第三章 責任は、女が男を縛る最も頑丈な鎖
21縛 修羅の部屋
○ ○ ○
「あの、京さん」
「なんですか?」
「そろそろ、アルバイトの再開を認めてもらえないでしょうか」
「別に、前からダメだなんて言ってないじゃないですか。偶然、時生さんが働こうとする店舗が、次々に謎の移転をしてしまうだけで」
ホント、金持ちって怖いわ。
そんなワケで。現在は、夏に片足を突っ込んだ6月の序盤 俺は、毎日飽きもせず降り続ける雨のせいで、貴重過ぎる一人になれる時間のロードワークすら封じられ辟易としていた。
そのせいで、試験対策に中古で購入した分厚い参考書の端っこに、途中で終わっていたパラパラ漫画の続きを書くくらいしか娯楽がない。早く、晴れの日が見たいものだ。
「下手な絵ですね」
「うるせえよ」
……ところで、例のキスの夜が明けても、京の言う通り古谷は俺たちの関係を学校に言わなかった。
それどころか、誰一人として俺たちの生活を知る者は現れず、当の本人である古谷も、廊下ですれ違えばちょっかいを掛けてくる程度に収まっていたのだ。
逆に不気味だ。嵐の前の静けさでなければいいが。
「なぁ、とにかく働かせてくれよ」
「いいじゃないですか、働かなくて。その為の、特待制度と奨学金なんですから」
「贅沢するには足りないよ」
「もしも欲しいモノがあれば、私が高利子でお金を貸してあげますよ。返済は、時間でお願いします」
そんな小説、どっかで読んだことあるぞ。
「やだよ。それじゃ、事実上のヒモじゃねえか。例え恋人だとしても、俺は養ってもらう気はない」
「分かってないですね、時生さん。現代の社会というのは、厳しくて精神を壊しかねない恐ろしい場所なんです。決死の覚悟で飛び込むところなんです。つまり、バンジージャンプと同義なんです。時生さんは、私にヒモなしで谷底へ飛べというんですか?」
相変わらず、ガバガバなのに反論の見つからない屁理屈を言うヤツだ。何らかの責任を負っている京が言うのが、色んな意味でズルさに拍車をかけている。
「でもさぁ……」
「アラスカは、寒いですよ?」
「ま、まぁ、雨が止むまでは休憩しよっかな〜。なんて……」
「ふふ。そういうかわいいところ、好きですよ」
いつの間にか、情けない姿がチャームポイントに数えられてしまっている。グレートな男から、どんどん遠ざかってやがるな。チクショウ。
会話が終わったから、俺は雨の音を聞きながら窓の外を見ていた。縁にぶつかって、弾ける水滴。等間隔に訪れるそれに気が付いて、何となく落ちた数を数えていると、ちょうど50に届いた時に部屋のインターホンが鳴った。
「元気?」
……扉を開くと、そこには大きな鞄を持った古谷が立っていた。本当に、何の前触れも無かったハズだ。
「住むね、今日から」
「なに?」
彼女はニコリと笑うと、質問もさせず、道を塞がせもせず、さっさとローファーを脱いで部屋の中へ入っていった。俺は、そんな彼女に何を言えば良いのかがさっぱり分からなくて、扉が閉まっても立ち尽くしてしまった。
「こんばんは、矢箕さん」
「こんばんは、古谷さん。意外と、遅かったですね」
「矢箕さん程ではありませんが、私にも片づけなければならない事がありましたから」
ようやく振り返ると、古谷は鞄を部屋の隅に置いて、ちゃぶ台を挟んで京の対面に座った。
「そうですか。私はてっきり、時生さんにフラレて自殺したのかと思っていました」
「やっぱり、何も分かってないんですね。あのまま叩き潰しても面白くありませんから、少しだけ時間をあげたんですよ」
「負け惜しみですか。少なくとも、時生さんは私の方が好きです。キスもしました」
「キス程度、ひっくり返ると言ってるんです。それに、私はその先まで経験していますから」
してねぇよ。
「……じゃなくて、ここに住むってどういう意味だよ」
「そのままだよ。だから、誰にも言わなかったの」
く、狂ってる。頭のおかしい女ってのは、どうしてこんなに執念深いんだ。
「み、京。お前、やけに落ち着いてるが、もしかして知ってたのか?」
「いいえ、目を合わしてすらいません。ただ、私なら確実にそうすると思ったので」
という事は、古谷にも分かっていたのか。京が、自分を拒まないと言うことが。かなり、奇妙な信頼関係だ。
「別にいいんです。だから、ここを監視している者にも、古谷さんを通すように伝えておきましたので」
「何言ってんの?ここは俺の家だよ?」
「いいえ、このアパートは私が買い取りました。なので、この家は私たちのモノです」
じゃあ、俺が払っていた家賃はこいつの通帳に振り込まれてるってことなのか?なんて、少しの現実逃避をするくらいには衝撃的な事実だった。そういう事、先に言ってくれ。
「な、なぁ、古谷」
「桔梗ね?次に間違えたら、良くない事が起きるよ?」
京に視線を送ると、彼女は「うふふ」と不気味に笑った。許してくれとは言わないから、殺さないでくれ。
「……桔梗」
「なぁに?というか、座ったらどう?」
促され、窓側に正座して座ると、二人が両サイドからゆっくりと距離を詰めてきて、ピッタリと張り付かれてしまった。息が出来ない。
「俺、お前に結構キツイ事言ったと思うんだけど」
「うん。すっごく傷付いた。あの日は、ずっと泣いてたんだから」
謝るのだけはダメだ。やっちゃいけない。
「それでね?凄く衝撃的な出来事だったから、他の男の事を見られなくなっちゃった。恋愛が怖くなったの」
「そ、そうか……」
「だから、責任取ってね?全部、時生のせいだからね?」
責任という言葉に気圧されて、思わず古谷の目を盗み見て気がついてしまった。
「絶対に、許さないからね?」
目の奥が、濁って塗りつぶされている。どうやら、彼女も瞳に深淵を飼ってしまったようだった。
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