ。別に」

「よくないです。これからは、私が時生さんを困らせたら、お仕置きしてください。どこで何をするのか、私にも分かりませんけど。でも、私は悪い子ですから。きっと、目を離せば迷惑を掛けることになるでしょうから。ずっと見ていないと、何か問題を起こしてしまうでしょうから。だから、必ずお仕置きをしてください」

「……っ」



 思わず、生唾を呑み込んでしまった。しかし、何とか振り返ってデコピンをすると、京は上目遣いで妖しく笑ってから、俺の首にキスをした。



 遊びに行くなんて、無理だった。むしろ、明らかに事態が悪化している。まさか、裏をかかれないように監視する側に指名してくるとは。俺に、罰を与える立場を与えてくるとは。



 考えもしていなかった角度で、強力に束縛された。こいつは、どうすればいいんだ?

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